3-3 魔王参戦
黒いドレスの女性がゆっくりと壇上に上がってくる。彼女が立ち止まると、場の空気が凍りついた。
「久しぶりね、英雄様。この世界では初めまして——あなたたちの宿敵、魔王よ」
魔王が優雅に微笑む。
でも、その笑顔の奥では、執念の炎が燃え盛っているようだった。
「公開オークションだし、誰でも参加できるはずよね」
「だからって、魔王が参加するなんて……」
聖女が怯えたような目で、魔王を見ていた。
「英雄と魔王として再会できるなんて——この世界も捨てたものではないわね」
魔王の足音が、俺の棺桶に徐々に近づく。
覇気が黒い炎のように周囲を覆っている。
「久しぶり、ユウト君」
そして、左手の薬指には——
禍々しさを纏って紅く光る、見覚えのある安物の指輪。
「レイナだよな?」
全てが繋がった。
声、呼び方、執念。そして、指輪。
「やっと気づいたのね——」
魔王——いや、元カノのレイナが微笑んだ。
「転生したって、貴方は私のものよ——地獄の果てまでだって、追いかけてみせるから」
その言葉には、強い決心が感じられた。
——まるで、自分に言い聞かせるようでもあった。
「英雄様が魔王に洗脳されてしまった?」
聖女たちが混乱している。
「いや、違う。こいつとは過去に因縁が——」
「因縁じゃない。愛よ」
「貴方と私は恋人だった——互いを深く愛し合っていた」
(そうだけど。今は違うだろ)
俺は棺桶の中で頭蓋骨を抱えていた。
中身はないんだけどな。
(死んでも逃げられないとか、ホラーかよ)
——この世界での俺の姿もホラーだけどさ。
◇
会場中に響く声で、聖女が叫んだ。
「絶対に認めません! 英雄様は神のものですっ!」
「それに仕えるべきは、敬虔なこの私です!」
(自分で宣言したぞ、おい)
「この場ごと葬り去ろうかしら」
魔王が獲物を射殺すような眼差しで、聖女を捉える。
「何も知らない、そこの聖女さん。ユウト君はね、神よりも先に、私に愛を誓ったのよ?」
そして、彼女は指輪を天に掲げる。
「この指輪、覚えてる?」
「『永遠に一緒にいような』って」
「『安物だけど、気持ちだけなら負けないよ』って」
(公開羞恥! やめろレイナ!)
「え、英雄様にそんな恥ずかしい過去が——」
動揺する聖女を無視して、魔王が続ける。
「初デートは映画館——待ち合わせに30分の遅刻。上映に間に合わず、観れた映画は当日券のB級ホラー」
「そういえば、あの映画の主人公も骸骨だったわね」
魔王が目を細めながら、棺桶を見ていた。
「何の話かまったく分かりませんけど——それでも、私の方が英雄様を理解してますっ!」
「それは呪いの指輪。英雄様を苦しめる悪の指輪です!」
「何ですって——死になさい、貴女」
「ひ、ひっ! でも、負けませんからっ!」
(や、やばい! 聖女が地雷を踏み抜いた)
魔王の周囲で、黒い炎が燃え盛る。
スキル感知。あれだけのエネルギーが放出されたら、この都市一つが滅びかねない。
「指輪は俺にとっても、世界一大事なもの——俺がレイナを好きだったという証明だ!」
オークション会場の中心で愛を叫んだ。
(クソ恥ずかしい! 助けてください!)
「分かったかしら、聖女さん?」
魔王の覇気が収束した。
(俺は知っている。あいつは独占欲が強く、嫉妬心も魔王クラスだが、意外とお世辞に弱い)
「いいえ。英雄様と私は将来が約束されています——指輪の呪いを解いて、英雄様を最高のお姿に復活させます」
聖女が魔王を睨み返していた。
(ここで張り合うな、聖女ッ!)
「将来って。そんなこと言ったところで、あなたの未来はここで断たれるんだけど」
「死になさい、今すぐ」
魔王の黒い炎が激しく燃え盛る。
そして、瞳が赤く輝き始めた。
(ヤバい! あれは俺が初めて浮気してしまった時に見た瞳と同じだ!)
「魔王と英雄は互いを必要とする。運命レベルでな」
「俺たちの愛があれば、きっとなんだって出来るはずだ!」
「ふふっ、そうよねユウト君』
魔王は満足げな笑みを浮かべており、何とか落ち着いたようだった。
「英雄様が苦しんでいます——でも、愛があれば絶対に清められます!」
聖女がどこからか聖水の樽を三つ持ち出してきた。
(三つはヤバいって! 聖水に溺れて土左衛門に!)
「落ち着け! 呪いなんかじゃないからな!」
「これは呪いじゃなくて、ただただ純粋で深い深い愛、よね——愛し合う私たちには、当然のこと」
「いや、それは——」
(これは愛ではなく、もはや怨念なのでは)
「どうしてすぐに答えられないの?」
「聖女の聖水も魔王の殺気も、両方とも愛だからだ!」
「へぇ、そう。なら消えなさい」
建物が揺れ始める。いや建物じゃない。
——この空間、そのものが揺れている。
「呪いのせいで英雄様が揺れていますっ!」
「違うからな! 俺じゃなくて、この空間自体が危機を迎えてるんだよ!」
(スキル感知。いや危険察知)
魔王には、説得も魔術も通用しない。英雄としての資質も能力も関係なく、通用するのは、きっとただ一つ。
——その場凌ぎの、弁論術。
(レイナを期待させすぎないように、特別な存在であることを察してもらうしか!)
「クソがっ! これが英雄のスキルなのかよ。剣じゃなくて、話し合いで世を渡れってことだ!」
「はい! 世界を調停するのが英雄ですっ!」
聖女が期待に満ちた眼差しで、俺を見つめていた。
(違う、そうじゃない)
「そんな目で見つめてたら、本当に呪われちゃうかも——この世界ごと、破滅させようかしら」
「落ち着け、レイナ! 今、お前に向けた真剣な想いこそが、本当の愛の証なんだ!」
「あ、当たり前でしょ、何を今さら」
(よしっ、魔王の殺気が弱まった)
「そんなわけありませんっ! 魔王に愛なんてありえません——魔王は全ての愛を否定して、相手を破壊するだけの存在ですっ!」
(やめろ聖女! それはあいつに効きすぎる!)
「……ひどーい。傷ついちゃった」
再び魔王に覇気が集中していく。ややこしくなった事態のように、空間が紙のように捩れ始めていた。
「魔王は何だって破壊しちゃう——あなたたちの希望とともに」
——今度のはマジでヤバい。観客はすでに立っていられないようだった。
「待て待て! 全部壊しちゃったら、お前が聖女に見せつけるチャンスもなくなるだろ!」
「何かでマウントを取れなきゃ、ヒエラルキーは生みだせない!」
「それもそうね。私がこんなつまらない女に負けるわけがないし——ユウト君との関係を見せつけてやらないと」
魔王の覇気が収束していく。間一髪のところだった。
「だったら、この魔力で破壊してあげようかしら」
魔王が取り出したのは札束だった。宙にそれをさっと投げると、ひらひらと舞っていた札たちが彼女の周りで静止した。
「あはは! ほら見なさい、あなたたち!」
「これが魔王軍の強さであり、世界の絶対的尺度!」
見たこともないほどのセレス札が、魔王の周囲で浮遊している。
「あなたの全てを、この力で手に入れてみせるわ!」
「今度は誰も私に敵わない——愛だって、金だってね!」
(執念には、数多くの犠牲が伴うんだ)
——偽札工房の社畜ども、聖女の杖の中で元気にやってるか?
「なんて卑しい戦い方でしょう。魔王の力なら、簡単に全てが手に入るというのに」
「お金で買えないところにほど、愛があるのかもしれません——」
リサが聖女のようなことを言い始めた。
「英雄様は常に賢明な判断をなさるのです。信念は決して揺らぐことはなく——いつだって正解の道だけを歩み続ける」
(そうだな。ひとつでも間違えばゲームオーバーだったしな)
「ただの執念を、愛と間違うことなんて絶対にあり得ませんからっ!」
聖女が、札の渦にいる魔王に向かって。
「でも、あのセレス札は普通に使えますよ。英雄様を手に入れるために、社会に支払うべき対価となり得ます」
「そもそもこのオークションがそういうものですし」
リサがアバカスを弾きながら、正論を語っていた。
「貧乏教会に1000万オーリスなんて、払えるわけないだろうし、もう私の勝ちでいいわよね?」
大きな札の渦の外に、小さな渦を巻き起こしながら、魔王が不敵な笑みを浮かべていた。
「……い、1200万!」
「教会の保有地を売れば出せますっ!」
「可哀想。じゃあ1500万」
「くっ、もう教会には資産が——」
聖女が苦虫を噛み潰したような表情に。しばらく逡巡すると、彼女は再び宣言する。
「1800万! ステンドグラスやフレスコ画なんてもう要りませんっ!」
「大事なのは心ですっ! 私は私の信仰心にお金を払うのですっ!」
(これが金の魔力だというのか。ある意味、魔王よりも凶悪なのでは?)
もはや聖女は正常な判断を下せていない。
いや、決してダジャレなんかではなく。
「2000万。こんなのすぐに稼げちゃうけど」
「すぐに稼げるって、一都市を丸ごと掌握できる規模なんですが……」
リサが目を丸くしていた。
多分、彼女はこの勝負から降りたのだろう。
というか、普通は乗らない。
「ちなみに教会はどうなるんだ」
「小屋しか残らないでしょうね。聖地もモニュメントに縮小でしょう」
「でも、心配ありません——教会は必死に寄付と寄進を募るでしょうから」
「問題しかないだろ。英雄とか魔王とかすっ飛ばして、内から崩壊の危機が!」
(魔王はほくそ笑んでるし、聖女は意味不明な決意を固めてるし)
オークション形式が招いた意地のぶつかり合い。世界はあまりにも単純なことでピンチを迎えていた。
◇
「大体、聖女になんでそんな権限があるんだよ」
「神託だからです。英雄様に関することであれば、司祭様を超える権限さえ行使できますっ!」
聖女は神の代行者にランクアップしていた。
「に、2100万。ここからは未知の領域ですが、何とかなりますっ!」
灰商会の商人が何かを帳簿で計算した後に、聖女へと手形を持ってきた。
「売却ではなく、貸付の扱いになります。教会の資産をすべて抵当に入れることになりますので、ご了承ください——金利は有効な資産との比率にて決まりますので、一覧表を確認していただけると幸いです」
聖女はそれをちらりとは見たが、内容はまるで無視といった様子だった。
(宗教そのものの信用取引が始まってないか)
信仰はついに金融へと舵を切った。
「2500万。どこまで付いてこれるのかしら?」
魔王が満足げな笑みを浮かべながら入札する。
「2700万。貴女になんて負けませんから」
「マジかよ。身も社会集団も滅ぶぞ」
面倒くさがりの死体が、マジで心配するレベル。
(いや待てよ。これって聖女の作戦なのでは?)
魔王を刺激して、入札額を信用能力の限り吊り上げる。落札できなければ、教会に損失と発生しない。
——魔王に落札されれば、経済的な打撃を与えられる。
(意外とやるじゃん、聖女)
その場合、犠牲となるのはレンタルされる英雄のみ。
(って、俺が駄目じゃねえか!)
「何があっても私は負けませんから」
聖女はどこまでも強気だった。これが信仰心であると示さんばかりに——
「じゃあ、2800万。一気に終わらせてもいいんだけど」
「2900万。全てを投げ出す覚悟は出来てます」
聖女が天を仰ぎ始めた。こいつを止めろ、神。
「3000万。あーあ、教会が物置になっちゃうかも」
「誰にも渡さないわ——今度こそ、絶対に」
「やべぇよ。こっちも本気だ……」
骨は戦慄する。
その声には、魔王の執念が滲んでいた。




