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第3話:洗濯場の毒

(洗い場は、想像以上に整っている……が、それが却って臭うな)


 コウは腰をかがめ、洗濯場の石畳に膝をついた。

 日が傾き、蒸気が昇る洗濯桶の間を、汚水がゆっくりと流れていく。


「そちらの布……さっき亡くなった赤子の肌着か?」


「は、はい。下女たちが洗っておりましたが、途中で止めさせました」


 宦官のひとりが差し出した竹籠の中には、乳児の衣が三枚。

 どれも細かい刺繍が施され、柔らかい絹布でできている。


 だが、コウが注目したのはそれではなかった。

 衣に残された、わずかな粒子だった。


(洗い残し……というには、粒が粗い。これは……)


 布の一部を引き裂き、小瓶にしまう。


「下女たちを呼べ。洗濯担当全員だ。年齢順に並べて、手の爪を見せさせろ」


「は、はい!」


 慌ただしく宦官が走る。

 しばらくして、十数人の下女が呼ばれ、洗濯場の片隅に整列した。


 皆、年の頃は十五から二十ばかり。色白な娘から、日に焼けた田舎娘まで様々だ。


 コウは一人ひとりの手を取り、指の隙間、爪の裏、掌の硬さを丹念に調べていった。


(この子は左利き……爪の裏に繊維片あり。が、それだけだな。次)


(この娘、手に傷がある……ふむ、これは石鹸による皮膚炎か)


(――ん?)


「お前。何か触ったか?」


 そう問われたのは、顔にそばかすの浮いた娘だった。

 黒髪はまとめられ、洗い場の石粉が足元に付いている。


「……洗っただけですけど?」


 特に怯えもなく、事もなげに答える。

 他の下女が緊張でこわばる中、彼女だけが淡々としていた。


 コウは彼女の手を取り、爪の隙間から小さな粉粒を摘まみ取る。


「この粉、どこで手に入れた」


「……使ってる石鹸です。泡立ち悪いから、余った香料混ぜてるって」


「香料……?」


 コウは眉を寄せた。


「誰が混ぜてる」


「洗濯場に出入りしてる宦官の人です。南門担当の」


 コウの視線が鋭くなった。


「香料じゃない。これは乾燥した鉱粉だ。――つまり、漂白成分。過マンガン酸塩が含まれてる。口に入れれば危険だ」


「……えっ」


 そばかすの娘が目を丸くする。


「何人かの赤子の肌着にも、同じ粒子が付着していた。つまり――」


 コウは立ち上がり、周囲を一瞥した。


「洗濯用の粉に毒性成分を混ぜていた奴がいる。使用後の布を通じて、赤子がそれを舐め、吸収し、症状が出ていたんだ」


 一同がどよめく。


「だが、毒の量は極めて微量。洗い方や干し方によっては、害にならずに済む。だから全員が死ぬわけじゃなかった。むしろ、きっちり洗っていた娘ほど、被害が大きかった」


 そばかす娘が、はっと息を呑む。


「……あの、もしかして私……」


「気にするな。お前のせいじゃない。毒を混ぜたのは――その南門担当の宦官だ」


 コウは立ち去ろうとしたが、ふと足を止めて振り返る。


「名前は?」


「フンという宦官です。背が高くて、よく水桶を運んでくれてました」


 コウはうっすらと笑った。


「親切な顔をしていたなら、間違いないな。明日には捕らえられるだろうよ。……下手をすれば“絞首”だな」


「ひっ……」


 下女たちが一斉に肩をすくめる中、そばかす娘だけがひとり、黙って空を見上げた。


 洗濯場の空に、風が流れ、雲がちぎれた。



 その夜、コウは謁見の間で再び報告書を提出した。


「宦官フン、下女を通じて布に毒を混ぜ、赤子を間接的に殺していた。動機は不明だが、現場から毒粉と印のついた布が見つかった」


「……証拠は十分か?」


「爪の中、繊維の粒、さらには混入ルートまですべて再現できる。これで足りないなら、死人をもっと出させるか?」


 皇帝は沈黙したあと、口を開いた。


「異端医よ。これほど短期間でここまでのことを」


「死人を増やしたくないだけです」


「……願わくば、そなたの働き、我が帝に仕えさせたいが」


「丁重にお断りします」


 その場の誰もが息を呑む中、コウは振り返りもせず退出した。


(香りも呪いも、役には立たん。必要なのは、観察と推理だけだ)


 だが、その足音の背後に――

 また新たな死が忍び寄っていることを、彼はまだ知らなかった。

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