第2話:赤子はなぜ死ぬのか
宮中の空気は、薬草と香の匂いでできている。
だがそれは、医師コウにとってはただの異臭だった。
異国の香料が混ざった粉で体を洗い、色付きの水で喉を潤す。
そんな生活をしている人間に“命”を扱う資格があるのか――コウはそういう視線で、目の前の女官を眺めていた。
「ご覧のとおりでございます」
侍女頭らしき女が、膝をついて乳児の遺体を前に嘆いていた。
死んだのはまだ生後二ヶ月。皇帝の側室の子、つまり皇子候補である。
「……産まれてからずっと、咳をしておりました。けれど、他の子も皆、同じように」
「他の子?」
「今月に入って、これで四人目です。いずれも、産後ひと月を過ぎた頃に体調を崩し……」
コウは床に置かれた陶製の水盆へ歩み寄る。
乳児の産湯として使われたものだ。中にはまだ、薄く濁った水が残っていた。
しゃがみこみ、指先を水面に浸す。
(鉄臭い……井戸水か。いや、これは――)
「水はどこから引いてる」
「“南井”と呼ばれる古井戸です。宮廷の端にあり、妃たちが専用に使っております」
コウは立ち上がった。
「……調べる。地図を出せ。あと、赤子に直接触れた女官全員を検査する」
「け、検査?」
「唾液と手のひらを見せるだけでいい。嫌なら、他の死体を増やせばいい」
女官たちが小さく悲鳴を上げ、ざわつく。
宦官のひとりが小走りでやってきた。
「医師コウ殿、陛下がお呼びです」
その言葉に、周囲が一瞬で凍りついた。
皇帝直々の召喚。これはつまり――責任を問われる、ということだ。
(なるほど、これは……単なる使い走りでは終わらんようだな)
コウは唇の端を僅かに持ち上げた。
人の死に慣れた目には、王の怒りも、妃の涙も、関係がない。
自分に関係あるのは、真実だけだ。
謁見の間には、重々しい沈黙があった。
文官、武官、そして後宮の長たちが膝をつく中。
唯一立ったままの医師コウが、無遠慮に口を開く。
「赤子が死んだ原因は、体質でも呪いでもない。水だ」
「水……とは?」
「特定の部屋でだけ、井戸水を使っている。そこの水源に、感染源となる有機物が混ざっていると考えられる。特に、妊産婦や乳児の免疫では防げないタイプの菌だ」
「では、病ということか」
「病に見せかけた殺意です」
一同がざわついた。
コウは動じない。
「誰かが、井戸に特定の菌を植え付けている。放っておけば、今後も赤子は死ぬ。間違いなく」
重い沈黙。やがて、皇帝が口を開いた。
「証拠はあるのか?」
「ある。死んだ赤子の粘膜に共通する斑点。使われた布類に残された胞子痕。水源を調べれば、すぐにわかる」
文官たちが顔を見合わせる。
「それにしても、なぜ赤子を狙う。妃ならともかく……」
その疑問に、コウは僅かに間を置いて答えた。
「妃に手を出せば即処刑。赤子なら、病と処理されやすい。しかも、皇子候補が減れば――他の妃の子が有利になる」
「つまり……」
「誰かが、己の子を皇帝にするために、他の妃の赤子を“間接的に”殺している」
戦慄が走った。
しかし、その瞬間――
「ぎゃっ!」
遠くから女官の悲鳴が響いた。
廊下の向こう、運ばれてくる布の包み。
それは、五人目の赤子の死だった。
間に合わなかった。たった今、またひとつ命が失われた。
コウは、その場を歩き出す。
「井戸の調査はすぐやる。あと、布を調べさせろ。……誰が洗濯を担当してる?」
若い宦官が答える。
「洗濯下女に任せております。最近、辺境から連れて来られた者も含まれているかと……」
「辺境から?」
コウの瞳がわずかに細くなった。
「……面白くなってきたな」