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君がいた証

 十分ほど外を歩くとマリちゃんが急に立ち止まった。


「ここが逸くんのおうちだよ」

 

 そう言われて目の前の建物を見る。

 さっき見た建物の半分、いや、半分の高さもない、年季のあるアパートだ。オートロックなんて付いていない。


 二階へと続いている茶色くサビついた階段を上っていく。


「逸くん。カバンのポケットから鍵を出して」


 二〇二と書かれた部屋の前で、マリちゃんが立ち止まる。カバンのポケットには誰が入れてくれたのかわからない鍵が入っていた。それを取り出して、マリちゃんに差し出す。

 でもマリちゃんは受け取ってくれなかった。


「逸くんのおうちだから逸くんが開けて」


 『ぼくのおうち』と言ったマリちゃんの言葉から、ぼくがまだここが自分の家だという自覚が持てていないことを読まれたのかと思った。

 恐る恐る鍵穴に鍵を差し込み、右向きにぐるりと回す。まるで旅行先のホテルの部屋に初めて入るときのような新鮮な気分だ。


 ガチャリと鍵が開く音がして、とっさにマリちゃんの方を見た。マリちゃんは、ぼくと目が合うと小さく頷いた。

 それを何かの合図とするように、ぼくは思いっきりドアを開けた。空っぽの空気が舞い込んでくる。

 ぽたり、という水の音がどこかから聞こえてきた。恐る恐るゆっくりと中へ入る。

 ぼくは小さく「ただいま」と呟いた。

 パソコンの画面くらいしかないテレビの前にカバンをおいて周りを見渡す。ものはあまり多くない。

 

 ここがぼくの部屋なのか。

 

 大きな二人掛けのソファ。二つのマグカップ。二本の歯ブラシ。二つの枕。ところどころに二人分の人が住んでいた形跡がある。ぼくとマリちゃんがいた証がある。なんだかそれだけで安心してしまう。

 

 自分の目で確認して、本当にマリちゃんと生活していたんだと知って、初めて心から安心できたような気がした。答え合わせをして正解していたときのような気分だ。

 

 一通り部屋を見てから、ソファに座り何も映っていないテレビを見る。

 

 ぼくとマリちゃんはここに並んでテレビを見ていたことがあるのだろうか。

 ぼくはどうしてそんなことも思い出せないのだろうか。

 今すぐに花丸をつけたいのに、丸かバツかもわからないのはどうしてだろうか。

 

 でも、こんなぼくでもマリちゃんは一緒にいたいと言ってくれたんだ。



「マリちゃん。ぼくと一緒に住みたいって言ってくれてありがとう」

 ポツリと独り言のように呟くと、「うん」と背後からマリちゃんの声がした。


「ちゃんとマリちゃんを好きな気持ち、思い出すから待っててね」

「うん」というマリちゃんの声がさっきより少しだけ小さくなる。


「全部思い出したら、次はぼくから告白するね」

 今度はもう返事が返ってこなかった。

 

 後ろを振り返ると、マリちゃんは靴を履いたまま、玄関でしゃがみこんで静かに泣いていた。


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