表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/6

第1話 ラーメンが導く運命の交差点

 朝もやのかかる王都の街並みからは、今日も湯気が立ち上っていた。


 人々が家を出ると同時に開店の準備を進めるのは、ラーメン専門店や屋台の数々。どこからともなく漂うスープの香りに誘われ、貴族も平民も等しく一杯のラーメンを求めて足を運ぶ。この王国では、剣術や魔法の修行に励む者も少なくないが、それ以上に「ラーメン」の腕前を磨くことこそが、地位や名誉を得る最短の道とされているのだ。


 王族でさえも、どの店のラーメンがいちばん美味かという話題で盛り上がり、貴族たちの社交場では麺のコシについて語り合うのが当たり前。そんな奇妙な価値観が当たり前に通用する国が、このディアフェル王国である。


 人々は皆、子どもの頃からラーメンをすすり、独自の作法やレシピを学んで育つ。例えば貴族の家庭ならば、高級な食材をふんだんに使った濃厚なスープを(たしな)むことが日常で、かたや庶民の家庭は限られた材料でも工夫をこらして美味しい一杯を作り出す。どちらが優れているかを決めるのは難しいが、ラーメンをこよなく愛する文化がこの国の隅々にまで行き渡っていることは確かだ。


 ディアフェル王国において、上流階級と呼ばれる人々の間でもひときわ名声を集めるのが公爵家であるローゼンベルク家。その令嬢として知られるレティシア・フォン・ローゼンベルクは、まばゆい金色の髪と透き通る青い瞳を持ち、気高い振る舞いで周囲を圧倒する存在だった。


 彼女は学院に通う貴族の中でも特に評価の高い学生の一人である。礼儀作法、音楽や舞踏、あるいは学問の分野においても非の打ち所がない成績を残してきた。それだけでも十分なはずなのに、彼女にはもうひとつ、誰にも真似できない絶対的なこだわりがあった。それこそが、ラーメンである。


 レティシアほど「ラーメン」という料理に対して細部まで追究しようとする者はほとんどいない。公爵家の令嬢として格式を重んじる一方で、麺の太さや加水率、スープの火加減や素材の選定まで、すべてに自分なりの理想を追い求める姿勢は並々ならぬ熱量を放っていた。


 実は彼女がラーメンにのめり込むきっかけとなったのは、まだ幼かった頃にさかのぼる。ある雨の日、偶然にも屋台のひとつで口にした素朴な醤油ラーメンが、彼女の心を一瞬でつかんだのだ。華やかな貴族の食卓では口にすることのない、素朴ながらも奥深い味。そのとき幼いレティシアは、大きな衝撃を受けたという。


 貴族たちの間で好まれるのは、複数の高級食材を用い、豪華な見た目も重視したラーメンである。しかし、屋台で食べた一杯には、どこか家庭のぬくもりのような優しさがあった。あの瞬間以来、レティシアの胸には「いずれ自分の理想のラーメンを完成させたい」という密かな願いが芽生えていたのだ。


 もっとも、彼女の普段の振る舞いからは、そのような熱い情熱はなかなか想像しにくい。学院では常に冷静沈着であり、周囲からは「冷酷な令嬢」とさえ(ささや)かれている。事実、味に妥協しないため、王都のラーメン店で少しでも物足りなさを感じると容赦なく指摘してしまうことがある。気高い公爵家の娘が厳しい言葉で店の改良点を指摘する姿は、多くの人々にとっては怖れと同時に尊敬の対象ともいえるのだろう。


 しかし、レティシアは誰にどう思われようと意に介さない。それよりも大切なのは、ラーメンの味を追求すること。彼女はそう固く心に決めているらしく、寝る間も惜しんでレシピの研究に打ち込む日々を送っているという噂だ。


 一方、その学院にはもう一人、ラーメンに対して特別な思いを抱く少女がいた。平民出身の奨学生、マリア・ブランシェである。


 マリアは、庶民にしては珍しく高い学費が必要とされる学院に入学し、貴族の子弟たちと共に学ぶ資格を得た。その理由は彼女のまっすぐな努力と、天真爛漫な明るい性格によるところが大きい。何よりも、学院側が求める「ラーメンに対する探究心」を見抜かれ、奨学生として選ばれたのだと噂されている。


 マリアは幼いころ、家族が営む小さな食堂を手伝っていた。そこでは豪華な食材こそ使えないが、工夫次第でいくらでも美味しいものが作れる、という母の教えを日常的に叩きこまれたという。ささやかながらも、その食堂の名物ラーメンは地元の人々に愛されていた。マリアはそんな食堂を切り盛りする家族の姿を見て育ったことで、ラーメンが人の心を温かくし、笑顔にする力を持っていると強く信じるようになった。


 学院に入学してからというもの、マリアは授業の合間や放課後に、ひたすら麺打ちの練習を繰り返している。時には麺の配合を変え、時には違う種類のダシを試し、どれほど失敗してもめげない粘り強さは、周囲の生徒を驚かせるほどだ。


 さらに、マリアは「いつか自分の店を持ちたい」という大きな夢を抱いている。平民ながらに学院で学んだラーメンの知識や技術を活かして、誰もが気軽に立ち寄れる店を開きたい。そしてその店で多くの人々が幸せそうに麺をすすっている姿を見届けたい――それがマリアの原動力となっているのである。


 そんな二人は、まだ直接に言葉を交わしたことはなかった。ただ、貴族の子弟や教師たちの間で「ラーメンの腕がすごいらしい」と評判になっているという点では共通しており、学院内の廊下ですれ違ったときには、お互い一瞬視線を交わすくらいの接点はあった。


 レティシアは、無意識のうちにマリアの姿を探してしまうことがある。それは、噂によれば、マリアの作るスープが斬新であるという話を聞いたからだ。レティシアは伝統や格式を重んじるからこそ、新しい発想を取り入れることに多少の興味を持っており、その点でマリアは気になる存在になりつつあった。


 しかしながら、レティシアは表立ってマリアに近づこうとはしない。公爵家の令嬢という立場上、安易に平民の奨学生へ声をかけるのははしたないと思われかねないし、なにより自分から興味を示すのはプライドが許さないのだ。


 一方のマリアも、学院でたびたび耳にする「レティシア・フォン・ローゼンベルクはラーメンに関して一切妥協しない」という評判に、少しだけ胸を躍らせていた。ラーメンが好きな人となら、いつか話せる日が来るかもしれないし、作り方のコツや知識を教えてもらえるかもしれない。


 とはいえ、レティシアの名を聞くだけで身震いするほどの生徒も少なくない。公爵家に生まれ、学院で抜群の成績を誇る彼女は、ある種の畏敬の対象であり、同時に近寄りがたいオーラを放っている存在だ。それだけで、マリアも迂闊(うかつ)には行動に移すことができずにいた。


 そんなある日のこと。学院の大広間では、近いうちに開催されると噂される新しい行事の話題で持ちきりだった。どうやら、学院の伝統的なイベントとして、学生たちが自作のラーメンを披露して品評し合う場が設けられるらしい。


 剣術大会や魔法競技会なども存在はするものの、この国では何といってもラーメンに関する行事が一番華やかだと言われている。実際、教師陣やラーメンギルドのメンバーまでもが招かれ、王都の有名なラーメン職人の審査を受けられる機会とあって、学院生たちは皆そわそわしていた。


 マリアはそれを聞くや否や、夢にまで見た「自分のラーメンを認めてもらうチャンス」だと目を輝かせる。いっそう研究に熱が入り、放課後の調理室からは彼女の作るスープの湯気が漂うようになった。


 他方、レティシアもその行事を見据えて淡々と準備を進めている。彼女は、貴族でありながら庶民の屋台ラーメンに魅せられた過去があるからこそ、伝統と革新の融合をどこまで突き詰められるのかを常に考えていた。最近では、王都の各店から取り寄せたスープのサンプルをじっくりと味見し、自分の理想の味と何が違うのかを一つひとつ検証する作業に没頭しているらしい。


 周囲からは「そこまでしなくても」という声が聞こえるが、レティシアにとっては大事なことだ。完璧なラーメンを追求する姿は冷酷と称されようが、彼女自身はまったく気にしていない。そのどこか鋭い眼差しは、新しい材料や未知の調理法の発見に対して貪欲に燃えているようにも見えた。


 そして、そんな二人の視線が、学院の中庭で奇妙に交差する瞬間があった。マリアが、何かのメモ書きを取り出しながら新しい麺の配合について友人に話していたとき、偶然にもレティシアがその通り道を歩いていたのだ。


 ふと目が合うと、マリアは思わず小さく会釈をする。ところがレティシアは一瞬だけ眉をひそめたようにも見えたが、そのまま足を止めることなく通り過ぎてしまった。


「今のが……レティシア・フォン・ローゼンベルク……」


 マリアは心の中でそうつぶやき、軽い緊張を覚える。誰もが恐れる彼女にちょっとでも挨拶を交わせただけでも意外だったが、やはりどこか冷たい雰囲気を感じる。しかし、同時にマリアには、その横顔からにじみ出る強い意志が何かしら気になって仕方がない。


 レティシアのほうも、わずかなすれ違いの間に、マリアが持っていたメモの一端を見た気がした。そこには、聞きなれない昆布や魚介、さらには独特な香辛料の名前が並んでいたように思う。見なかったことにしようと頭を振るが、それでも記憶に残るのは、その材料の組み合わせがまるで常識の枠を超えているかのような斬新さを感じたからだ。


「……妙な素材を使っているのね。あの子、何者なのかしら」


 レティシアは誰にも聞こえないように小さくつぶやいた。それは好奇心とも警戒心とも取れるような不思議な響きを含んでいる。


 こうして、貴族としての地位を持ち、伝統を重んじながらもラーメンに情熱を注ぐレティシアと、平民出身ながら独創的な発想と愛情でラーメンを作り出すマリア。二人の運命の糸は、まだ決定的に絡み合ったわけではないものの、学院で顔を合わせたあの一瞬が、これからの波乱を予感させるきっかけになったのは間違いない。


 やがて訪れるだろうラーメンに関する大きな行事。そして、それに向けて水面下で進む二人それぞれの準備。


 貴族社会で威厳を示すためには、ラーメンの技術こそが何よりのステータス。その世界の中で、レティシアとマリアの物語が少しずつ動き出そうとしていた。どちらが正統派といえるのか。どちらが人の心を打つ一杯を作るのか。まだ答えは出ないが、いずれは二人の道が大きく交差することだろう。


 スープの湯気の向こうには、まだ見ぬ新たなレシピの数々が広がっている。もし彼女たちがその麺の先にある可能性を切り開けば、この国のラーメン文化はさらに豊かな味を得るに違いない。そんな予感を抱かせる静かな学院の一日が、そろそろ幕を閉じようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ