40.古の呪法
「カーティスさま……?」
レイチェルが首を傾げると、カーティスは苦しげに顔を歪めた。
そして、彼は深くため息をつくと、レイチェルを抱く腕に力をこめる。
「大丈夫だ、レイチェル。もう、あのようなことにはならない。そのために準備してきたんだ。あの時は知らなかった古の呪法も見つけた。何も心配することはない」
カーティスは諭すように言うと、レイチェルの背中を優しく撫でた。
「カーティスさま……」
レイチェルは安堵のため息をつく。
カーティスがそう言うなら、きっと大丈夫だと信じられた。彼ならば、この逆境を乗り越えることができるだろう。
今は、過去の記憶が何なのか考えている場合ではない。
「さあ、そろそろ結界の修復を始めよう」
カーティスの言葉に、レイチェルは頷く。そして、杖を掲げるカーティスの腕に自分の手を添えた。
「はい、カーティスさま。一緒に結界を修復しましょう」
レイチェルは微笑みながら言った。その笑顔を見て、カーティスもまた微笑む。
二人の周りには光の粒子が舞い、眩い光を放っている。
その輝きは次第に強くなっていく。
レイチェルの体から、魔力が吸い取られていくのを感じた。わずかな脱力感を覚える。
どうやらカーティスも同じ状況のようだが、彼はそれでも涼しい顔をしていた。
そして彼は杖を握る手に力を込めると、静かに呪文を唱え始める。
「……『ヤミがセマ……る、ワレら、の……』」
その言葉を聞き、レイチェルははっと息をのんだ。
聞きなれない、不思議な響きであるにもかかわらず、レイチェルにははっきりと理解できる。
まさか、あり得ない、とレイチェルはカーティスを見上げる。
それは、日本語だった。
この世界の言葉ではない。前世の、日本人だった時の言語だ。
まさかこれが古の呪法だというのか。
「『リョウ、イキに……ヒカリをトモ、し』」
唖然とするレイチェルに気づく様子もなく、カーティスは必死に呪文を唱え続けている。
それを聞いていて、気づいた。
小説の中で、儀式の際に唱えた呪文だ。
だが、レイチェルの過去の記憶には、このような呪文は存在しない。実際に儀式を行った記憶はあるのに、呪文など唱えはしなかった。
何回も祈りの儀式を重ねて、ようやく結界を修復したはずだ。
では、これはいったい何だというのか。
カーティスが呪文を唱えるたびに、光の粒子は輝きを増す。それと同時に、カーティスの顔色は悪くなっていった。
脂汗を流し、苦しげな表情を浮かべている。
それでもカーティスは呪文を唱え続け、杖を高く掲げている。
「『マモノの、カゲがシノ……びヨ……る』」
カーティスの頬を汗が伝う。息が上がっているのか、呼吸は荒い。
今は理由など考えている場合ではない。レイチェルはカーティスを助けるため、口を開く。
「『我らの守りがその道を塞ぐ』」
レイチェルが続きの呪文を唱えると、カーティスは驚いたように目を見開いた。
どうして知っているのか、そう言いたげな表情だ。
しかし、カーティスは何も言わずに杖を強く握りしめると、さらに呪文を唱える。
「『イノチ……とア、イ……のケッカ……イをキズ……き』」
「『魂の盾で領域を囲み』」
「『マモ、ノのシン……ニュウをコ、バむ』」
「『命の盾よ、我らを守り給え』」
二人の声が交互に響く。
呪文が唱えられるたびに、光の粒子は輝きを増していく。
しかし、レイチェルの身体からは、どんどんと力が抜けていった。
消耗がとても激しい。呪文を口にするたびに、ごっそりと魔力を持っていかれる。このままでは魔力が枯渇してしまうかもしれない。
カーティスも同様だった。むしろ、呪文を正確に発音できているレイチェルよりも消耗は激しいようだ。
額に汗を浮かべ、肩で息をしながら呪文を唱えている。その呼吸は浅く、顔色も血の気が失せたように青白くなっていた。
それでも二人は呪文を止めることなく唱え続ける。
あと少しで結界の修復が完了するはずだ。
「『マ……モ……り……をキ、ズ……き、イ……ノ……チの……』」
カーティスの言葉が途切れ途切れになる。もう限界が近いようだ。
レイチェルも意識が朦朧としてきた。視界がぼやけ、頭がくらくらする感覚に襲われる。
あと一語を言うので限界だろう。
だが、あと二語必要なのだ。
レイチェルは必死に声を出そうとする。しかし、うまく声が出ない。
カーティスも言葉の続きを言えずにいるようだった。もう限界なのだろう。
もう少しだけ、あと少しだけなのに。レイチェルの頬を涙が伝っていく。
その時、二人の背後から声が届いた。
「『真実の言葉を宣言しよう』」
レイチェルとカーティスが振り向くと、そこにはケイティの姿があった。
彼女は青ざめた表情で二人のことを見つめている。そして、ふらりとその場に倒れてしまった。
「……っ!?」
レイチェルとカーティスは驚いたものの、すぐに祭壇に向き直る。
考えるのは、後だ。必死に、残った力を振り絞る。
そして、最後の一語を口にした。
「『我らの絆は永遠なり』」
その言葉と同時に、眩い光が辺りを包み込んだ。
その光はどんどんと強くなり、辺りを白く染めていく。
あまりの眩しさに、レイチェルは目を開けていられなくなった。どこからか、高らかな鐘の音が響いているようだ。
やがて、その光は徐々に弱まっていき、やがて完全に消えてしまった。
辺りを静寂が包み込む。そして、黒く染まっていた空は、元の青色を取り戻していた。
「おわった……の……?」
レイチェルは呆然と呟く。
カーティスは力尽きたのか、その場に崩れ落ちた。
「カーティスさま!」
レイチェルは慌てて駆け寄ろうとするが、頭がくらくらとして立ち上がれなかった。意識が遠のいていく感覚に襲われる。
「ああ……カーティスさま……」
レイチェルは必死で手を伸ばそうとするが、そのまま意識を失ってしまった。
薄れゆく意識の中で、大歓声が湧き上がるのが聞こえた。






