10.カーティス
「カーティス王弟殿下? あまり詳しくは存じ上げませんが、学園で研究者として励んでおいでだとお聞きしていますわ」
「生涯を研究に捧げたいとかで、魔術の勉強をしているという話でしたね。社交の場には出てこない方ですから、私もお顔は拝見したことがありませんわ」
「確か今年で二十一歳になられるのかしら。何せ、最も正しい血統とも言えるお方ですから……王位争いを避けるために、あえて表舞台から身を引いたのかもしれませんわ」
放課後、レイチェルは同級生たちにカーティスのことを尋ねた。
詳しいことはわからないまでも、彼の存在は知っているようだ。
「……カーティス王弟殿下の母上は、先王陛下に無理やり召し上げられたという噂ですわ。現国王陛下の母上である先王妃さまがお亡くなりになった途端に……」
「後添えの王妃となった令嬢は、カーティス王弟殿下をお産みになるとき、産後の肥立ちが悪くて、殿下を遺して亡くなってしまったとか」
「それ以来、スーノン公爵家と王家の関係も冷え込んで、スーノン公爵は王弟殿下を毛嫌いしているとお聞きしたことがありますわ。愛娘を奪われた、と……」
声を潜めて、彼女たちは告げる。
レイチェルは頷きながら聞いていた。
スーノン公爵家と王家の仲が芳しくないことは知っている。しかし、その理由までは知らなかった。
小説の設定では、そこまで詳しく決まっていなかったはずだ。
レイチェル・リグスーンとしての記憶にも、そのような話はない。
しかし、同級生たちが知っているような話なら、この世界で生きているレイチェルも知っていて当然のはずだろう。
空いている場所に本来存在しなかったカーティスをねじ込んたせいで、ストーリーに歪みが生まれたのではないか。
「ありがとう。とても参考になったわ」
レイチェルは礼を述べると、教室を後にする。
それから、人気のない校舎裏へと足を運んだ。
「さて……どうしたものかしら」
他に人がいないことを確認しながら、レイチェルは呟く。
カーティスの存在は、普通に考えれば僥倖と言える。
彼が次期国王となり、レイチェルがその妃となれば、全てが丸く収まるのだ。
王太子の血筋や結界の崩壊といった、王国を揺るがしかねない事態を未然に防ぐことができる。
そのためには王太子グリフィンの廃嫡が必要となるが、もともと王弟カーティスのほうが血筋も正当だという。
多少強引にでも、そちらに話を持っていけるだろう。
だが、懸念点もある。
「彼は……信用できるのかしら?」
レイチェルは眉をひそめる。
小説の中には登場しなかったカーティスを、どこまで信じてよいのだろうか。
彼が隣国の密偵と仲良くしていたのも気になる。
もしかすると、カーティスは隣国の密偵と結託し、王国を内部から崩そうとしている可能性すらあるのだ。
「……そうよ、味方とは限らないのよね。彼には彼の思惑があるはず。それがわからない限り、彼を信用することはできないわ」
レイチェルはカーティスがこの国に害をなそうとしている可能性について考える。
小説の展開が当てにならない以上、どんな行動を起こすかもわからない。
そもそも、彼のことは何も知らないのだ。
「……カーティス王弟殿下って、どんな方なのかしら」
レイチェルはため息をつく。
直接会って話すべきだろう。
しかし、噂では彼は微妙な立場で、王位争いからも離れようとしているという。王太子の婚約者であるレイチェルが会いに行けば、迷惑なだけかもしれない。
「どうすれば……」
「……こんなところで一人きりで考え事とは、感心しないな」
考え込むレイチェルに声をかける者がいた。
顔を上げると、たった今、心に描いていた人物がこちらに近づいてくるところだった。
「カーティス……王弟殿下……」
突然現れたカーティスの姿に、レイチェルは戸惑いの表情を浮かべる。
そんなレイチェルを見て、カーティスは小さく笑う。
「王弟殿下、か。きみの前だと、その呼称はむず痒いな。昔のように、カーティスと呼んでくれないか」
カーティスは懐かしそうに言う。
「昔って……」
レイチェルが言いかけたところで、カーティスは首を横に振った。
「ああ……覚えていないのだったな。幼い頃のきみは、私に会うといつも嬉しそうに『カーティスさま』と呼んでいたぞ。王弟殿下などと呼ばれるのは、他人行儀で悲しいな」
「も、申し訳ございません……」
カーティスの悲しそうな表情を見て、レイチェルは慌てて謝る。
「いや、責めているわけではないんだ。ただ、カーティスと呼んで欲しい。それだけだ」
「……カーティスさま?」
おずおずとレイチェルが呼びかけると、カーティスは表情を明るくした。
「ああ、それでいいんだ」
そう言って、カーティスは嬉しそうに頷く。
「あの……私に何かご用でしょうか」
レイチェルは戸惑いながら尋ねる。
彼と直接話したいとは考えていたが、いきなり現れるとは思わなかった。
すると、カーティスは微笑んだまま答えた。
「いや……きみが一人で考え込んでいたようだから、気になってね。私について知りたいのだろう? いくらでも話すぞ」
カーティスの言葉に、レイチェルは目を見開く。
まさか先ほどの呟きが聞こえていたのだろうか。
「きみが私のことを気にしてくれているとは光栄だ。ぜひとも私のことを知ってくれ。そして、きみのことも教えてほしい」
カーティスは期待に満ちた表情でレイチェルを見つめる。
「あ……あの、カーティスさま……」
レイチェルは困却しながら、カーティスを見つめ返す。
話をしたいと思っていたのだから、願ってもない状況だ。
しかし、ここまで積極的に来られると、戸惑ってしまう。
「このような場所も何だ。よければ、私の研究室に来ないか? 茶くらいは出すぞ」
カーティスはレイチェルの手を取り、告げる。
「研究室……?」
レイチェルが首を傾げると、カーティスは頷いた。
「ああ、研究者として暮らしているからな。学園に研究室が設けられているんだ。ぜひ、きみに来てもらいたい」
嬉しそうな表情を浮かべたカーティスは、レイチェルの手を引きながら歩き出す。
「あ……は、はい……」
戸惑いながらも、レイチェルは頷く。
警戒すべきだと頭では思っているのに、なぜか懐かしさを覚えて、その手を振りほどくことができなかった。