終わりと始まり
バーラルさんの屋台を手伝い始めてからは驚くほど平穏な日々が続いた。
朝早く起きて大通りに向かい、屋台を見つけてバーラルさんに挨拶をする。すると、「よう!」といつも同じ声が返ってきて、手拭いが少し乱暴に投げられる。それを受け取って顔を拭くと、作業開始だ。
ドレスの上に前掛けをして包丁を握り、野菜や肉を一口大に切り揃える。見たことのない動物の肉を切るのに苦戦していると、バーラルさんに笑われる。
仕込みが終わると前掛けはベタベタだ。その様子を見てバーラルさんは「服、買ってやろうか?」と言ってくれるけど、それは固辞している。これ以上お世話になる訳にはいかないし、下手なことをして衛兵に目をつけられるとまずい。
今のままでいい。
僅かな変化すら、私は怖くなっていた。何がきっかけで日常が壊れるか分からない。
開店準備を終えて賄いをもらい、屋台の裏に座ってコソコソと頂く。私はこの時間が一番好きだ。バーラルさんは大きな串焼きをスープの器の上に置いて、「ほらっ、ちゃんと食べるんだぞ?」と言いながら渡してくる。
私は唾を飲み込んでからゆっくりと「いただきます」と伝える。もうこの頃には本当に空腹で、串焼きとスープしか見えなくなっている。
はしたなくも夢中になって賄いをかき込んでいると、毎日のようにバーラルさんに笑われる。でも、本当に美味しくて幸せだからそんなことは気にならない。
その日、私が賄いを食べ終わる頃には大通りの人混みは激しくなり、最近はすっかり人気になったバーラルさんの屋台の前には行列が出来始めていた。
いつもは仕込みだけ手伝って帰るのだけれど、今日はとにかく忙しい。バーラルさんはスープに串焼きと余裕が無さそうだ。
「あの〜販売も手伝いましょうか?」
私は思い切って提案してみた。前掛けに頭巾姿なら、王都の人も私に気が付かない筈。
「おっ、ルクア、本当か? ちょっとお願い出来るか? スープの方を任せたい」
「任せてください!」
次々と飛び込んでくる注文をリズミカルに捌いていると、バーラルさんと目が合った。
「なんだ。随分と楽しそうじゃないか?」
「楽しいですよ」
「ならよかった。今日は何やらイベントがあるらしくてな。ずっと忙しいかもしれない。頼むぞ!」
「はい!」
バーラルさんの言葉は本当で、開店から昼食の時間までずっと忙しく、あっと言う間に時が流れていく。そして、昼の二つめの鐘が鳴った時だ。大通りにいる人々が急に歓声を上げた。
一体、何があるのか? ポカンとして大通りを眺めていたら、お客さんが気を使って話し掛けてくれる。
「今日は王族のパレードがあるんだよ」
「……パレードですか?」
「そうさ。第一王子の婚約パレードだ」
「……そう……ですか」
苦しい。息が出来ない。急に視界が狭くなって辺りが暗い。近くで歓声を上げる人達がずっと遠くにいるように思えてしまう。
アルフォンス様はこの国の第一王子。婚約・結婚されるのは当然のこと。この国の第一王子は教会から聖女に認定された女性と結婚するのが建国以来のしきたりだ。私が聖女の地位を追われたからには、次の聖女が教会から選ばれた筈。
何もおかしなことはない。あの事件が仕組まれた茶番ではないのなら……。
私を陥れた人がアルフォンス様の隣にいるかもしれない……。
私はどうすべき? 私はどうしたい?
「おい、ルクア。大丈夫か?」
「……大丈夫です」
バーラルさんが心配して顔を覗き込んできた。私はきっとひどい顔をしているのだろう。
「具合が悪いなら休めよ?」
「いえ、大丈夫で──」
──ワアァァァアアッ! とこれまで以上の歓声が耳を打ち、私は言葉を止めた。
白銀に覆われた騎馬が二列になって進んでくる。パレードの先頭がいよいよやって来たのだ。通り沿いの民家の窓が開き、国民は口々にアルフォンス様ともう一人の名前──ユーグレイナ──を呼ぶ。
あぁ、ユーグレイナ嬢か。
私は確信した。彼女ならやる。侯爵令嬢にして高い魔力を持つユーグレイナ嬢。私が聖女に選定された時、一番に不満の声を上げた人物だ。
パレードは進んでいく。
観衆の盛り上がりは最高潮だ。二頭の白馬が豪奢な馬車を引く。そしてアルフォンス様とユーグレイナ嬢の姿が見えた。
私は思わず顔を伏せた。早く……通り過ぎて欲しい。もう……行った?
顔を上げると馬車は止まり、アルフォンス様とユーグレイナ嬢がこちらを見ていた。困惑した顔のアルフォンス様。そして、愉悦を含んだ眼差しを私に向けるユーグレイナ嬢……。
ユーグレイナ嬢の口が動く。
「惨めなものね」
そう言った。そして馬車は動きだす。
しばらくの間、私の耳は何も聞こえなくなり、ただ風景が流れていった。バーラルさんが私の肩を揺らさなければ、ずっと音のない世界にいたかもしれない。
「ルクア、やっぱりおかしいぞ。もう大丈夫だから、家に帰って休んでろ」
「……はい」
私は人を避けるようにしてスラム街に戻り、暗い荒屋の中で沈むように眠りについた。
#
翌日、王都は昨日の喧騒が嘘のように静かだった。昨日のパレードではしゃぎ過ぎたのか、すれ違う人は皆、少し疲れているように見える。
大通りの人通りもいつもより少ないようだ。冷たい空気を肌で感じながら歩いていると、風景に違和感がある。
いつもの場所にバーラルさんの屋台がない。他の屋台は仕込みを始めているのに、その一角だけポッカリと空いている。
寝坊だろうか? 昨日は確かに忙しかった。いつも元気で逞しいバーラルさんも流石に疲れたのかもしれない。
バーラルさんがやって来るのを待とう。もう少しすれば屋台を引きながら現れて、「よう!」といつもと変わらない声を掛けてくれる筈……。
「ルクアさん……」
隣の屋台のおじさんが申し訳なさそうな顔をして話し掛けてきた。
「はい?」
「残念だけど、バーラルさんはもうここで屋台をやらないよ」
「えっ……。なんでですか?」
おじさんは表情を暗くする。
「昨日のパレードの後、衛兵がやってきてね。なんだかんだと文句をつけてバーラルさんの屋台の営業許可を剥奪してしまったんだ」
「そんな……」
「バーラルさんは結構抵抗してね。王都から追放処分になってしまったよ」
私のせいだ。私と関わってしまったからバーラルさんは……。もう嫌だ。全てが私から遠ざかっていく。
「これ、バーラルさんがルクアさんに渡してくれって」
そう言っておじさんは二つ折りの便箋を差し出した。開くと意外な程に綺麗な文字が書かれている。
『事情は隣の屋台のオヤジに聞いた。ルクアと過ごした時間は短いが、俺にはルクアが悪事を働くようには思えない。きっと冤罪だ。俺が王都の外に連れていってやる。待っていろ』
バーラルさん……。もうこれ以上、私に関わっては駄目だよ……。
便箋に涙が落ちる。その時、大きな影が通りを覆った。
「なっ、なんだ!?」
辺りは騒然とし、皆は空を見上げている。
「ど、ドラゴンだ!!」
誰かがそう叫んだ。威容を放つ巨大な飛竜が王都の上空を旋回している。
「く、来るぞ! 逃げろ!!」
悲鳴を上げながら人が散っていく。そして地響きと共に飛竜が着地した。粉塵が巻き上がり、大通りを塞ぐように飛竜は地面に寝そべった。そしてその背には──。
「バーラルさん!」
「よう!」
飛竜の背から飛び降りたバーラルさんは鎧姿でいつもと雰囲気が違う。
「一体、何者なんですか? バーラルさんは?」
「飛竜を操る国の者だ。知ってるだろ? 竜人国」
知ってはいる。知ってはいるけど、遥か遠くにある国の筈だ。
「おっと、おしゃべりは後だな」
隊列を組んだ衛兵達が武器を構えて迫ってきている。
「ルクア。この国に留まるか、俺と一緒に行くか。選べ」
「バーラルさん……私を連れて行ってください!」
「よし! 任せろ!」
スッと私の身体を横抱きにしたバーラルさんは驚くような身軽さで飛竜の背に飛び乗る。
起き上がった飛竜の背中はとても高く、衛兵達はこちらを見上げている。
「我は竜人国第一王子、バーラル。真の聖女、ルクアを貰い受ける!!」
「勝手なことを! 撃て!」
隊長の一声で弓矢と魔法が飛んでくるが──。
──グルァァァァアア!! 飛竜のブレスで全てが掻き消える。
「行け!」
バーラルさんの声に飛竜は応え、双翼をはためかせるとフワリと巨体が浮いた。
「つかまっていろよ」
二人用の鞍に腰を据えると、飛竜はグングン空に昇っていき衛兵達の姿は豆粒のようになる。
「そうだ。挨拶をしてから行こう」
「挨拶……ですか?」
「あぁ。別れの挨拶だ」
バーラルさんの意思を汲むように、飛竜は方向転換をしてある建物目掛けて速度を上げていく。……王城だ!
「えっ、バーラルさん!」
「大丈夫だ! 軽く捻るだけだ!」
異変に気が付いたのか、王城の一角には分厚い魔法結界が張られた。その結界の奥にあるバルコニーには人影が見える。アルフォンス様とユーグレイナ嬢だ。結界に自信があるのか、随分と余裕の表情だ。
「撃てぇ!!」
──グルァァァァアアア!!
先程とは桁違いのブレスが咆哮とともに放たれる。結界とブレスがぶつかり合い、衝撃で大気が揺れた。そして──。
──バリンッ! と結界が砕け散った。減衰したブレスは軽い衝撃波となってアルフォンス様とユーグレイナ嬢を吹き飛ばす。
もう一度旋回してバルコニーを覗くと、引き攣った顔の二人が近衛兵に守られていた。彼等を見るのは、もう本当にこれで最後だ。
「さて、行くか!」
「はい!」
さよならアルフォンス様。さよならラルジュ王国。
私を閉じ込めていた王都はすぐに見えなくなった。
「あの、バーラルさん……」
振り返ってバーラルさんの顔を見る。
「どうした?」
「さっき、私のことを"貰い受ける"って言ってましたけど……」
「俺は伴侶を探す旅をしていたんだ。そして理想の相手を見つけた……。ルクア。俺と共に人生を歩んでくれないか?」
「はい。喜んで」
何かを察したのか、飛竜が高い声で鳴いた。少し驚いて身をすくめると、グッと背後から抱き寄せられる。これからは何があっても大丈夫。そんな安心感で満たされる。
飛竜は速度を上げ、やがて国境を越えた。
さようなら。今までの私。
私はこれから始まる新しい生活を想像して胸をときめかせるのだった。
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『魔法で猫の姿にされて困っていたら、変態王子に拾われました。早くも身の危険を感じています』
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