ようやく自己紹介
「それはこの話を受ける、ということか?」
「……」
こちらの気まずさを一切無視して直球で質問、回答を早急に求めてくる辺り合理主義極まれりという感じ。もうちょっと遠慮というものを……婉曲な表現を学んでいただきたい。
「一時保留です。前向きに検討させていただきます。ということで、色々聞いておきたいんですがよろしいですか?」
「そうですね。お客様の場合は私の方からもあらかたご説明させていただいた方が良いようです」
これはもう断ったりしないよね? という意味も込めてサフィナさんを見つめると、彼女は期待通り重々しく同意の頷きを返してくれた。先ほどはこちらの美青年に丸投げするような形だったが、何一つ承知せずに来た私に関してはある程度の解説が必要と判断したようだ。
いかにも接客慣れしていますといった彼女の方が私も問いかけやすいし話しやすい。この態度のデカイ美青年と二人きりになる前に、基本的な知識は先に仕入れておきたいところだ。自分とまったく異なる種族の、括りとしては異性にあたる存在と年単位で過ごすことになるーーというのは、しっかり考えれば考えるほど頭の痛い状況だ。どうすればいいんだ、という不安しかない。
「ちょっと失礼して……」
立ち上がったサフィナさんは、向かった奥のデスクで何やらごそごそすると黄ばんだ紙っぺらを一枚持って帰ってきた。それにザッと目を通した上で「なるほど」と呟く。
次に呼びかけたのは未だに立ちぼうけの彼の方へだった。
「まずこちらのお客様の世界に、すでに龍はいないようです。もしくは世俗を離れて隠遁しているか、ですね」
「ふむ。道理で話の通りが悪いと思っていた」
どうでも良いが二人して顔が良い。失礼千万オトコの方も、顔だけならいつまでも見ていられる。顎に手を当てて思案する、気障っぽくてわざとらしい仕草すらサマになるなんて反則級の顔面だ。
「何だ?」
気付くとぼけっと眺めていたらしい。視線に敏感なのか、彼はすぐさま私を振り向いた。
「いえ、何でもありません」
「そうか」
「……」
突っ込んで聞く、ということをしないんだよなこの子。
今回は突っ込まれると答えに窮してしまうので聞かないで欲しかったが、何でも額面通りに受け取るというか、一つ聞いてその答えに納得すればそれ以上は追及しない。嘘をつかれている、とか、誤魔化されている、とか思わないんだろうか。それとも、そんなことは気にならないということか。となればそもそも私に興味が無いということなのでは?
「……お客様?」
「はい? あ、すみません聞いてなかったです!」
恐らく私の返答が必要なことを話していたのだろう。サフィナさんの薄いグレーの瞳が気遣わしげにこちらを覗き込んでいる。
「何の話でしたっけ……」
「お客様の世界における、龍の立場についてお訊ねしました」
「立場……えーっと、実在する『龍』だという御二方を目の前にして言い難いんですが、神話とか、昔話とか……もうフィクションの存在ですね。なのでそのー……『龍です』と言われても……」
「信じられないということか?」
「まあ、はっきり言ってしばえばそういうことだけど」
「さっきお前も見ていただろう。あれが俺のもう一つの姿だ」
「もう一つの?」
想像していた答えとややズレがあって頭に疑問符が浮かんだ。あれが元の姿、というわけではないのだろうか。今は敢えて人の姿をしてくれているだけだと思っていた。
「生まれたときはあちらの姿だが、今のこの姿も龍にとっては自然なものだ。ヒト族との綿密な交わりや共存の模索は、元来神秘の存在である我々にとっても命題だからな」
「へえ……いや、でも今は龍っぽい特徴とか一切無いし……」
エルフがみんな美しい顔貌をしていて耳が尖っているもの、みたいな、ファンタジーの世界独特のお約束めいた特徴があるものだと思っていた。
龍だと、たとえばツノが生えていたり、分かりづらいところではチラッと鱗が見えたり?
「当たり前だろう。ひと目見て異種族だと看破される擬態など、擬態する意味が無い」
それはごもっとも。
「しかしこの姿を保てなくなるほど魔力を消費すると、純粋なヒト族から見ると不自然な特徴が現れる。そんな事態は非常に稀だがな。それに同じように見えるだけで、この身体はヒト族のものとまるで違う。たとえば俺には第三の肺があるがーー」
「第三の肺!?」
思わず興奮して身を乗り出していた。
私のあまりの食いつきように、青年は若干のけぞって目を見張った。
「……そうだ。お前には無いものだろう」
「無いよ! というかそれ詳しく……」
聞かせて、という前に彼は心なしか胸を張って解説を始めていた。
「使うこともそう無いが、なぜか退化せずに残っている龍の特徴のひとつだ。純度の高い可燃性の油を体内で分泌し、溜めておくための器官だ。それを肺の中で気化させ、牙を擦り合わせることによって着火し、体外へ放出する」
「そ、それってつまり……口から火を噴くってこと!?」
そんな仕組みで龍は火を噴いていたのか!
想像が膨らんで、すでに頭の中では巨大な緑色のドラゴンが牙のずらりと並んだ大口を開けて、巨大な炎を吐いている。
「創世の時代であれば使い道もあっただろうが、今の世ではわざわざ口から放射する意味も無いーー」
「なんで!? えーっと、ほら、焚き火するときとか……!」
「お前はほんの指先ほどの火種を得るために、そこら一帯を消し炭にするのか?」
「あ、それはそうですね……」
「あとは五感もヒト族のものとは動作が異なるはずだ。人間は『光を眼球に集める』『鼓膜で音を拾う』というように身体の部位で情報を知覚するらしいが、我々は全身の感覚が優れている。たとえお前がどれほど離れた場所に居ようと、すでにお前の『存在』を記憶した俺はその足跡を辿ることが容易だし、居場所を正確に感知することも出来る」
「へえー! 面白い……アッ、ごめんなさい」
面白い、だなんて、うっかり口にすべきことじゃないだろう。言葉がわかり、心もある知性の徒が、自分の生態を面白がられるなんて気を悪くするに違いない。
ん? いやしかし、今ナチュラルにコワイ話聞いちゃったのでは?
「……いや。お前の興味が湧く話題が提供出来たのなら良いことだ」
「え……」
どこか得意げに、思ったより饒舌に語ってくれた彼は、もしかするとこういった知識や情報を誰かに話して聞かせるのが好きなのかもしれない。男性は興味を持って耳を澄ませてくれる相手に対して、自分の知性を示したがると聞いたことがあるけれど、龍にもそれが当てはまるのだろうか?
「では私からはもう少し一般的なことを、お話させていただきますね」
「あ! はい……」
つい私自身も最近は仕舞い込んでいた探究心が疼いて、マニアックな方面に流れていくところだった。今はそれより聞いておくべきことがある。
教師役が先ほどより表情のリラックスしたサフィナさんに移った。
「さて、ヒト族はやや女性の割合が高いといいますが、龍は逆に大半が男性体です。一割程度は私のように女性体ですが、両者ともに生殖機能はありません」
「……えっ!?」
じゃあなんでわざわざ人間を嫁さんにしようとするの!? 他種族だよ!?
「先ほどそちらの同胞が申しましたように、我々龍は見た目や造りこそヒトそっくりですが、身体機能や生態についてはヒトとまるで異なります。ですから、」
「有体に言えば、ヒト族が子を成すために必要な営みと同様の行為自体は可能だが、血族を得るために不可欠な行為では無いということだ」
「……せっかくサフィナさんがオブラートに包んでくれようとしたのに……」
「さっきの説明で何が不満だ」
「不満とかそういうんじゃ……」
「オホン。……気を取り直して続きを」
「お願いします」
こっちの龍にデリカシーが無いのはもう分かった。
「龍はそれぞれヒト族から伴侶を得ます。とはいえ、個体数を増やすことが目的ではありません。龍は長命ですから、その悠久に等しい時をたった一体で無為に過ごすことの無いよう、花嫁もしくは花婿を選ぶのです。長い時をたった一体で孤独に生きるというのは、心持つ生命にとっては苦痛ですから」
それは何となくだけど理解できる気がした。
実家を出て社会人としてそれなりに自活できるようになってから今までひとりで過ごしてきて、それを楽だと感じることも勿論たくさんあるけど、ふとしたときに寂しさを感じるときが確かにある。たとえば疲れて帰ってきて、「ただいま」という声に静寂が返事をする時。何だか妙に張り切って料理をして、さあ食べようという段階になってふと「こんなに誰が食べるの?」という虚しさを覚える時。近所のスーパーで子どものはしゃぐ声とそれを諌める若い母親の声にすれ違った時。
無くてはならないものとは思わないし、無くても生活は出来て、常にあって欲しいわけじゃないものたち。心が弱っているときだけ急に気になる孤独感。
「龍は己の信念に忠実な、理性の存在です。生涯伴侶を得ず、一体で朽ち果てることを決める龍も居ないわけではありません」
「そうなんですね」
龍も人も、お互いの目に映るカタチが違うだけで心の在り方は同じようなものなのかもしれない。
「単純にヒトが好きな龍も居る。伴侶を得ずともその情動を上手く真似て、ヒトの中に紛れ込んで暮らしている。たとえばそいつのーー」
「お客様? 個人情報の漏洩に相当する発言は慎んでくださいね」
「……フン」
サフィナさんの笑顔が威圧感に満ちた絶対零度の冷たさを湛える。冴え冴えとしたグレーの瞳が底光りする様は、側から見ていても背筋が凍るようだ。
「龍は一個体が他種族の追随を許さないほど強力です。龍が龍と番うことが無いのは、その圧倒的な力と力が愛憎によって結託しないよう、世界が均衡を保つための制約だと言われています。あとは……諸説ありますが、龍はヒトと関わる中で情動を知り、力の使い方を学び、心の拠り所を得る、と言われています。隠遁する龍はそもそもそれを望んでいないということです。世界との関わりを絶ち、拒み、自然のままに弱っていくのを良しとする。あるがまま、神秘の一部として生まれ、そして朽ちていく。あるいはそれも龍の一生です」
サフィナさんの口調は淡々としていながら穏やかで、その選択を肯定も否定もしない言い方だった。
退廃的でどこか物悲しい生き方だ。
私はまだ二十八年しか生きていないけれど、すでに何人かは死者を見送っている。龍にとってはそういった場合の感覚も薄いものなのだろうか。何百年、もしかすると何千年もヒトに紛れて生きていくのであれば、その中で知り合いを見送るなんてことは、悲しむ以前に日常の一部になるのかもしれない。
「ですから独身の龍は大抵の場合、驚くほど愛想が無いのです。そこのところは叱らないであげて下さいね」
小声で私の方に身を寄せて囁いたサフィナさんだったが、当然それはポーズに過ぎない。
「聞こえているぞ」
さっきの説明を聞いて、彼にこれが聞こえないわけがないと思っていたがその通りだった。自身も龍である彼女がそれを承知していないはずがない。
相変わらず淡々としているが、どことなく不機嫌そうな声音だ。彼も自分が揶揄われていることを察している。私は思わずサフィナさんと顔を見合わせて小さく笑った。
大人びた雰囲気と物分かりの良いような態度、それから理屈っぽい物言い。でもこういうところには見た目年齢相応の子どもっぽさがある。余裕ぶった返しを期待しているわけじゃないけど、そのアンバランスさが何だか少しだけ可愛く見えた。
「そういえばさっきからお前お前ってぞんざいに呼ばれてるんだけど、自己紹介してないわよね私たち」
「聞いても答えそうになかったから聞かなかったまでだ」
「いや、そんなの聞いてくれなきゃ分からないでしょ?」
またそういう可愛げの無い言い方をする!
「だがその前に禁呪について話すぞ」
「そういえばそれ……最初の方に言ってたっけ」
ちょっと小馬鹿にされた言い方で。鼻で笑われたような気もする。思い出したらまたムカついてきた。
「ところで、お前の世界に魔術は存在するか」
「……ん?」
「サフィナ、どうだ」
「そうですね……微細な影響を及ぼすまじないや祈りは残っていますが、自然界に発生するものはほとんどが穢れを纏った事象のようです。ヒト族の感知能力も低下していますから、一般市民の認知度はかなり低いですね」
「やはりそうか」
私が会話についていけずに頭を捻っているわずかな間に、龍たちは必要な情報の照合を終わらせたようだった。
「神秘の存在がすでに死滅している世界なら、魔力や神力が世の動植物に分配されることも無いだろうと思ったからな」
「……話の先が見えてこないんですが」
「禁呪というのは端的にいえば『禁じられたまじない』のことだ。魔術の一種に当たる」
「まじゅつ……」
いやそんなものあるわけが、ともはや安易には否定出来なくなっている私の複雑な心境に気付いたのかどうか、彼はあっけらかんと二の句を告げる。
「魔術ならもう体験しているだろう」
そんなわけないでしょうよ、とも言い切れない。だってこの場所へ来てからの私は、分からないことだらけなのだから。
「……それって、いつ?」
「召喚自体も魔術の一種といって良いだろうが、それよりももっと分かりやすいものがある。異界から呼ばれたお前と俺とが、なぜ不自由なく話が出来ていると思う?」
彼の視線がすいと流れる。恐らくは私がここに入室するとき通ってきたであろう、黒光りする立派な木製な飾り扉へと。
「あ……あれって魔法がかけられてたの!?」
チカチカチカ、と三回、身体を包むように光が瞬いた。あの妙な感覚を思い出す。
「魔法ではなく魔術だ。この二つには明確な違いがある。言い間違いには気を付けろ」
「えっ、すみません……」
思いの外ハッキリと、今までで一番厳しい声が即座にそう指摘した。それがなぜいけないのかは分からないが、私は反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
「なぜ謝る。忠告しただけだが」
対する龍の青年は相変わらずの美しい造作の顔にどことなく不思議そうな色を乗せている。
「あの扉を潜る際に掛けられるものは三つあると聞いている。すべてお前の身の安全と快適さを考えて組まれているものだ」
「本来なら、契約書にその旨記載があるのですが……お客様には読んでいただくことが出来なかったので……」
サフィナさんの困ったような笑顔に、私も曖昧な笑みを返すしかなかった。
そりゃ知らんはずだわ。
「一、言語認識の共通化。二、肉体の最適化。三、感覚の鈍化。一は分かるな? いわゆる翻訳機能のようなものだ。お前の国の言葉に、こちらの文字も言葉も変換される。二は軽い魔力耐性の獲得だと思ってくれれば良い。三は寒さ暑さ対策だ。我々龍は氷点下であろうと灼熱であろうと環境に適応出来るだけの強靭な肉体を持っているが、それに付き合わせることになればまず間違いなくお前は死ぬ」
「ヒエェ……死にたくないです」
二と三はまだ実感が湧かないが一は確かに。だって日本の慣用句とか使っても通じるし、向こうも平然と使っている。恐らくは向こうの言語で似た言い回しをしたときに、私の耳には同様の慣用句等で変換されて届くのだろう。便利だ。
「肉体年齢の操作や情報保存は契約の一部だが、そこに使われているのは魔術に他ならない」
「……まあ、そうなるよね。私には違いがよく分からないけど」
「お前が魔術を学ぶのは難しいだろうが、追々必要にはなる。今はある程度、概要だけ掴んでおけば問題無い」
「あっそうですか」
すごく自然に「素質無い」って言われたような気がするんだけど気のせいか。いや、気のせいじゃないよな。
でも必要性を説かれるということはいずれ何らかの形で身に付けることになるんだろうか。それはそれでちょっと楽しそうだしすごくやってみたい。出来るものなら。
「対象の行動を阻害したり不都合を生じさせたりする術式は、使用者もろとも忌み嫌われるものだが存在する。禁呪というのはその中でも特に非人道的だとして、通常には使用することが憚られる呪術のことだ。たとえば、お前のような特殊な召喚方法によってこの地へ迎えられた希少種に対しては、より強力な術式で契約内容を上書きする必要がある。となれば、禁呪の中でも『この地への永住』や『特定の存在への心身依存』などが選択されるだろうな」
「……聞いただけでも悪寒がするんですけど」
内容を詳細に聞かなくても想像できてしまうし、そんな状態に置かれるなんて絶対嫌だ。冗談じゃない。断固拒否。死んでも回避しなければ。
「無論、俺がいる限りそんな暴挙は許さない」
「……さっきからすごくそう言ってくれるし、自信たっぷりだけどその根拠は?」
「根拠? 俺が龍だからだ」
「……」
そんな堂々と胸張って言われても。私はその「龍だから」という感覚がまだいまいち掴めないのだけど。
「お客様。たとえばお客様は私の『サフィナ』という名前を知っていますが、あなたがたとえ全身全霊をかけて私を禁呪で縛ろうとしても到底無理だということです」
「なるほど……?」
サフィナさん曰く、力の差が歴然であればどう転んでも名前程度で縛られることは無いらしい。
つまり彼や、このサフィナさんのような圧倒的存在に対して効果は無いが、私のように術の存在すらも今知ったばかり、といった人間は防ぎようがないためアッサリ術を被ってしまうということだ。
逆にいえばしつこいくらいに「大丈夫」だと繰り返し断言するくらい、龍というのは強大な存在だということだ。
「通常、名前と同時に身体の一部を使用すると術の確度が数倍上がると言われています。お客様の場合は黒髪ですので、その点を十分に留意しておく必要があります。髪の毛の一本でも、体組織の一部でも、誰かに奪われるようなことがあってはいけません」
「俺が共にいるのだから、考えずとも起きない問題だ」
「わかりました」
壊れた音楽プレーヤーのように何度も同じことを繰り返すオトコの方はもう放っておくことにして、私はサフィナさんの忠告を心に深く刻んだ。自分の痕跡をどこにも残さないって、プロのアサシンでもない限りなかなか難しいことだと思うんだけど、そこはきっとこの自信たっぷりの彼が何とかしてくれるんだろう。
「それで、」
「はい」
「禁呪の意味は理解出来たな?」
「うん」
今までにない間を置いて、少しだけ躊躇うような沈黙があった。
「その上で、俺に名乗るということはーー」
「大丈夫よ。あなた、口も態度も悪いけど、性根は腐ってないでしょ」
それくらいのことはこの短時間であっても見抜けると思う。この彼は理屈っぽくてどこか皮肉屋で自信過剰でデリカシーには欠けるけれど、下手な誤魔化しや小細工が出来るたちではないと見た。
宝石のような翠緑の虹彩が面食らったように瞬く。偉そうにしているとき以外は無感動だと思っていた美しい顔だけど、顔立ちが整いすぎているからそう思えるだけで、意外にも変化に乏しくはないようだ。見極めはまだ難しいけども。
「俺はギニだ。里は蓮緑谷。好きに呼べ」
「……」
と思ったのに、この龍……またフンと笑ったかと思うと私を見下ろすように顎の角度を上げた。愛想の無さは天下一か?
深呼吸。気を取り直して。相手がきっとなけなしの気を遣って先に名乗ってくれたのだろうと思い、私も誠実に応えることとする。
「私は灯子よ。渡里灯子。ちなみに灯子の方が私個人の名前ね」
「トウコ……」
ぎこちなく何度か口にしているのを聞いて、もしやと思う。
「呼びにくい?」
「いや、どうということはない」
「こんなことで意地張らなくていいから。こっちには無さそうな響きだもんね」
「……」
「トコならどう? 友だちはみんなそう呼んでたし」
「……いや。トウコはトウコだろう」
しばし葛藤があったようだが、彼はきちんと呼ぶことにこだわりを見せた。
「私には好きに呼べって言ったくせに」
「俺は構わない」
「じゃあギー……」
何となく見た目と時折チラ見えする幼さで、高校生くらいの子を相手にしているような気分になる。
「ギーくんって呼んでいい?」
「ああ」
思ったよりあっさり許可が出た。却下されること前提であだ名を付けた私も私だが、子どもっぽい呼び方だから拒否されるかと思ったのに。
頷くとき、ほんの少し目元が和らいだような気がした。
……それじゃあ、お言葉に甘えてそう呼ぶことにしよう。
ブクマ一件増えるとそれだけで心がほっこりします。拙作をお読みいただき、ありがとうございます。