落とし物は何ですか?
心臓がバクバク言っている。
息は荒く、胸のところで火が燃えているかのよう。
喉も渇き過ぎて、張り付いてしまいそう。
でも止めちゃだめ、脚を動かせ。
自分で自分を鼓舞する。
もう少しで車が通る道に出るはずなのに、私を追う足音はすぐ後ろまで迫っていた。
耳もとをひゅっと何かが通り過ぎ、肩に衝撃が走った。
ガンッ
硬いものが肩をかすった。
かすっただけなのに、衝撃がひどく、私は反対側に倒れた。
そして走っていた勢いのままゴロゴロとアスファルトの上を転がる。
ブチ
サンダルのどこかの紐が切れた。
いけない、すぐに起きて逃げないと。
手をつくとズキっと痛みが走った。
手元まで転がってきたサンダルを掴むと、むちゃくちゃに振り回して投げると起き上がり、後も見ず
走る。
目の前の道からは車が入ってきた。
「助けてぇぇ!!!」
私は必死で車に向かって叫んだ。
いきなり前に飛び込んできた私に、徐行していたとは言え、運転手の人はきっと酷く焦ったに違いない。
クラクションが鳴らされた。
「チィッ」
舌打ちが聞こえたと思ったら、私を追って来た男の気配が遠ざかっていった。
「なんだ???」
私を救った車の運転手さんが窓を開けてこちらを覗いているのを見て、私はようやく背後を振り返った。
黒のパーカーにジーンズ。
人混みに紛れたら、溶け込んでしまうような中肉中背の男が去って行くのが見えた。
ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「大丈夫か君???」
運転手さんが車から降りて来て、私と去って行く男を交互に見ている。
「追いかけない方がいいよ。あの人、ハンマー持ってた」
「えっ???」
運転手さんが警察に通報を始めたので、私も通報の途中だった事を伝える。
犯人のハンマーがかすった事を伝えたら、結局、救急車をも呼ばれ、私は病院へと運ばれる事となる。
「あ、あれは飯塚刑事」
攻略対象の飯塚秋司が現場に来ていたのを、私は救急車の中で軽く応急手当を受けながら発見した。
攻略対象の中では年長者であるはずだけど、まだ、今の時点ではかなり若い。
年嵩の先輩刑事について歩いて色々指導を受けているようだ。
ゲームで彼のルートだとヒロインは学校の中ではびこる「T-Rex」という違法薬物を巡って事件に巻き込まれ、彼と知り合うのだ。
ヒロインに選ばれないと、彼は反社会的勢力の抗争に巻き込まれ、銃撃戦の中で死ぬ。
お願い、生きて。
どこか初々しいその姿を見ると願わずにはいられない。
「あ、待って」
リコちゃん家からリリーが警官に抱かれて運び出されてきた。
可哀そうに犯人に危害を加えられたようでぐったりしている。
私が聞いた鳴き声はやっぱり、リリーが何かされた時の声だったのだ。
「私はいいから、リリーを病院に連れってって」
リリーは、まだ子犬なのに。
私は犯人に対して強い怒りを抱いた。
「お願い。友達が大事にしている子なの。急いで病院に連れっていって」
私が付き添ってくれている警官の人にお願いをしていると、飯塚刑事がチラリとこちらを見た。
先輩刑事さんに何か言ってからこちらに歩いてきた。
「自分が調書を取りますので、飼い犬を病院へ連れていってあげてくれませんか?」
攻略対象の飯塚刑事が、そう言って救急車に乗り込んできた。
「こちらのお嬢さんは応急手当をしましたが、念のためにレントゲンか場合にとってばMRIを撮った方がいいでしょう」
救急隊員にそう言われ、私は病院へと搬送されるようだ。
「保護者との連絡は?」
「つきました。搬送先が決まったら連絡することになっています」
飯塚刑事に頼まれた警官はリリーを病院に運んでくれるらしい。
「近くに動物病院がありますね、そこへ運びます」
「家の人に連絡を」
「わかりました。そちらも電話しておきます」
「君、名前は?」
「空木 遙です」
「じゃ、遙ちゃん。病院へは自分が付き添うし、友達の犬はあのお巡りさんに病院へ連れていってもらうから心配しなくていいからね」
「…はい」
急に近くなった攻略対象者との距離に私がドギマギしていると、飯塚秋司は安心させるような笑顔になって私の頭をポンポンと撫でた。
「怖かったね。でもよく頑張った。えらいね」
(やばい、スチルと同じ笑顔じゃん…)
逃亡している時とは別の原因でドキドキした私を乗せて、病院へと救急車はサイレンを鳴らして走り出した。
(サイレン鳴らす程の重症じゃないのに~)
困惑した私を乗せて到着したその場所は…。
「…聖雛鴨病院…」
私が法事の席でディスった例の病院だった。
まぁ、この辺の大きな救急外来のある病院といったらここなのだけど。
(ちょいちょい絡んで来るなぁ…。)
「あ、お気にのサンダル…」
むちゃくちゃに投げた自分が悪いのだけど、私はここに至って裸足なのに気が付いた。
(えっ?これって攻略対象に抱っこされちゃうフラグ??)
と焦った私だったけれど。
(うん。ストレッチャーに乗ってたわ。)
そのストレッチャーごと救急隊員に下され、病院に着いたら、待ち構えていた看護婦さん達に車いすに乗せられたのだった。