イルカーダ
パカパカとリズムの良い蹄の音。
私たちは、ガイオンが御者を務める馬車で、目的地のイルカーダに向かっていた。
馬車の荷台で荷物と一緒に揺られているのは、私、ユーリ、サミュエルの3人。それに加えて、馬を操っているガイオンを合わせた4人が今回の旅のメンバーだ。
移動を始めて早3日。
出発直後は元気いっぱいだった私も、さすがに疲れがたまってくる。
「だはぁー。体が痛くなってきたよ。まだ着かないのかな」
「俺もー。サミュエルの小屋からダイバーシティに行く時と同じくらいの時間なのに、じっとしてる方が疲れるな」
静かに目を閉じているサミュエルと違い、私とユーリは馬車での長旅に音を上げていた。
ちなみに、バーデラックは龍人の研究の補佐、アイザックは寿命の謎を解明するための検体としてトライアングルラボに居残ることになったのだが……。別れを惜しむアイザックが「シエラと一緒に行く」と言ってなかなか私を離してくれず、サミュエルとユーリにひっぺがされてやっと出発した。
私の父エーファンに慰められているアイザックを見て、どっちが父親なのかと呆れ顔のみんながつっこみを入れていた。
……でも、そんなアイザックを見てちょっとだけ嬉しかったのは秘密!
私がクスクス思い出し笑いをしていると、外からガイオンの大きな声が聞こえてきた。
「みんな、イルカーダの国境門が見えてきたぞ。くぐり抜けるまでそのまま静かにしててくれーぃ」
「はーい!」
ガイオンの言葉に元気よく返事をする私とユーリは、荷物の間で息をひそめてそっと目線を合わせた。
……やった! やっとイルカーダに到着だ!
もし門番に密入国がバレたら国外退去、もしくは不法入国の罪で捕まってしまう。それなのに、私はまるでお母さんからいたずらを隠す子どもみたく、心のどこかでこの状況を少し楽しんでいる。
多分、心強い仲間がいるという信頼が私の中に余裕を作ってくれているのだろう。
仲間に感謝をしながらそんなことを考えていると、ガイオンの「どうどう!」と言う声と共に、馬車がゆっくりと止まった。
そしてすぐに門番の男の声が聞こえてくる。
私は「シーッ」と人差し指を口に当て、静かに外の様子に聞き耳を立てた。
「あれ? ガイオンじゃないか。なんだ、戻ってきたのか!」
「がはは! 久しぶりだな。門番をやってたのか。お前と会うのは何年振りになるんだ?」
「お前がエルディグタールに行ってからだから、5年になるんじゃないか? いつもはうるさいと思ってたのに、いざお前がいなくなるとちょっと物足りないから不思議だよ。今回は里帰りか?」
「ああ。久しぶりに父ちゃんと母ちゃんの顔を見に来た。お前が暇なら、仕事の後にでも一杯やろうぜ!」
「わかった。今夜はお前がいなくなってからの恨みつらみをたっぷり聞かせてやるからな。覚悟してろよ!」
会話から察するに、どうやらこの門番とガイオンは仲が良いらしい。
しかし、仲が良いのは門番だけじゃない。
移動中、色んな人が次々とガイオンに声をかけてきたのには正直驚いた。
高級そうな服を着た人から少し悪そうな人まで、すれ違うたびに色んな人がガイオンを慕って近寄ってきたのだ。そして口にしたのは、ガイオンの旅の無事と今までの感謝の言葉。
どうやら私たちの大豪傑は、人を惹きつける人間性を持ち合わせているようだ。
無事に門を通過してイルカーダに入国すると、私は好奇心につられて馬車の荷台からこっそり顔を出した。
ちょっと前までは孤児院が私の世界の全てだったのに、今は異国の地イルカーダにいる。そう思ったらいてもたってもいられなくなってしまったのだ。
すぐ目に飛び込んできたのは、所狭しと肩を並べる色とりどりのテント。絵画のような光景に自然と感嘆の声が漏れる。
テントのすぐそばを馬車で通り抜けると、いい匂いのする見た事が無い食べ物や飲み物、おしゃれな洋服などが目に飛び込んでくる。そこらじゅうで開かれている市は色んな人種で賑わっていて、まるでお祭りのようだ。活気が溢れる街並みにつられ、私の心もウキウキ弾む。
「うわっはぁ! ここがイルカーダかぁ!」
「おぉ! エルディグタールとはまた雰囲気が違うな!」
外を眺めるユーリが驚きの声を上げると、サミュエルが説明をしてくれた。
「イルカーダは武力の国。魔力を重視するエルディグタールと違って人種差別があまりないからな。強ければどんな人種も高い地位がもらえる」
「そうなんだ。ライオットでも偉くなれるのか……」
ユーリが関心している横で、引き続きイルカーダの景色を楽しんでいると、道を歩いている人の中に重厚な鎧を身に着けた女性を見つけた。
その女性の肌と髪は、夜空のように黒い。そして星のように輝く凛とした目、すらりと伸びた手足は目を奪うほどに美しく芸術的だ。
「あの女の人、すごくカッコいい……」
……黒い髪ということはライオットだろうか。そして、あの鎧は兵隊? あんな素敵な女性がいるなんて、世の中には私の知らないことが沢山あるんだな。
私がすっかりその女性に見惚れているうちに、再び馬車が止まった。
そして、ガイオンが馬車を降り、荷台を覆っている布を開けて私に手を差し出した。
「さあ、ここが俺の実家だ。たいしたところじゃないが、まずはゆっくり休んでくれ。先に言っておくが、俺の父ちゃんはかなり変わってるから気をつけろよ」
私は困った顔をするガイオンの手を取り、ピョンと荷台を降りて目の前の建物を仰ぎ見た。ガイオンの実家は三階建ての大きな建物で、光沢を帯びる木造の柱は古くからの歴史を感じさせる。何よりも一番目を引くのは入口に掲げられた立派な看板。
何かのお店をやっているのだろうか?
「おっきい家だね!」
「父ちゃんが格闘技の師範でな、隣に道場がくっついてるからそう見えるんだろう。中はごちゃごちゃしててそれほど広くないぞ」
背丈ほどもある大きな看板へガイオンが懐かしそうに手を添えると、道場という言葉に「俺も稽古したいな」とユーリが目を輝かせた。
そして、中に入って行くガイオンに続き、始めて見る外国の家にワクワクしながら私たちも扉をくぐっていく。
……みんなから信頼を集めるガイオンの両親って、どんな人なのかな。
明るい外に比べると中はやや暗く、「両親もガイオンに似てみんなに優しいのだろうか」と期待しながら屋内に目が慣れるのを待った。
そしてやっと中の様子が見えてきた時、怪獣のような大声が家を震わせた。
「こぉぉぉら、バカ息子ぉ!」
「きゃっ!」
鼓膜が破れるほどの音量に、全員がビクッと体をこわばらせる。
「誰が家の敷居をまたいで良いと言ったぁぁ!」
「と……父ちゃん!」
声の方を見ると、ビリビリと皮膚を射すような気迫を放つガイオンの父が、怒りの形相であらわれた。
……これってもしかして、歓迎されてないんじゃ。
ガイオンの父がズンズン足音を立てながら近寄ってくると、怒りをきざむ顔のシワが鮮明に見えた。
……こ、怖い!
張りつめる空気と威圧感に物怖じした私は、音をたてないようにそっと一歩下がって玄関の影に隠れた。




