運命の分岐点 後編
イーヴォのやつ、余計なことをしやがって。あいつさえいなければ、今頃エルディグタール城を出られていたのに!
一番恐れていたことがやってきた。ボルカンから帰ってきたジュダムーアが、シエラと俺の前にあらわれたのだ。
まずい、さすがにガーネット相手では逃げれない。
瞬時にそう察した俺は、体を押しつぶすほどのジュダムーアの重圧に耐えて剣を抜き、振り向いて敵と対峙しながらシエラに向かって言った。
「お前が捕まればこの国に未来はない。いいから行け!」
そう言うと、背後でシエラが走り去って行く音が聞こえてきた。
それでいい。
命をかければ、きっとシエラが逃げる時間くらい稼げるだろう。
そう思って安心しながら、雨のように降り注いでくる敵の攻撃を受け続けた。流石にシルバーの騎士たちをまとめて相手するのは無理がある。だが、全部をかわす必要はない。あいつが逃げるまで生きていられればいいんだから。
俺はアイザックの魔石のせいで、普通のレムナントよりは魔力が多い。それと、芽衣紗が作った剣が力を増幅させてくれる。とは言え、今まで受けたことがない量のシルバーの攻撃を跳ね返し続け、次第に魔力の限界を感じ始めた。
そして、俺は死を覚悟したが、この時が今までで一番幸せな時間だった。
なぜだろう。
もうすぐ両親の元に行けるからだろうか。
死ぬことで、両親を殺した俺の罪を償えるからだろうか。
場にそぐわない心地よい幸福感。
しかし、それはいつまでもは続かなかった。
「主一、無敵ぃぃぃ!」
シエラの閃光が俺の頭上を飛んで行き、パタパタと小さな足音が近づいてきた。
「バカ! 何で戻ってきたんだ!」
人の努力を台無しにしやがって。
そう思って腹が立ったのに、なぜか俺の心がじんわりと温かくなり、確かな喜びが心の奥底で首をもたげた。
まさかこれは、他人に対する期待か?
……シエラ。お前と言うやつは。
人を大切に想う気持ちを思い出した俺は、最後のジュダムーアの攻撃がお前に当たらなくて良かった、心の底からそう思った。
そしてその直後、シエラが俺の足を治そうとしたことで、6歳のころの記憶がよみがえった。大好きな父親が死んでしまった時の記憶が。
一気に恐怖が爆発する。
俺のために両親が死んでしまった。
そしてまたシエラが俺のために死んでしまう。
生きていることが俺の罪。
もう、俺に罪を重ねさせないでくれ。
どうかこのまま、死なせてくれ。
サミュエルの記憶から意識を浮上させた私は再び、どんよりした暗闇の中にいた。心の中を無力感が占領している。
「シエラ。これは過去の記憶ではなく、今のサミュエルの意識。これが最後だ」
微笑みを浮かべる八咫が静かに言うと、私の目の前に今のサミュエルがあらわれた。
はるか遠く、虚無を見つめるサミュエルの目は、私を映していない。
つい今までサミュエルと感覚を共有していたせいで、言葉にしなくても何を思っているのかなんとなく分かる。
きっとサミュエルは、私が自分のことを「いらない子どもだ」と思っていた時のように、途方もない孤独の中にいるんだろう。
果てしなく広がるこの暗闇から、サミュエルを助け出さないと。
私は、「とにかくなんとかしなきゃいけない」という思いでサミュエルの袖をチマッとつまんで引っ張った。
「ねえ、サミュエル。一緒に帰ろう」
どこかを見ているサミュエルが、目線も合わせず冷たくピシャッと言い放った。
「もう俺のことにかまうな」
サミュエルが目を閉じて口をつぐんでしまった。
きっとこれは本心ではない。
本能的にそう感じると、サミュエルの気持ちを思い、切なさで胸がギュッと締め付けられた。
記憶の中のサミュエルは、私のことを大切に思ってくれていたし、私もサミュエルのことを大切だと思っている。それなのに、どうしてもっと早くこの気持ちに気づいてあげられなかったんだろう。考えれば分かったはずだ。
私が初めから気づいていれば、こんなにサミュエルが苦しむことも無かったのに。
「……ごめんね、サミュエル」
私のせいだ。
サミュエルに甘えてばっかりじゃなく、私がもっとしっかりして支えになってあげなきゃいけなかったんだ。
悲しみや苦しみは分かるのに、どうしたら救えるのかが分からない。
口先だけのごまかしでも、無理やりここから連れだすのでもなく、サミュエルが私を救ってくれたように私もサミュエルの心を救いたい。
そう強く願った時だ。
「シエラは強い子ね。いい? シエラ。シエラの髪の色も目の色も、とっても綺麗よ。シエラは神様が私に送ってくださった宝物だもの。だから、何も恥じることはないのよ」
小さい時からずっと言い続けてくれた、育ての母の言葉が脳裏に浮かぶ。私が辛い時、いつも無条件に肯定してくれた母。
優しく笑う母の顔を思い出した時、私の体が勝手に動き、そっとサミュエルの冷たい手を取った。手を振り払われるかと思ったが、受け入れるでも嫌がるでもなく、サミュエルはされるがまま私に任せた。
手をつないだ私は、サミュエルが生きてきた全ての歴史を確かめるように、その顔をしっかり見つめる。
沢山の悲しみと苦しみを一人で背負ってきたこの人の側にいてあげたい。
そう思って、ただサミュエルの横に寄り添って手をつないだ。
「ずっとずっと、ずーーっとサミュエルの気が済むまで一緒にここにいてあげる」
そう言うと、サミュエルの切れ長の黒い目が一瞬だけ私を見た。
そしてまたどこか遠くを見つめて言った。
「俺は一人でいい」
「ダメだよ。今までずっと一人だったんでしょ」
「そうだ。だから今まで通りでいいんだ」
傷つくから。
そう聞こえた気がした。
「そんなの寂しいよ……」
「問題ない。それに、このまま待っていればいつか両親に会える日が来る」
両親に会える。
死ぬまでこの寂しい暗闇の中にいると言うことか。
私にはサミュエルを救うことができないのか。
そりゃ、私が両親を超えることはできないかも知れない。でも私は、自分の両親と同じくらいサミュエルがいなくなるのは嫌だ。
でもサミュエルは……
「サミュエルにとって、私はいなくてもいい存在なの?」
ぽつりと呟くと、サミュエルが無表情のまま私を見た。
「なぜそんなことを聞く」
「私にとって、もうサミュエルは他人じゃないからだよ。ユーリにだって、お兄ちゃんとして魔石を生前贈与していたでしょ。だから」
私はサミュエルの手を両手で包み、祈るように言った。
「私も、本当の妹にして。サミュエル」
「シエラ……」
「私はサミュエルが死ぬまで絶対絶対いなくならない。一人にしないから。だから、だからこれからもずっと一緒にいよう」
サミュエルは何も言わなかったが、私のたどたどしい言葉に、悲しそうに顔を歪めた。
私がサミュエルを救うなんて、そんなおこがましいことはできない。できないけど、せめて自分の気持ちを伝えるだけなら、しても良いよね。
そう思った私が本心で語りかけた。
「私、サミュエルがいてくれて本当に良かったって思ってる。サミュエルがいなかったら私は生まれることなく死んでいた。それに、孤児院に預けてくれたおかげで、お母さんやユーリに会えた。そしてサミュエルが私に教えてくれた。そのままの自分でいてもいいって言うこと」
私はこの笑顔に、今までの感謝をありったけ込めた。
「サミュエルがいなかったら、今の私はなかったんだよ。だから、産まれてきてくれて、生きていてくれて、本当にどうもありがとう。サミュエル、大好きだよ!」
私の頬を一筋の涙が伝い落ちる。
そのしずくがポトリと落ちたかと思うと、暗闇の世界に沢山の金色の光がパラパラと降り注ぎ始めた。一粒ひとつぶがほんのりと暖かく、暗闇だった世界にポカポカと陽気が広がっていく。
そして、無限に降り注ぐ光は、何かを洗い流すかのように次々と過ぎ去り、次第に空気が軽くなって行った。
「うわぁ、なんだろうこれ」
キラキラと暖かい光が舞い落ちる中、お腹の大きいシルビアがぼんやりと姿をあらわした。
実際にあらわれたのではなく、これもサミュエルの記憶だろうか……。
目の前のシルビアが胸の前で手を組み、祈りをささげる。
「私はこの国で一番強い魔力を持っていて、人の望みを叶える力があります。もしそれが救いになるのであれば」
祈るシルビアを静かに見ていたサミュエルだが、しばらくして小さく「ははっ」と笑った。
「今頃になって、あの時の俺の願いが叶ったのか……」
「サミュエル?」
シルビアの姿が消えると、サミュエルが私と目線を合わせるようにゆっくりひざまずき、目じりを下げて微笑んだ。
「シルビアがお前を身ごもっている時、俺の願いを叶えようとしてくれたことがあったんだ。その時は叶わなかったと思って諦めたんだが、お腹にいたお前を通して、今願いを叶えてくれたんだな」
「願いって?」
私が何を叶えたのだろう。
疑問を口にすると、一度視線をはずしたサミュエルが、少し言いづらそうに口を開いた。
「……お前が、俺の家ぞ……やっぱりなんでもない」
「えっ⁉ そこまで言っておいて⁉」
プイッと顔をそらしてサミュエルが逃げようとしたので、私はつないでいる手をグッと引き寄せてつかまえた。目を閉じてそっぽを向いたサミュエルの耳が赤い。
「気になるからちゃんと言ってよ」
「今はだめだ。そのうちだ、そのうち!」
「もー! 絶対そのうちは来ないでしょ、サミュエルのやりそうなことは分かってるんだか……ら……わっ」
言葉の続きを問いただそうとキャンキャンわめいた時だった。
急にぐいっと引き寄せられ、私はサミュエルの腕の中にいた。そっとまわされた背中の手に少しだけ力がこもり、私の肩にサミュエルが顔をうずめる。そして……
「ありがとう、シエラ」
信頼のこもった優しい声で、感謝の言葉を言った。
その言葉を聞いた時、私の存在を受け入れてくれた、そんな気持ちになり、お腹の底から喜びが湧いてきた。
「私も……どうもありがとう、サミュエル」
生まれる前から注いでくれた愛情と、私を受け入れてくれたことへ感謝の気持ちを込め、サミュエルの背中にそっと腕を回す。
そして、もう二度と、サミュエルを孤独になんかしない。そう胸に誓った。
そこに、八咫がやってきた。
「うまく導くことができて良かった。そろそろ夜が明ける。シエラはもう帰る時間だよ」
八咫に声をかけられて振り向くと、意識が頭のてっぺんから吸い取られる感覚がやってきた。
「忘れないでね。今のように人を想う気持ち、それがこの世で一番強い力だ」
八咫の声が遠くに聞こえたと思った次の瞬間、私はガイオンの膝の上で目を覚ました。
サミュエルはいなくなっている。
「あれ? ここは……」
「んあ? 起きたのか、シエラ」
ガイオンがあくびをして目をこする。
私が目を覚ましてすぐ、バサバサという羽音と共に三本足の黒い鳥が飛んできて、私とガイオンの頭上をぐるぐる回りはじめた。
すると、霧が晴れるようにだんだんと景色が変わっていき、私とガイオンは生命の樹の前に戻ってきた。
三本足の黒い鳥が飛び去るそのシルエットを、ガイオンと二人で見送る。
「その顔を見ると、うまくいったんだな」
ガイオンがニシシと笑った。
私も笑顔で答える。
「うん! 待っててくれてどうもありがとう、ガイオン!」
生命の樹での出来事は、信じられないような不思議の連続で、あれは現実だったのか夢だったのか定かではない。もしかしたら私のカン違いだったんじゃないか。帰り道に森を馬で走っていると、そんな不安が頭をよぎる。
早く不安を拭い去りたくて、私はトライアングルラボの六角形の廊下を抜けサミュエルが寝ている診察室へと走った。
扉を開けると、診察室に集まっていたみんなの視線が一斉に私に集まる。
ベッドの上には、みんなに囲まれて座っているサミュエルがいた。私を見たサミュエルが、柔らかく表情を崩して微笑みかけてくる。
「シエラ……」
「サミュエル、良かった!」
サミュエルが戻ってきた。
安堵の涙を浮かべる私が勢いよく抱きつくと、困ったような顔をするサミュエルがためらいがちにそっと手をまわしてくれた。そして、背中を優しくなでて「ありがとう」と呟く。
私につられて涙を浮かべるユーリとアイザック。
みんなの笑顔がこぼれる中、猫のキングとクイーンがベッドの足元で寝がえりをうった。




