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クロムオレンジ

 トワの話の後は、どうしたらうまく剣がさばけるかとか、相手の攻撃をかわせるかとか、盗賊との戦い方についての話になった。


 しかし、わたしは聞いているふりだけで、内容は頭に入っていなかった。みんなとわたしの間に透明な膜があって、遠くから見てるように距離を感じ、声もおぼろげにしか聞こえてこない。


 そういえば、前にもこんな感覚になったことがあった。

 あれは、五歳くらいだっただろうか。


 お母さんとユーリが二人っきりでいるところを見たときだ。お母さんがわたし以外の子どもたちと一緒にいるなんてよくある事なのに、あの時だけなぜか変な感覚になった。確かしばらくほっといたら治ったから、今回もそのうち治るだろう。


 すっかり味のしなくなった昼食を食べた後、わたしはサミュエルに呼ばれて、午後から二人で食材の収穫に出かけることになった。

 あのまま訓練に戻るのではなく気分を変えたかったので、正直ほっとした。




「あの木に登れそうか?」


 サミュエルが指さしたのはとても背の高い木だった。三人がかりで腕を回しても届かないくらいの太い幹に、ぐるぐるとつたが巻きついている。


「多分大丈夫だと思う」


 わたしは持ち前のすばしっこさを発揮して、太い枝に捕まった。ささくれだった樹皮がゴツゴツしているおかげで、指がうまく引っ掛かる。そして足も枝にひっかけ、猿のようにひょいひょいっと木を登っていった。

 てっぺん近くまで登って葉っぱの間から顔を出すと、周りのどの木よりも高い位置に出て一気に視界が広がった。


「うわぁ、高い!」


 遮るものがなく無数の木が織りなす緑の大地が広がり、どこまでも空が青い。

 深呼吸をすると、太陽に照らされた暖かい空気が森のにおいと共に肺を満たす。すると、ちっぽけで不完全な自分でも、この大自然が許容してくれているような気持ちになった。 


「どうだ、景色がいいだろう」


 すぐ隣の木にサミュエルが登ってきた。


「そろそろか」


 太陽が一番高くなり、一緒に気温も上がってきた。


「これから、木に巻きついてる蔦にクロムオレンジがなる。それを採って帰るぞ」


 サミュエルの言う通り、てっぺん付近の蔦が所々膨らんできた。

 太陽の光を浴びて実るクロムオレンジは、最初小指の先くらいの大きさだったのに、あっという間に握り拳くらいの大きさになると成長が止まった。今度は黄色から赤みの強いオレンジへと色が変わり熟していく。

 わたしは、みるみるうちに姿を変える果実を興味津々で見入った。


「すごい、果物ってこうやって成長するんだね! わたし、孤児院の裏山しか行ったことがないから、こんな不思議なものは初めて見た!」

「そうか。これだけ成長が早いのはクロムオレンジくらいだ。昨日は水で割った果汁を飲んだが、そのままでも食べれるぞ」


 サミュエルが実を一つもぎ、皮を剥いて食べて見せた。わたしも手の近くで熟していたクロムオレンジを一つもぎ、真似して食べてみる。


「美味しい……」


 甘くて酸っぱいオレンジの味が口いっぱいに広がる。

 クロムオレンジの爽やかな香りを吸い込み、沈んでいた気分が少しだけ晴れていった。

 わたしはクロムオレンジと素晴らしい景色を堪能し、実を収穫して手提げ袋に詰めた。袋がパンパンになった時、サミュエルがポツリと呟く。


「過去は変えられない。だが未来は白紙だ」


 わたしはサミュエルを見たが、相変わらず無表情で言葉の意図がつかめない。


 ……サミュエルは、なにを伝えたいんだろう。


 返答に困っていると、サミュエルの左目がわたしを見た。


「お前は何も見えていない」

「……どういうこと?」


 わたしは困惑して眉毛を寄せる。


「孤児院長……お前の母さんは、色々あったろうが今日までお前のことを大事にしてきたんじゃないのか? それなのに、なにをそんなに不安に思っているんだ」


 サミュエルの言葉に、わたしは内心ギクッとした。

 わたしがお母さんに大事にされてきたのは、自分が一番良く知っている。


 わたしが村の人にいじめられていると、いつも助けに来てくれた。そのせいで、お肉屋さんが肉を売ってくれなかったのも知ってる。でもそんなことは一言も言わず、他の子どもにはパンを焼き過ぎたんだって嘘をついて、質素な夕食を食べたんだ。


 わたしが白っぽい薄い青色の髪の毛が嫌で、自分で短く切ってしまった時は「お母さんが大好きなシエラの髪の毛を切ってしまうなんて」と言って怒ってくれた。

 わたしを大事にしてくれたエピソードは他にもたくさんある。十三年間、毎日大切にしてくれた。

 だからお母さんも孤児院も大好きだし、一刻も早くみんなを助けたい。だからわたしは不安なんだ。


「わたしが大事にされてきたことは、分かってる……。不安なことと、それとは別だよ」


 自分の心が裸にされていくような恥ずかしさを感じ、わたしは頬を膨らませてうつむいた。


「いや、お前は分かっていない。分かるとはそういうことじゃない。本当に分かっているなら、自分のことを肯定しろ。どうでもいい奴らの言葉ではなく、自分を本当に大切にしてくれる人の言葉を信じろ。周りの人がお前を大切にしてきたのは、いつまでもお前が悲観するためなのか? お前が、……シエラが前を向かなくてどうするんだ」


 わたしは、いつも側にいてくれるユーリやお母さんの笑顔が頭をよぎり、言葉に詰まった。


 確かに、わたしは自分が嫌いで、ユーリやお母さんが大事にしてくれても無意識に自分を否定し続けている。自分の出生も、自分の存在も。だから、トワの何気ない言葉が胸に刺さったんだ。

 サミュエルの言葉で、改めて自覚する。


「お前を見ていると……イライラする。お前は、こうやっていつまでもグチグチ悩み続けるのか?」


 徐々に怒りを募らせていくサミュエルの表情が、どこか悲し気に見えた。

 何を思ってなのかわからない。でも、今にでも破裂しそうなわたしの感情を刺激するには十分だった。


 母と引き裂かれたことで自覚した自分の存在に対する葛藤。見て見ぬ振りをするには大きくなり過ぎた。喉がつまり、吸い込む息が震える。


「お前はいつまでも自分の未来を不安や悲しみで埋め尽くしていたいのか? どうなんだ⁉︎」


 サミュエルの勢いに押され、せきを切るようにわたしの口から言葉が引きずり出された。


「そんなの嫌だよ、サミュエル!」



 サミュエルがほんのわずかに口角を上げ、ピーっと指笛を吹いた。

 すると、人間の何倍もある大きな鳥が飛んできた。それにサミュエルがヒラリと乗り、わたしのいる木の近くまで飛んできて手を差し出してくる。


「来い!」


 その手を取って、わたしはサミュエルの前に飛び乗った。


「動物に乗る時は、こうやって魔力を少しだけ出して手綱を作るんだ。できるか?」

「こんな感じ?」


 わたしは見様見真似で、鳥の首に魔力を巻きつけるようなイメージで手綱を作った。手から出る魔力がふんわりと鳥の首を一周する。


「いいだろう。しっかり捕まってろよ」


 わたしにかぶさるように、サミュエルが手綱を握った。サミュエルの胸がちょうど背もたれの様で安定感がある。

 鳥がバサバサと大きく羽ばたき、巻き上がった風でスカートの裾がはためいた。そして、迷いを吹き飛ばすような暖かい突風を全身に受け、一気に森の遥か上空まで上昇した。


「うわぁっ! はははっ! すごい!」

「寒くないか?」

「大丈夫! ……気持ちいい!」


 わたしは初めて大空を飛んだ。想像以上の解放感に包まれる。


 大きかったクロムオレンジの木が点になり、森がまるで緑の海のように広がる。一気に高度を下げてバブルサンフラワーの横を飛ぶと、横切った勢いでシャボンの花粉が舞い上がり、私たちの後を追ってきた。

 眼下に広がる巨大な大地を前に、自分の存在がちっぽけで、抱えている悩みもほんの些細なものに感じる。


 いつもより近くに感じる太陽と、一面に広がる空しか自分を見ていない。わたしをからかう人も、蔑む様な目で見る人もいない。

 我慢の必要がない大空。十三年間押し殺してきた感情と昨日の出来事が、涙となって溢れてしまった。止めたくても止まらない。サミュエルからは見えていないのを良いことに、流れるまま風に涙を拭ってもらった。


「……サミュエルの、バカ!」


 本当はバカなんて思っていなかったけど、ツンツンしていたサミュエルにちょっとだけ優しがが見えて、つい甘えて八つ当たりをしてしまった。


「あ? バカと言う方がバカなんだ」

「そんなことないもん」

「全く、可愛げのない。少しは素直になれ」

「それ、サミュエルには一番言われたくない」


 そんなくだらない話と大自然に慰められ、わたしはいつの間にか落ち着きを取り戻していった。




 大空を散歩したあと、小さな山の山頂に降り立った。

 遠くの方に、剣の練習をしているユーリとトワが見える。わたしはユーリたちが見える様に、サミュエルと並んで腰を下ろした。すると、サミュエルが手のひらでわたしの目を覆う。足の傷を治してくれた時みたいにじんわりと暖かい感覚が広がり、涙で腫れている目がスッキリした。


 サミュエルがわたしの顔から手を離し、木に向かって口笛を吹いた。なんだろうと不思議に見ていると、口笛に呼ばれたかの様にリスが三匹出てきて私とサミュエルの体を駆け巡った。小さい手足がちょこちょこと、足、腕、肩と駆けまわる。


「ふふふ、可愛い!」


 リスが肩に止まった。


「サミュエルって、本当は優しいんだね」

「あ?」


 怪訝な顔をしてわたしを見た。


「本当はわたし、心のどこかで自分は産まれてこなきゃ良かったのかもって思ってたんだ。あ、いつもじゃないよ! 小さい頃に思ってただけで、最近は忘れてたの。でも、昨日のことがきっかけで思い出しちゃって」


 サミュエルは何も言わず、じっとわたしの話に耳を傾けてくれた。


「わたしだけ村の人たちと見た目が違って、みんなから嫌われてたから。必要だとか愛されてるとか、そう思うよりも、わたしは自分が必要ないって思う方が簡単だったみたい。だから、トワが私の遺伝子に異常があるかもって言った時、びっくりと言うか、やっぱりねって思っちゃったの」


 黙って聞いてくれるサミュエルに、わたしは笑顔を向けた。


「でも、空を飛んだらそんなことも吹き飛んじゃった! どうもありがとう、サミュエル!」


 わたしが素直にお礼を言うと、サミュエルはプイッと顔をそらした。


「……俺は、お前に似たヤツを思い出して自分のしたい様にしただけだ。だから、礼を言う必要はない」


 リスを逃がしてサミュエルが立ち上がった。


「帰るぞ」


 魔法を教えてもらった時のように、サミュエルがそそくさと踵を返し、再び鳥に乗って小屋まで帰った。


 ……もしかして、照れてるのかな?


 小屋に戻ると、サミュエルがジャウロンのシチューを煮込み始めたので、大好物のにおいにわたしはすっかり元気を取り戻した。


 この日以降、クロムオレンジを食べるたびに、わたしは今日の出来事を思い出すことになる。


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