シエラ特製シチュー
サミュエルのハンガー・ストライキから数日。
私はごてごてに飾りつけられた髪、苦しいコルセット、そして裾の長いドレスにやっと慣れてきた。
今日は礼儀作法に社交ダンス、王族の常識を一日中叩き込まれた。
疲れてはいるが、ここでへこたれるわけにはいかない。唯一サミュエルにしてあげられること、これから料理を作って役に立つのだ。
私はイーヴォの監視のもと厨房へやって来た。
入口に漂ってくるケーキを焼く甘くて優しい匂い。今晩のジュダムーアのデザートなのだろうか。
「こんにちは! 今日もキッチンをお借りします!」
「シエラ様、いらっしゃいませ。どうぞお使いください」
私が広い厨房に元気よく入って行くと、作業している十人ほどのシェフが動きを止め、胸に手を当てて跪いた。
城に来たばかりのころは、下働きが自分に跪く光景にとても驚いた。
今でも慣れてはいないが、彼らはこうしないとひどい罰を受けることになる。それを理解した私は、この仰々しい挨拶を受け入れることにした。
小さい頃から村人に存在を否定されていた私には、ここにいるライオットやレムナントの人たちがどれだけ窮屈な思いをしているのか想像がたやすい。
だから私は、彼らと対等でいたいと願い、丁寧に挨拶を返す。
私はちょこんとスカートをつまみ、軽く膝を折り曲げてマナーのお稽古で習ったばかりの挨拶を披露した。
初めて見せるぎこちない挨拶に、厨房のみんなが笑顔を向けてくれる。
「いつも場所を貸してくださり、どうもありがとうございます」
「とんでもございません。お待ちしておりましたよ」
厨房のみんなに受け入れてもらい、私は早速料理を始めた。
きょうのメニューは、焼き立てパンとシエラ特製ジャウロンのデミグラスシチュー。
パンを焼いている間にシチューをコトコト煮込むと、どちらからもいい匂いがして食欲をそそってくる。味見と称し、私はジャウロンのシチューを何回もつまみ食いした。
……うん、いい感じ! もう少し煮込んだら完成だ。サミュエル、喜んでくれると良いな。
美味しくなぁれ、と心の中で呪文を唱えながらかき混ぜていると、ユリミエラお母さんに似て優しそうな厨房のおばさんが話しかけてきた。私は味見のシチューを口の周りにくっつけたまま顔を上げる。
「シエラ様はお料理がとてもお上手ですね。最後に生クリームを垂らすと、見た目もお味もさらに良くなりますよ」
「そうなの? 教えてくれてありがとう。早速やってみようかな!」
勧められるまま封の開いていない生クリームの瓶を受け取る。そして、ほど良く煮込んだシチューをお皿によそい、教えてもらいながら白い線を描いて行った。
……よし! 上手くできた!
生クリームが良いコントラストを生み、思っていたよりも上出来だ。
おばさんは、私が満足気にこぶしを握るのを穏やかに見守っている。そして「失礼します」と言って、私の口と、少しだけおぼんにこぼれたシチューをハンカチで拭ってくれた。
包容力ある姿がユリミエラお母さんと重なり、おばさんにお礼を言う私の心がやわらぐ。
……孤児院のみんな、ユーリは元気かな。
懐かしい我が家を思い出した私は、これから起こるであろうことを連想して一抹の不安を感じた。
サミュエルはユーリが助けに来るって言ってたけど、前回城に侵入した時と違って今はあちこち警備が厳しくなった。サミュエルのいる部屋も鍵がかかってるし、部屋の外にはいつも体の大きな見張りが二人いる。
顔が割れているユーリたちの潜入も脱出も、不可能に近い。
「シエラちゃん、準備オーケー?」
考えているところにと声をかけてきたのは、静かに調理の様子を見守っていたイーヴォ。私はハッと顔を上げて笑顔を向ける。
「あ、うん。完成!」
「すごい、美味しそうだね。後で僕ももらっていい?」
「いいよ。龍人に持って行く時、イーヴォの分も用意してあげる」
「わーい! 楽しみが増えたっ。じゃあ行こっか」
イーヴォが嬉しそうに体を弾ませて歩く。
おぼんにパンとシチューを乗せた私は、おばさんに手を振ってサミュエルの元へと向かった。
「サミュエル、ご飯持ってきたよー! 今晩は、昨日作り方を教えてもらったジャウロンのデミグラスシチュー……って、サミュエル何してるの?」
私が殺風景な軟禁部屋に入って行くと、上半身裸のサミュエルが三本指で逆立ちをしていた。私の訪室で足を降ろしたサミュエルの顎から、汗のしずくがポタポタと落ちる。
そして、「シエラか」と言って嬉しそうにニッコリ笑い、近くにある椅子の背もたれにかけてある白いタオルで額をぬぐった。
「そんなに汗かいて、まだ無理しちゃだめだよ」
「大丈夫だ、お前のおかげですっかり体調は良くなった。それより、筋力が落ちていざというときに使い物にならない方がずっと困る」
汗をぬぐってサミュエルが服を着る。そして私の持っているおぼんからおしぼりを取り、ベッドに腰掛けた。
私はベッドの横の小さなテーブルにおぼんを置き、部屋に一脚しかない椅子に座ってサミュエルと向かい合う。
「大丈夫なら良いんだけど、サミュエルはすぐ無理をしそうで心配なんだよなぁ」
私がちらりと横目で見ると、左手でシチューを一口食べたサミュエルがスプーンを止める。そして、もう一度シチューをすくって私の目の前に差し出し、「食べろ」と促してきた。
「初めてにしてはなかなか美味いぞ。頑張ったな」
「えっ……」
……私は味見の段階で沢山食べたから、もうお腹いっぱいだ。それに、サミュエルに食べて元気になってほしいから、ここは気持ちだけ受け取ろう。
私はそんなことを思いながら、無意識に大きな口を開けていた。そしてぱくりと食いつく。
あれ、心の声と行動が逆だぞ。
「おいひぃぃぃぃ……って、私は良いからサミュエルが食べてよ」
「そんなによだれを垂らしながら見られてたら食べれないだろ」
美味しそうに咀嚼する私を、サミュエルがクスクス笑いながら見ている。
「わ、私はよだれを垂らしてなんか!」
まさか、と慌てて自分の口元に手をやった。
……濡れてる。
「冗談だ。俺がお前と一緒に食べたいんだよ。ほら、パンも一つ食え」
楽しそうに笑うサミュエルが、焼きたてパンのお皿を取って私に差し出した。
すると、お皿の下から何かがひらりと落ちる。
「あれ? なにか落ちた。なんだろう」
私は床に落ちた小さな紙を拾い上げた。
ひっくり返すと裏に絵が描いてある。
「何の暗号だ?」
サミュエルが私の手を覗き込む。
黒のペンで描かれた丸。中心に小さなダイヤ。そして丸の下には小さな箒が二つ、両横には手のひらが一つずつ。
「わかんない……。私が見たと時には無かったから気が付かなかった」
「っていうことは、途中で誰かが忍ばせたということになるな。誰が何のために……」
「私が行動をするときは龍人かイーヴォがずっと一緒にいるけど、料理には触ってないと思う。これに触ったのは厨房のおばさんだけ。おばさんがお皿の下に挟んだのかな」
……それにしても、なんか見たことがある気がするんだけど。
「あっ!」
どこで見たのか思い出した私は、思わず大声を上げてしまい、どこかにあるかもしれない監視の目を気にして口に手を当てる。
すると、すぐにサミュエルが身を乗り出して頭を寄せた。
警戒で細められた美しいダークブラウンとグリーンの瞳、そしてわずかに下を向く黒くて長いまつげが私の目の前でまたたく。
「なにか分かったのか?」
「これ、覚えてない?」
私のささやきに、紙をまじまじと見たサミュエルが眉間に皺を寄せ首をかしげる。
「これ、多分シジミちゃんだよ」
「……シジミ、だと?」
「ほら、イーヴォと初めて会った時、私たちの姿を真似しても見分けがつくようにって、お腹に絵を描いたじゃない。これ、ユーリが描いたシジミちゃんだよ」
私は頑張って興奮を抑えるが、小さい声にも歓喜が滲み出る。
「ユーリが来た合図かも!」