羊はネズミに勝てるのか
「荒嶋君……?」
癖で呼び捨てにしてしまいそうになったが、そう言えば伊玖はこう呼んでいたことを咄嗟に思い出す。
私が恐る恐る名前を呼ぶと、頼久の表情が明らかに変わった。眠そうな顔以外滅多にすることのない頼久が、明らかに不快そうな顔をしている。
「頼久」
「?」
「前みたいに、頼久って呼んで」
「でも」
「いいから、はい」
「……頼久」
「うん」
反論する暇もなく以前の呼び方に戻ってしまった。確か中学生までは呼び捨てにしていたはずだけど、中学生の後半と高校生になってからは苗字で呼んでいたはずだから、久し振りの呼び方に困惑する。それに恥ずかしい。お母様と螢に見られているこの状況がなんだか恥ずかしい。頼久は満足そうな顔をするとまた眠そうな顔に戻ってしまい、この状況を気にしていない。なんだか憎い。
私が食事の手を止めてしまっていると、螢が食事を片付けさせ、通学鞄まで持ってきてしまった。
「お嬢様、早く参りましょう。軽食なら向こうで私が用意させます。さぁ、急いで」
「えっ、う、うん」
急き立てられ急いで席を立ち、お母様達に軽く挨拶をして食堂をあとにする。
いつもより早足の螢に着いていくには身長差もあって小走りになってしまうが、螢の背中はなんだか話しかけにくかった。
門の前に止めてある車に二人で乗り込み、そのまま無言。空気が重い。
「お嬢様……いや、伊玖」
「……?」
急に話しかけられたので螢の横顔を見ても、その顔は前を向いたまま。心なしか少しムスッとしてる気もする。
「俺のことも呼び捨てでいい」
「いや、でも学校では流石に……」
「別に誰も気にしない」
「私が気にするんだって」
「俺が気にしなければ関係ない」
素の螢で話してもらえるのは嬉しいけど、怒ってらっしゃるこの雰囲気はよろしくない。それに何を言ってもとりあってくれない。
「俺の方があいつより伊玖といた時間は長いはず。なのに俺だけ先輩が付くのは気に食わない」
「気に食わないって……」
「本当でしょう、お嬢様。私の方がお嬢様との関係は近いはず。どうかこの下僕の我儘を聞いてくださいませんか?」
「ぅっ」
急に執事口調になったと思ったら、顔までこちらを向いてしかもかなり近づけてきた。
「わ、分かったよぉ。降参。降参です」
両手を顔の横に上げて降参のポーズ。
螢は満足気に私から顔を離すと、キラッキラした笑顔を私に向けてきた。
「じゃあ学校に着くまで、ずっと俺の名前呼んでて」
「なんでっ!?」