眠りネズミは目を覚ます
茶色のふわふわした柔らかそうな髪。身長が高いのか、椅子に座る姿は少し窮屈そうだ。着ているのは螢と同じ制服。最近あまり見ていなかったけれど、その髪には凄く見覚えがあった。
「もしかして……」
「伊玖、おはよう」
「お母様、おはようございます。そっちのは……」
お母様と軽く朝の挨拶をし、直ぐに寝ている男へと視線を移す。お母様は楽しそうに笑うと、私の後ろにいる螢を手招きした。
「起こしてさしあげて」
「かしこまりました」
ぐっすり寝ている相手をどう起こすのかと思ったのもつかの間、食堂に大きな音が響き渡った。螢が物凄い力で男の背中を叩いたのだ。はっきり言って聞いたこっちが痛くなる音。
男は目を覚ましたのかゆっくりと体を起こすと、ぼんやりした目で周囲を見渡した。私を見つけるとそのまま視線を固定し、しばし二人で見つめ合うことになる。半分閉じた眠そうな新緑色の瞳からは、不思議と目を逸らすことができない。
「おはよう」
「お、おはようございます」
挨拶したあとも二人で少しの間無言。男は何かに気づいたのか、小さく首をかしげた。身長は平均より遥かに高いのに、可愛らしさがある。
「少し前の伊玖……?オレ、タイムスリップした……?」
「正真正銘現在のお嬢様ですよ。早く起きてください、頼久様」
螢の呼んだ名前に私は確信する。
この男も攻略キャラクターだ。名前は荒嶋頼久。年齢は私と同じ十六歳で、幼馴染だ。いつも眠そうで、少し変わった発言をすることが多い不思議キャラだった。
世界でも有名な私の家と同じくらいお金持ちの家に生まれた頼久とは、幼い頃から付き合いがある。むしろ婚約者候補だった。ただ頼久の性格が気の強かった伊玖とは合わず、無かったこととなり、気づけば中学の後半からは付き合いさえほとんどなくなっていた。同じ高校に進学し一年は同じクラスだったので顔を合わせることがあったが、二年に進級するとクラスが分かれ会うことはほとんどなくなっていた。何故そんな幼馴染(仮)が私の家の食卓に座っているのか。
「久し振りに我が家の料理人の食事が食べたくなったそうよ。久し振りに会ったから、つい引き止めて話し込んじゃったの。気づいたら寝てしまっていたけれど」
「そ、そうなんですか」
私の顔を見てお母様は察してくださったのか、質問する前に答えを知れた。そう言えば頼久は我が家の料理人の料理が好きだったなぁ、と思い出す。
「お嬢様、早く食事をなさいませんと本当に遅刻してしまいます」
「あ、うん」
螢の引いてくれた椅子に大人しく座る。既にいつでも出せるよう準備をしていたであろう料理人により食事が運ばれ、私は三人に見られながらの食事となった。こんなに見られての食事は滅多にないから、自然と緊張してしまう。
「螢先輩はもう食事したの?」
「はい」
苦し紛れに質問しても無駄に終わった。
「螢、先輩……?」
私の呼び方に違和感を覚えたのだろう。頼久が先程とは違い何かを考える顔で首を左右に軽く振っている。
「なんで先輩……?」
「えっと、それは──」
「オレは……?」
「はい?」
「オレのことはなんて呼ぶの?」
普段は話すことさえ面倒なのか、言葉尻が消えるような小さめの声で話す頼久からは信じられないほどはっきりした声だった。私は驚きから小さく息を飲んでしまう。
そんなことは気にせず、首を振ることをやめた頼久は私のことを見つめていた。