第一話
夕暮れの教室で一人、俺は苛立ちを隠せず踵をカツカツと鳴らしながらその時を待った。
「くそっ。いきなり何だってんだよ。早く帰りてえのに呼び出しとかついてねえ」
教室のドアが唐突に開く。いつも通り気力のない先生の顔が見えて、俺は奥歯を噛みしめた。
「先生、いきなり何スか。放課後の教室に呼び出すなんて」
先生の頭の後ろでまとめた黒い髪が夕日に照らされている。だるだるのジャージからは教職に対してのやる気のなさがにじみ出ているようだ。
「高凪。実はお前にお願いがあってな」
「はい」
「ブタ箱に入ってくれ」
「どゆこと!?」
待ってくれ。意味が全く分からない。真っ直ぐに俺の目を見てくる先生の眼がほんとこわい。
「あ、ごめん。出所したばかりだっけ」
「一度も入ってないっスよ!? 俺無遅刻無欠席でしょうが!」
「おまえ極悪な顔して真面目だよなー。むかつく」
「むかつくの!? 教師なら褒めて!」
「その顔なら授業はサボってほしいし、何ならヤバイ葉っぱとか持っててほしい」
「偏見の量えぐっ!」
幼いころから何度となく言われてきたことだが、担任の先生にここまでハッキリ言われるとさすがに効くぜ。
「まあ落ち着け。そんなムショ帰りのお前にぴったりの部活を見つけてきたぞ」
「だから逮捕されてねーって! ……ん、部活?」
「部活」
「嫌だよめんどくせぇ。俺は授業が終わったら真っ直ぐ帰るんだ」
「早く帰らないとクスリ切れちゃうもんな」
「明日の予習がしたいんだよ! 俺そんなにヤバイ顔してる!?」
「ヤバイかどうかはわからんが、まあ五、六人は殺してるだろうな」
「それヤバイ奴でしょ! あーくそ、小学生の頃は“強盗しそうな顔”くらいだったのに悪化したな」
「感覚が麻痺している」
ちくしょう。なんでこんな顔に生んだんだよ俺の両親。育ててくれた事に感謝はしてるけど人生ハードモードすぎるだろ。
「いや、それより部活だ部活。俺ぁ絶対そんなの入らないっスよ」
「ふふ。お前は私が紹介した部活に入るよ。いや、入らざるをえない」
「はぁ? 何でですか」
自信満々で余裕しゃくしゃくな先生の顔。なんか盛大に嫌な予感がする。
「なんでか、だと? そりゃもちろん私がお前の成績を操作できる立場にいるからだ」
「完全に脅迫じゃねーか! それが教師のやることかよ!?」
「ええー。部室を覗くだけでもしてくれよぉ。担当クラスの部活加入率が低いと教頭からグチグチ言われちゃうんだ」
先生は俺の腰に引っ付くとウルウルとした目で見上げてくる。ほんとにこの人は教師なんだろうか。
「……ちっ。覗くだけだぞ」
「なんだかんだで優しい航太くんなのであった」
「帰る」
「あーっ! ごめんごめん! 一緒に来てくださいお願いします!」
帰ろうとする俺の腰に再び引っ付く先生。俺は盛大なため息を落とした。
「わかりましたよ。さっさと行って終わらせましょう」
「早くしないとクスリ切れちゃうから?」
「しつけえなもう! 帰って明日の予習したいの!」
「よし、そうと決まれば部室にゴー!」
「聞いてねえし……」
スキップしながら廊下に飛び出した先生を追いかけて、俺は気だるい足を踏み出した。
「新聞部か。名前は普通だな」
「だろう? 部員もコウちゃんと同じ二年生だぞ」
「へぇ、そりゃ気楽かもな」
「そうそう。新聞部なんて普通な部活、真面目なコウちゃんにはぴったりさ」
「いちいち引っかかるが……まあいいか。じゃあドア開けますよ」
「どうぞどうぞ」
「はぁーっ。パンツの里はよぉーっ。ゴム紐が伸びちまってよぉ〜っ」
「ハイッ! ハイッ!」
「合いの手が甘いぞソラ! もっと羞恥心を捨てて! パンティの気持ちになって!」
「はい! 姉さん!」
「…………」
俺は無言のままドアを勢いよく閉め、今両目に飛び込んできた光景を整理する。女子学生が頭にパンツ被って踊り狂い、もう一人の女子学生が合いの手を入れていた気がする。いや自分でも何考えてんだかわかんなくなってきたぞ。
「どうしたコウちゃん。何故ドアを閉める」
「いや、なんか今頭にパンツ被ったやつが檄を飛ばしながら踊り狂ってたんですけど」
「そうか……頭大丈夫か?」
本気で心配そうな顔をしている先生を見たのはこれが初めてじゃなかろうか。
「いや、すんません。いくらなんでも目の錯覚ッスよね」
俺は一度深呼吸し、もう一度ドアを開いた。
「ヒェェーッ! グレートパンティショッキング!」
「姉さん危ない! パンティ千切れるよ!?」
「安心しろソラ! このパンティは通常の8倍以上の強度を持つ私オリジナルの―――」
「いや、ない。これはないわ」
「なぜまたドアを閉めた!? 一体何を見てるんだ航太くん!」
「強いていえばこの世の終りかな」
「学校の一室で何が!? とにかく中に入らないと始まらないぞ!」
「俺にこの部室に入る度胸はない」
「そんな凶悪な顔して何を言うか! ほれ、入りんしゃい!」
「お、押すんじゃね―――おわっ!?」
先生はドアを開け、無理やり俺を部室の中に放り込んだ。末代まで呪ってやる。
「きゃっ!? ど、どちら様ですか!?」
「えーっと、怪しいもんじゃないっす」
「いや、その顔では無理があるぞコウちゃん」
「ひでえ!? あんたは立場上庇えよ!」
先生からのまさかの一言に思わず動揺しちまったよちくしょう。ひどすぎるだろ。
俺の目の前には、女生徒が二人。
一人は茶色の髪で肩までは届かないくらいの長さをしているが、どっちかと言えば可愛い系の顔だろうか。とはいえその顔も今はビクビクしながら俺を見つめている。
もう一人は……何故か女性用のパンツを頭にかぶっていた。パンツの足の穴からぴょこっと茶色のツインテールが出ているところが妙に腹立たしい。というかこいつはただの変態だろう。うん。間違いない。
「うーんしかし凶悪な顔だ。なんて怪しいやつ」
「パンツ被ってる奴に言われたくねぇんだけど!?」
「ふむ。なかなか良いツッコミだ。それに見慣れればよい面構えをしている。なあソラ?」
パンツを被った女子学生は偉そうに腕を組みながら俺を見下ろす。やがて立ち上がった俺を、ソラと呼ばれたもう一人の女子学生が潤んだ目で見上げてきた。
「わ、私はちょっと怖い、かな」
「ぐっう。女子に言われるとダメージでかいな」
「おーい。さっきまで君を罵倒してたピチピチの女子がここにいるんですが?」
背後で何か言っているが、俺はそのまま華麗にスルーした。
「で、ここは新聞部の部室で合ってるんだよな?」
「MU☆SHI」
「ふむ、その通りだぞコウちゃん。確かに我が新聞部は部員2名の少数精鋭で運営している」
「誰がコウちゃんだ! しかしまともな活動をしているようには見えねぇな」
「失敬な! 何故そう思うんだ!?」
「お前が頭にパンツ被ってるからだよ! いい加減脱げよそれ!」
「女子に向かってパンツを脱げとは、君変態か? よしてくれ興奮するだろ」
「ノンストップかよ!」
「まあまあ落ち着け。お近づきの印に新聞部オリジナルハンカチをプレゼントしよう」
パンツを被った女子学生はにっこりと笑いながら俺に白い布を突き出してきた。俺は恐る恐る手を伸ばしその布を受け取る。
「そ、そんなのあんのか? まあもらっとくけど……ってこのハンカチなんか暖かいぞ」
「残念。それは私のおパンティだ」
「意味がわかんねーよ! 思い切り掴んじまったじゃねーか!」
「よし。ではそのままパンティをムシャムシャ食べてくれ」
「どういう提案!? 生まれて初めて言われたわそんなん!」
「そうか? 私はしょっちゅう言ってるが」
「この変態! 今のは聞かなかったことにするよ!」
「わたしは おまえに わたしのパンティを食べて欲しいと おもっている」
「ゆっくり言うなよこえーよ! てか女子がパンティって連呼すんな!」
「じゃあこの素敵な布を何て呼べばいいんだ? 股間隠しバンド?」
「悪化してんじゃねーか! パンティのがマシだよ!」
「姉さん。ショーツとかでいいんじゃない?」
「なるほど。では改めて……私のショーツを食べてくれ」
「言い方の問題じゃねえよ!? 根本的に嫌なの!」
「そうかすまない。レースが多いと口当たりが悪いという人もいるからな」
「パンツのデザインの話はしてねえ! ていうかお前ちゃんとパンツ履いてんのか!? お腹冷えるぞ!」
「安心しろ。確かに一枚は君に渡したが、私はいつも二枚履きしている」
「なんで二枚!?」
「食用とセクハラ用だ」
「履く用のパンツはねえのかよ!」
「履……く?」
「意味がわかりませんみたいな顔すんな!」
首を傾げた女子学生……もとい変態へツッコミを入れる。すると先生が間に割って入ってきた。
「まあまあ。とりあえず自己紹介としゃれこもうじゃないか。私は先生だ」
「いや、先生は職業でしょ。自己紹介になってねえよ」
「??? 私は先生って名前なんだが」
「本名がそれなの!? なんかややこしいな!」
「わたしはぁー! パンティの化身にしてパンティをこよなく愛する女! 人呼んで―――」
「俺は高凪航太。あんたは?」
「MU☆SHI」
俺は変態の言葉を華麗にスルーして、まともそうな女子学生に質問することにした。こいつを相手にしてたらマジで日が暮れちまうぜ。
「あ、えっと、私は霧咲ソラ(きりさきそら)です」
「ソラさんか。よろしくな」
「は、はい」
「…………」
「…………」
俺とソラさんの間に落ちてくる気まずい沈黙。ソラさんは視線を泳がせて明らかに俺との視線の交差を避けていた。
「明らかにビビられてるな航太くん。さすが殺し屋」
「誰が殺し屋だ! くそっ、俺だって好きでこんな顔に生まれたわけじゃねえのに」
「そうだよね。その顔は数々の屍の上に成り立っている顔だもんね」
「成り立ってねえよ!? 喧嘩もしたことねえっつうの!」
変態のひどすぎる偏見に反論するが、明らかに信じてくれていない。なんか泣きたくなってきた。
「まあ落ち着けコウちゃん。男は顔じゃないぞ」
「変態に慰められたでござる。死にたい」
「ちなみに私の名は霧咲七海だ。妹のソラと合わせてブルーシスターズと呼ばれたことが一度もないぞ」
「ないのかよ! じゃあ言うなよ!」
「呼んでくれていいのよ?」
「呼ばねえよ! ていうかもう帰りたいよ!」
「あ、そういえば姉さん。まだ儀式の途中だったんじゃない?」
「そうだった! 早く続きをやらねば!」
「待て待て。なんだよ儀式って。ここ新聞部だろ?」
「この儀式は取材をするために必要なものなのだ」
「……絶対関係ないと思うけど、一応説明してくれ」
「ふむ。我が校のチア部の更衣室を取材したくてな、交渉したのだが断られてしまったのだ。そこでこのおパンティ儀式をしてチア部の説得成功を祈願するというわけさ」
「何から何までわかんねえ! 更衣室を取材って何だよ!?」
「彼女たちがどんなパンティを履いているのか気になるじゃないか。ついでに二、三枚拝借したいと思っている」
「わぁ素直~♪ ってバカ! 人様に迷惑かけるんじゃねえよ!」
「大丈夫だ。拝借する代わりに私のパンティを置いてくる」
「余計気持ち悪ぃよ! ソラさんも止めてくれ!」
「うーんでも、姉さん欲望を解放できないとさらに暴走しますし、これくらいが落とし所かなって」
「チア部のパンティ盗難がマシな方なの!? 凶悪犯じゃねえか!」
「はっはっは。お前が言うな」
「うるせえよ!」
「うんうん。仲良くできそうでよかった。そろそろ先生は退散するから、儀式とやら頑張ってくれたまえ」
「待てコラァ! ここに置いてく気か!?」
「ぐっどらっく」
「やかましい!」
あのくそ先生めが……本当に置いていきやがった。
「畜生。なんでこんなことに。俺が何をしたっていうんだ」
「大丈夫? パンティ嗅ぐ?」
「うるせえよ! とにかくその儀式とやらをさっさと終わらせてくれ!」
「そうだな。コウちゃん弄っててもしょうがないし」
「じゃあ続きをしよっか」
霧咲姉妹は視線を交差させ、絶妙な動きで元の儀式の立ち位置に戻った。
「はぁーっ! オラのパンティはよぉーっ! ゴムが伸びちまってよぉ〜!」
「ハイッ! ハイッ!」
「レースが食べてぇずるずるっといきてぇ! そんな俺たちパンティフレンズ!」
「ハイッ! ハイッ!」
「呪文がひどすぎるだろ……おわっ!?」
呪文の詠唱が終わった途端、足元に描かれた魔法陣が黄緑色に光っている。俺が眩しさに目を細めていると、嬉しそうな変態の声が響いた。
「成功だ! ……あれ?」
「どうした?」
「光の色が想定と違う…………あっ」
「???」
「どうしたの姉さん」
「これは“チア部の更衣室の取材を許可してくれる儀式”ではないな。魔法陣の線が一本少ない」
「儀式細分化されすぎじゃね!? ていうか間違ってるならこの儀式はなんなんだよ!」
「ふむ。この儀式は―――」
「きゃっ!?」
「ソラさん! 大丈夫か!?」
突然ソラさんは体のバランスを崩し、魔法陣の中心に発生した渦の中に下半身を吸い込まれている。俺は咄嗟にその手を握ったが、物凄い力で渦の中に引き込まれていく。
「ま、魔法陣に、吸い込まれる……!」
「あっ、やっぱりそうか。これは“魔法陣の周囲にいる人を異世界に転送する儀式”だな」
「……は?」
「ほら、ごらんコウちゃん」
「いやあああああ!?」
「いもうとが すいこまれていく」
「冷静に言ってる場合かよ!? ああもう、畜生!」
どんどん吸い込まれていくソラさんの手を両手で握り、両足を使って根性で踏ん張る。いくら初対面とはいえこれはほっとけねえだろ。
「あっ。こ、航太さん?」
「頑張れ! このまま吸い込まれたらアウトだぞ!」
「はっはい!」
「人様の妹に触れるとは無礼な。そんなあなたに耳吐息の刑」
変態の吐息が耳にかかる。その瞬間体の力が抜け、俺とソラさんは魔法陣の中に吸い込まれた。そして何故か変態は自分から魔法陣に突っ込んだ。
「うーん。見事に全員吸い込まれてしまったな」
「ふざけんなてめぇえええええええ!」
「きゃあああああ!?」
つんざくようなソラさんの悲鳴を聞きながら、俺は遠くに流れていく部室の天井を力なく見つめた。