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第五十七話 梟雄の祖父

 俺は細川屋敷の内庭で、新たに雇うことになった武士と対面していた。

 その男は、日野家当主の紹介状を携えており、質素ながらも身綺麗な風体は好ましく感じるものだった。

 義母が京に残ることになったので、警護のため兵を何人か残さねばならなくなった。それだけでは足らず、更に京でも人を雇うことになったのだ。


「松波左近将監と申します」

「在はどちらか」

「大乱が収まってからは、俸禄が滞るようになり、さいの縁で西岡(にしのおか)に居りました」

 ここでいう西岡とは山城国中西部に位置する乙訓郡と、葛野郡の桂・川島付近をあわせた一帯のことで、丹波の西岡のことではない。桂川西岸一帯のこの地は、古くから豊かな農村であり、室町幕府の被官として西郊三十六人衆と呼ばれる譜代地縁の武士集団である。


「これでも、北面の武士として院の禄を食んでおりましたが、大乱の後、俸禄も滞り、西岡は久世郷にて妻の縁で食い繋いでいるところ、已む終えず惣国一揆に合力いたしておりましたが、そのことがもとで解き放ちの身となり、日野家の縁を頼り、こうしてまかり越しました次第にて」


「日野家の紹介故粗略にはせぬ。仕事は我が義母ははの護衛となる。俺は関東に戻らねばならぬが、義母は残る。弟達が京におる故な。将軍家や細川家には縁があるが、護衛のための人数は揃えねばならぬ。公卿宅への訪問などがある故、銭をつかわす。見栄を良くしておけ。住まいは当面は辻向かいの長屋を使うように、妻女などは呼び寄せても構わぬ。働きによっては、関東での録も与えてやれるが三年は京で働くように」


 左近将監に銭袋を渡すと、押し頂くように受け取り、平伏した。

 顔を上げるように言うと、俺の顔を見た。上級貴族の子孫が武士になったと表現するにふさわしい知性と気品を感じさせる風貌であった。

「いつから来れる?」

「三日後には」


 雇った男はとんでもない人物であった。

 その男の名は、松波左近将監基宗。もと北面の武士であり、地下人とはいえ日野富子の実家、義母の母の実家、日野家の係累に当たる。北面の武士とは院(上皇)の警護役のことだが、応仁の乱後、碌に俸禄も与えられず、いつの間にか、惣国一揆に組み込まれそうになっていた。これではいけないと、日野家の係累である義母の警護役募集の話を聞きつけて出向いたというわけである。


 この男のどの辺がとんでもないかというと、この男のまだ生まれていない息子が、史実の通りならば、松浪庄五郎と名乗るであろうことだ。松浪庄五郎は美濃の土岐家家臣に仕え、いずれ斎藤道三の父に当たる長井新左衛門尉になるはずだからだ。松浪基宗は斎藤道三の祖父なのだ。この松浪基宗、何年か後に帰農する際、息子を寺に入れている。俺や政元が面倒を見ることになれば、息子を寺に入れることはなく、国盗りのシナリオからは外れることになる。華々しい国盗りの物語を知る俺からしてみれば、残念至極な話ではある。


 斎藤道三がまだまだ生まれてもいないという事実から、戦国時代の最もおいしい時代を外れていることを実感してしまった。せめて、織田信長に会って話してみたかった。だが、それは途方もなく困難だ。朝倉宗滴であるはずの朝倉教景少年とおれが同じで、宗滴は享年七十九歳で亡くなる際にその年二十一の織田信長が将来楽しみな若者であると言い残しているらしい。この時代七十幾つなど生きていられるはずはないと思う。


 三日後、日野家の係累ということで、義母には対面させることにした。

「関東公方足利左馬頭が妻、武者小路築子です」

 中庭の面した廊下に立って、義母は左近将監に対面した。

「この者がおたあさんの血筋の武士と申すか」


「はい。九条様や日野家、御実家などに(おとな)う際には、この者をお連れくださいませ」

「この者を?」

「はい。この者、松浪左近将監と申しまして、北面の武士であったものを、日野家の伝手で雇うことができました。三浦家や宇佐美家の者では、京の作法にそぐわない場もございましょう」

「面を上げよ」


 松浪左近将監は、髭、月代をきれいに剃りあげ、正装とまではいかないが、大名の家人と言っても通るような程度には身形を整えて来ていた。

「ふむ、意外に若い。確かに、日野の係累といっても通る顔立ちだの」

「左近将監、そなたの仕事はこの、わが母の警護だ。母は、摂家、日野家、実家の武者小路家などへと、あるいは天龍寺などへ忙しく行き来することになろう。そなたならば、京も詳しかろう、わが母が何事もなく京の道を歩けるように計らうのだ」

「は、畏まりましてございます。京は我が庭も同然。心安くお任せくださいませ」


「おお、頼もしい答えぞ」

「して、御所様。今更ではございますが、何とお呼びすればよろしいのでしょうか?」

「うむ。儂は足利相模守だが、どうするか・・・」

「家人は皆、若か若殿と呼んでいますよ」


「母上」

「このように大きな体をして、とうに元服を済ませているとはいえ十三なのですから、若殿で悪いはずがありませぬ」

「あ、いえ。お方様でよろしいのかと・・・」

 左近将監があわてたように口を挟んだ。


「ああ、母上のことだったのか。ならば、御台様みだいさまで良いのでは」

「いけませぬ。京では御台様といえば日野御台様のことに外なりませぬ。御台みだいというなら関東御代とせねば不敬ととられましょう」

「では、御台と呼ぶことはままならぬか。 細川家ではなんと?」

「関東の方様と呼ばれることが多かったようですが」


「では、そのようにいたしましょう。お方様、あるいは関東の方と呼ぶように」

「畏まりました」

「左近将監。家族はいるのですか」

「は。妻がおります。若殿にご用意いただいた長屋に昨日越して来ております」


「うん。手狭かもしれぬが、京で雇う人数は当面そこに住まわせる。まとめ役任せたい。俸禄には色を付けよう」

「は。ありがたき幸せ」

「そうだな、何か急を要するようなことがあれば、いざという時は細川家を、それもだめなら山科の本願寺蓮如殿を頼れ。あれも日野の流れ故な。儂の妻の実家でもある。くれぐれも頼むぞ。上々に勤め上げたならば、望めばいずれ、関東に領地を与えることもできよう」

「は! 励みまする」

 


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