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第四十八話 余呉の戦い

あけまして、おめでとうございます。

読んでいただきありがとうございます。

今年もこの作品をよろしくお願いします。

「放て!」

 その合図とともに、数百の矢が一斉に宙を飛び敵陣から先頭を争い走る兵達に突き刺さる。

 勿論当たらない矢も多いが、面としての矢の打撃は少なくない敵兵を傷つけた。


「第二射用意ぃ~、放て!」

 一射した弓兵は下がって、後ろの弓兵と入れ替わる。

 敵陣からの、散発的に打ち返される矢は、二列目の弓兵が構える矢盾に突き刺さるが、負傷は出ていない。


 二列の弓兵が各々三射すると、槍兵を前進させた。敵先陣の無傷な兵は今や孤立しており、一気に前進する槍部隊を見て逃げ出した。槍兵がじわじわと押し出していくと、散発的に敵の騎馬が突進してきたが、槍隊の中に飛びこんだは良いがそこから進めないでいる。敵本体は様子がよく見えない。


 槍隊の両側から、騎馬部隊が馬上槍をほぼ横向きに構えて構えたまま進んでいく。

「馬を下りるな、槍は構えたまま振り回すな」

 騎馬が突進する音に混ざって微かに組頭の一人の叫ぶ声が届く。


 余呉川よごがわの川筋を北上し、湧出山ゆるぎさんと琵琶湖北東岸の賤ケしずがたけ山塊の隘路を切り取って流れる、余呉川脇を通って木之本盆地に出たところで、遭遇戦となった。本陣の構築などする時間はない。打ち合わせ通り、兵科ごとに隊列を作り、敵が前進するのを待って開戦となった。


 二時間余り敵陣寄りで合戦が行われ、やがて敵の旗指物が右へと動きだした。不破の関の方角だ。つまり、北国脇往還の道中の城に引こうという行動だ。

「勝ちましたな」

 俺と、轡を並べている左京が呟くように言った。動き出した旗指物の中に、足利二つ引き、つまり斯波家の家紋の旗が混じっていることを確認したのである。


「兵を纏めよ」

 之長の大声が響き渡る。

 湧出山の山裾に開けた見通しの良い場所を見つけ、簡単な陣を構築する。

 味方の兵は集めるが、基本敵軍の負傷兵は放置であるが、味方の兵の処置が終わったあたりで、戦場で動けない敵兵の治療を命じた。


「関東公方足利宰相様の嫡子相模守様のお慈悲である。負傷者の治療をする。動けるものは傍の川まで歩け、動けぬものは動けるものの手を借りよ。なお、治療が終わったものは武器を差し出したのち解き放ちとする。百姓なれば生国の田植えなどもあろう。間に合うように帰れるよう一人頭五十文呉れてやる。解き放ちの際申し出よ」


 なかなかの長広舌を息も切らせずに叫ぶのは茶刈圭二郎である。件の刀は売らずに自分で使うことにしたらしい。「見せびらかすんじゃないぞ」忠告したが、「心得ております」だった。柄や鞘は別物になっているのだという。

 下級武士が良い刀を持っているなどと噂が立てばトラブルにしかならないのだから。


「なんと、敵の足軽に銭を渡してやるのですか?」

 波多野玄蕃頭が、呆れたように訊いてくる。

「足軽とはいえ、百姓。武器を持たせて打ち捨てれば、賊になりましょうが、銭を持たせれば国元に帰ろうというもの。織田大和守は懇意故」

「ううむ、確かに。他国まで出向いて敗残の兵になれば、我が家にも帰ることにも難儀しますな」

「百姓が国に帰り着く頃には、大和守が尾張八郡の守護代になっているだろうから」


「それにしても、上手くいきましたな」

「兵科を分けて編成したことですか」

 三好筑前が声をかけてきた。

「大抵は、郎党を連れて戦うものですからな」


「古書にもありますが、武器の長所を生かすには、兵科ごとに兵を分けるのが良いと考えておりまして」

「ほうほう」

「昨年のことですが、相模国実蒔原(さねまきはら)で、関東管領家と分家の扇谷が争いました。扇谷定正は、騎馬のみ二百で管領軍千を打ち破ったのです」


「ほう。遠国のことにて、五倍の敵兵力を打ち破るとは、どんな豪傑かと思っていたが、あっさり戦死したのであろう?」

「郎党を連れての戦では、騎馬であっても下馬して斬りあいましょう?」

「とった首を持たせるものが必要故な」

「実蒔原の戦いでは、扇谷は馬から下りずに、敵軍を薙ぎ倒して回ったのです」


「見た者の話では、砦を落として戦勝に沸く関東管領軍目掛け、ニ百が騎馬のまま槍を振り回して突っ込んだのだそうです。敵陣を何度か抜けては突入を繰り返し、遂には敵を潰走させたそうです」

「我武者羅な戦法じゃの」

「その通り。ただ、槍が二百では我武者羅に突進してもいかほどのものではなく」

「それが、騎馬の長所」


「はい。弓の場合は、遠間から敵に矢を当てます。しかし、動くものには当てにくく、狙いをつける位には何呼吸も必要です」

「そこで、一斉に放つと?」

「弓の修練をしたものであれば、大体の遠間の見当は付きますからその見当で撃たせれば、敵の槍部隊は世の雨の中を抜けてくることになりましょう」


「槍はどうなのだ?」

「間隔を密にし、隙間なく槍を向ければ、馬は突っ込んではこれません」

「ようわかった。しかし、今回は良いが、続けることは難しいの」

「何故です」


「首をとれぬからじゃ。その戦術を使うには、今回のように、首獲りの禁止を言い渡さねばならぬ」

「首がなければ、手柄を賞することができぬ」

「それは、公平に銭をあげれば?」

「合戦での武士の手柄とは、首じゃ」


「武士の功名とは、手柄首を挙げ領地を賜ることじゃ」

「首の価値により、手柄の価値も変わる」

「そうですか」

「武士が合戦に馳せ参じるのは、手柄が欲しいから故な」


 まだ、時代が追い付いて来ていない。俺は、嘆息するしかなかった。兵科毎の運用は、村上義清が武田晴信を上田原の戦いで退けた時が嚆矢とされる。すなわち60年も先の話だ。勝てる戦いよりも武士らしく(・・・・・)戦うことを好む武士が多いのである。


「田部山城の浅井様が参りました」

 四十年配のがっしりとした体躯の武士が入って来て一礼した。

「田部山城を預かる浅井備前直政にござる

 この度は、ご助力有難く」


「上様の名代で参った」

 代表して、俺が話すと、備前守は驚いたようだった。

「足利相模守、関東公方の嫡子だ」

「噂には伺っております。六角征伐の折、六角四郎を捕らえられたとか」

「ああ、こちらが波多野玄番頭、そして三好筑前守」


「右京兆家の精鋭中の精鋭ではございませぬか。我が主、京極飛騨守も喜びましょう」

「その、六郎(京極高尚)殿の状況は如何か」

「和田山付近で対陣中とは聞いておりますが」

「進展はなしか」

「いえ、この戦いで嫌が応にも変わらざるを得ないでしょう」


「六郎殿との連絡はよしなに頼みます」

「それは勿論。それはともかく客人を連れて参りました」

「朝倉家の継子に当たる方です。この度の斯波方の攻めに対応して東野山城に入っていただいておりました」

「それは朝倉小太郎殿か」

「ご存知でしたか!」


「是非にとも会おう」

 え、と後ろの二人が声を出しかけた。

 朝倉に肩入れはまずいとのことなのだろう。

 しかし、俺は会ってみたかった。朝倉宗滴となるはずの人物に。


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