第四十四話 湯川新兵衛
鎌倉丸は堺湊に係留し、一旦預けておくことにした。伊豆から、交代の船員を乗せた船が来るまでのことだ。堺の代表的な町人、湯川新兵衛に依頼して管理してもらうことにした。新兵衛は備中屋の屋号で判るように山陽地方に太いパイプを持つ豪商で、管領細川家が守護を務める縁で足利幕府の勘合貿易にも関わっている。有名な湯川宣阿は新兵衛の父に当たる。
備中屋に預けることにしたのは、既に何度も取引を重ねお互いを良く知っているからだ。伊豆に齎された銅は、備中屋を介して手に入れたものだし、伊豆の千把扱きや清酒は備中屋の手により、大内領や大友領にまで届けられていた。そしてもちろん金も。
沖に鎌倉丸を停泊させて小舟で堺の湊へ向かうと、船着き場に湯川新兵衛が待っていた。
「初めて御目に係ります。伊豆様でございますか。手前は備中屋新兵衛と申します」
満面の笑顔の小柄な町人である。目立たない色合いの着物だが近くによると値の張るものだと分かる。派手ではないが、良い拵えの刀を腰に差している。護衛らしい武士や手代らしい町人など七八人を引き連れている。
「早速の挨拶恐れ入る。相模守政綱です」
備中屋は堺会合衆の筆頭格である。大名クラスが堺で売り買いをしようというときには、会合衆に声をかける必要があるが、備中屋の先代は、勘合貿易を事実上仕切っていた。恐らく、博多あたりにも息のかかった、商人町人が山ほどいるのだろう。そして、そこには明人や朝鮮人も少なくないはずだ。
明との勘合貿易は何年かに1回のスパンでしか行われない。しかし、嘉吉3年に宗貞盛が嘉吉条約を成立させ毎年50隻の歳遣船を送ることができる日朝貿易は、非常に旨味のある貿易であったがため、朝鮮への出入り口にあたる対馬への多くの商家が博多に押し寄せている。多くは綿布を求めてのことだ。しかし、朝鮮は土地が痩せており、食糧生産に寄与しない綿布の製造は次第に朝鮮王朝の重荷になってきており、対価としての銅の受け入れに難色を示すようになってきていた。
その銅を俺が求めて、死蔵になりかねない銅の在庫をさばくことができ、備中屋は博多では相当に影響力が高くなっているようだ。俺が直接発注した伊勢屋などからの情報であり、間違いのないところだと思っている。上客なのだから、備中屋の屋敷に泊まることも当然だろう。
「船は大切にお預かり致します。関東公方様の船でございますれば」
「盗人に艤装を剥がされるわけにはいかぬのでな。帆柱や帆桁、舵に碇、船底の銅板に至るまで何事もないよう、よろしく頼むぞ」
「畏まりました。大船に乗った積りでいてくださいませ」
「はは、備中屋の大船とは、あの船よりも大きいか」
「勿論でございます」
船底の銅板と言ったときに、新兵衛の目が光ったような気がした。そりゃ気になるだろうな。俺が銅を何に使っているか。堺の会合衆は鋳銭で銅を消費しようとして失敗している。質が悪く鐚銭としか見なされなかったのだ。二、三年前に西国の大大名である大内氏が撰銭令を出しており、その中で、受け取り拒否しても良い鐚銭の事例として『さかひ銭』が挙げられているからである。
この時期、通貨は永楽銭が名高いが、流通したのは関東中心で、西国ではあまり流通しなかったという事実がある。勘合貿易で明銭が入ってきたのは事実だが、流通量に比べて甚だ少ない量だというのである。実際、関東では貫高制で年貢を定める習慣があり、この基準通貨に永楽通宝が定められている。つまり永楽通宝一枚=一文で、千文=一貫文で計算する制度である。
永楽通宝は、大きさ重さこそ共通だが、様々な字体のものがあり、中には銀製のものがあったりもする。さかい銭は、簡略化した妙に潰れた字体のもので、明らかに私鋳銭と分かるものだ。天正年間には鐚銭4枚と清銭1枚を交換するレートが定着するようになるので、鋳銭の旨味はほとんど無いと言っていいだろう。
新兵衛は、関東府で私鋳をしているのではないかと疑っていたようだが、その矛先をそらす意味で、船底にフナクイムシ除けのために銅板を張る情報を漏らしたのだ。フナクムシ除けのためだとは言っていないし、水夫に聞いても分からない筈だから、そっち方面の情報を集めるだろう。ま、ばれたっていい。鋳銭は始めたばかりだから、邪魔されたくはない、それだけだ。実際、関東の私鋳銭の多くは古河公方の方面から入ってくるようだし、そっちと競合になるから。
「政綱殿。もう船は嫌です。まだ、体が揺れているように心地がします」
堺の湯川屋敷で、着膨れて火鉢に手を焙りながら、義母が言う。
「堺でも良い天気が続いているようです。中庭で日に当たると気持ち良いですよ。お体をいたわってください」
「兄上、堺はとても人が沢山いました。韮山や鎌倉も栄えていると思いましたが、堺はそれ以上なのですね?」
「ああ、潤丸、そうなんだ。そう、堺は人が沢山いて、中には明や朝鮮の人もいるかもしれない。物珍しいかもしれないが、物騒でもあるから町の見物はできないんだ。許しておくれ」
「母上、何日か休んで、京に向かいます。細川家の迎えが来るはずですから」
「政元殿がいらっしゃるのですか?」
「堺は、畠山殿の領地に近くもあります。右京兆殿御本人が来れば、戦にもなりかねません」
「戦を恐れてわが子となる幼子を迎えに来ないとは。なんと、惰弱な!」
「都の周辺は、東国よりもはるかに複雑です」
「女には分からないことです」
「はい。そのようですね」
義母は真っ赤になって黙ってしまった。
その時、部屋の外から声がかかった。
「お邪魔してよろしいでしょうか」
「誰か」
「湯川新兵衛でございます」
「これは、御主人であったか。どうぞ」
新兵衛が、女中を連れて入ってきた。女中は、漆の鉢を捧げるように持っている。鉢には黄色いものを盛ってある。
「紀州の蜜柑はいかがでしょう?」
「ほう、これは珍しいものを。どれ潤丸、兄が皮を剥いてやろう」
「いえ、母が致します。これ、その鉢をこれへ」
潤丸が、俺と義母の顔を見比べ困った風だ。ふう、思わずため息が出る。
「判りました。母上、お願いいたします。して、新兵衛殿、他に御用がおありでしょうか?」




