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第四十三話 隻眼の尾張守護代

 尾張清洲城は守護斯波氏の居城であるが、その主は今はいない。冬の寒風の中出兵しているからだ。

 清洲城の一室に入ると、がっしりとした壮年の男が、立ち上がって迎えてくれた。

 右眼が閉じられ窪んでいるのが見て取れる。右眼の下から右耳にかけて傷がある。眼球を失った時の傷かもしれない。そして、光を失った右眼にいや増すように左眼はかっと見開かれ、煌々と光を宿して俺を睨め付けている。


「織田大和守にござる」

 割れ鐘のような声で名乗り、一礼する。戦場でもさぞや遠くまで届くであろう。俺は、片目から血を流しながら、軍を指揮する大和守の姿を玄視した。

「関東公方が嫡子足利相模守です」


 軽く一礼して、譲られた上座へ着座する。俺の脇に左京と万里が座る。

「この者は仲尾唐四郎、儂の股肱だ。其方が漆桶万里(しっつうばんり)、かつては万里集九(ばんりしゅうきゅう)と呼ばれた御仁にござる」


「久方ぶりにござる、万里殿」

 万里が一礼すると、俺の向かいに座った、大和守のぎょろ目がわずかに細められた。

「ご存知でありましたか」

 はい。と万里が目礼した。


「関東下向の前に一度ご招待頂いたことがございます」

「万里殿は、かの香月院(太田道灌)殿に招かれて関東に滞在しておられたのですが、戦乱に巻き込まれ難渋されていたので、私が上洛するに合わせて、船へ乗せて参ったのです」

「ほほう」


「在所が美濃鵜沼ということでして。尾張に入ってみれば、守護殿が兵を出されたとか」

「鵜沼では、確かに旅をするには難しそうだ。ならば、我が城に滞在なされるがよい」

 唸るように出てきた返答が嬉しい答え。

「おお、それをお願いしたいと思っておりました。流石さすがは、巷で武も智も備えた仁将と名高い方だ。万里殿、此処まで来れば鵜沼は目と鼻の先、大和守殿に甘えて戦乱が終わるまで滞在なされるが良い」


「ありがとうございます」

 万里が深く一礼をする。

「なに、かの妙椿和尚の歌会にも列席なさったと聞く。思い出話もできましょう」

 大和守が笑いながら万里に話しかける。

「歌といえば、万里殿はかの東野州とうやしゅう殿から、古今伝授を受けられた身。御家中にめぼしき者あれば、伝授を受けられるかもしれませんぞ」


「ほう。それは楽しみなこと。東野州殿といえば、思い出すのは妙椿和尚ですな」

 万里を見ると、先程から縮こまったようにしている。

「斎藤妙椿殿とは、大和守殿とは確執があるのでは?」

 大和守の左眼がひときわ大きく見開かれる。


「ただただ、良き敵にてござった。それだけでござる。何度も戦い、ある時は負け、ある時は勝ちもうした。全ては主人が望んだ戦でござった。もっとも、その主人とも槍を合わせておりますがのう」

 豪快にハハハと笑う。あまりの大声に耳の穴に指を詰めたくなった。

「されど、儂が清洲で尾張半国の守護代と威張って居れるのも妙椿和尚のおかげですからな」


 美濃小守護と言われ、文武両面で非凡であった、斎藤妙椿は守護代家の分家の身でありながら、幕府直臣で奉公衆を務め、官位も従三位権大僧都まで上り詰めた。これは、守護や守護代よりも上の官位である。応仁文明の乱では西軍に属し、足利義視を推戴、西軍管領代として戦い抜いた。


 応仁文明の乱の直後大和守は、幕府に尾張守護代に任ぜられ、斎藤妙椿に助けられて清洲入城を果たし、その翌年、妙椿の仲介により不利な戦況の中尾張守護と織田伊勢守と和睦し、伊勢守と尾張を共同統治することに決している。妙椿がなければ今の自分はないというのは、このいずれかを指しているのだろう。


 その妙椿も隠居して十年、死して九年経つ。現在の美濃を動かしているのは妙椿の養子妙純である。そして、足利義視、義材を後援しているのは、妙純も同じである。妙純の娘が朝倉家当主孫次郎貞景に嫁ぐことが決まっていたらしい。しかし、この当主残念なことに先の越前加賀騒乱の時に戦死している。


「して、何がお聞きになりたいのですかな」

 俺は懐から、封書を取り出した。

「左京」

「はっ」


 左京が、恭しく大和守に渡す。

「この場で読んでも」

「どうぞ」

 開いた書状を見て、大和守は大きく破顔した。


「なかなかのものですな。何をお買い求めに?」

「万里殿のことをお頼みすることと、我が鎌倉の廻船が尾張の湊を通して堺までの書状に添え書きを願いたい。些少ではあるが納めいただきたい」

 大和守に渡したのは例によって証文である。親父の花押が入り、鎌倉の主だった商人の裏書がある。


「それと、もう一つ。親子鳩の近況をお教え願いたい」

 大和守の笑いが深くなった。にんまりと口角の上がった様は、獲物を狙う肉食獣のようであった。



 万里とその家族を清洲に残し、熱田湊の宿所の寺に戻ると潤丸が飛びついて来た。

「兄上、織田大和守にお会いしたというのは本当ですか!」

「おお、確かに会ったが」

「片目の偉丈夫だとか」


「うむ、確かに」

「矢の刺さった片目を自ら抉り出し、食べてしまったとは本当のことでしょうか?」

「確かに隻眼ではあったが食べてはいないと思うぞ」

 なんだ? 夏侯惇か? 誰か脚色した話を教えたな。


「そうなのですか?」

「当代きっての豪傑であろうとは思うが。目のけがのことは聞いてもいないよ。百里の家族を預けるのが目的だったからね」

「はい」


「潤丸。面白い話。派手な話には嘘が多いんだ」

 弟はとたんに目線を下げる。

「お話はお話。事実は事実として分けて考えなければいけないよ」

「はい」


「茶々丸殿!」

「あ、母上」

 いつの間にか、義母が横に立っていた。


「潤童子はまだ、幼いのです。無理に分別を教える必要はありません!」

「あ、しかし・・・」

「貴方様が、幼い時には、だーれもそんなことを教えたりしていませんよ」

「それは、そうかもしれませんが」


「ふん・・・」

 潤丸を抱えるようにして、連れて行ってしまった。

 潤丸が体を捻って、俺を見ている。その格好で連れていかれてしまった。



 深夜、俺は何かの気配で目を覚ました。 

「あにうえ~」

 泣きそうな顔の潤丸が覗き込んでいた。

「厠か?」

 頷くのを見て起きると、ひんやりと寒い。


「よし、一緒に行こう」

 寺の宿坊の厠は、一旦外に出て、裏手に回らねばならない。暗い中一人で幼児が厠に行くのは恐怖だろう。

 潤丸の体を抱えて、厠へ飛び込む。かろうじて、潤丸の尊厳は守られた。


 自分も生理的欲求をすますと、裏口で足を洗って(裸足で飛び出したから)、俺の寝間着をつかんで離さない、潤丸を抱いたまま同じ布団で寝ることにした。幼児の少し高い体温が心地よかった。

 翌朝、大騒ぎになりかけたのは、当然だったかもしれない。寝ぼけていた、俺が悪い。潤丸は悪くない。 

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