第三十五話 鳩の瀬と通商施策
吉良屋敷を翌朝辞去し、三浦水軍の大舟で横浜の仮陣屋に戻る。
入り江の内側で船を下り、10分も歩けば、内海の波打ち際である。そこには、松下水軍新造の二本マストの帆船が待っていた。船大将は、松下三郎右衛門尉本人である。内浦三津の仕切りはいいのか?
十分沖に出てから、足利二両引き紋と青く鳩を染め抜いた三角帆を上げる。
帆桁を回してから、ゆっくりと帆を上げていくと、静かな風を受け、船が進み始めた。
大分練度が上がっている。満足して、三郎右衛門に笑いかけると、その顔が大きく綻んだ。
伊豆に戻る海路の途中見たいものがあるといって、大磯へと寄った。
大磯の海岸から沖に特に名のついているわけではない岩礁がある。
浪で洗われるさして大きくもない岩礁。そこに、夥しい鳥が集まっていた。
緑色の美しい鳥で、何十という群れで来て、去る時も一斉に飛び立つ。
「あれだ」
俺が指差すと、左京は目を凝らした。
「鳥ですか? なんと沢山集まって・・・」
「鳩だ」
「は、と、ですか? しかし、なぜ?」
「足利の瑞鳥たる鳩だ。海の水を飲んでいるらしいが、仔細は知らぬ」
「これは、瑞兆なのでしょうか」
「はて、夏ならばいつでも見られるそうだ。あれは、アオバトといって、山の鳩だが珍しい種類なのだという。よく見てみよ。なかなか美しい色合いではないか」
「は、確かに、美しい」
「もっとも、『あを、あを』と啼くからアオバトという話しもあるそうだ」
「はは、『あを、あを』ですか」
「尊氏公の六波羅攻めの折に現れた鳩は塔鳩ではなく、アオバトであったらと思うのだよ」
俺は、足利の旗に描かれた鳩の由来を口にすると、左京が大きく頷いた。
帆を下ろし、船を止めさせ、その光景に見入った。横浜で仕入れた水屋敷の水を口にする。
「甘い」
まだ暑い残暑の日差しの中で飲む水は甘かった。漕ぎ手も、舵取りも、全員が美味そうに水を飲んでいる。
あの鳩たちは海水を呑んでいる。さぞや辛かろう。だが、必要があって我慢して海水を呑んでいる。山に帰ったら、甘い果実を啄ばむか、滝の水でのどを潤すか。
さあ、ここにもうまい水があるぞ。日差しに枡を掲げながら、ここにあの鳩が一羽でもいいから来てくれないかなと思った。
もちろん、鳩は来なかった。
その日は、宇佐美の湊に入り、宇佐美城で一夜を明かすことになった。
「左衛門尉、今宵は世話になる」
「は、ごゆるりとお過ごしくだされ。若がこの城にいらっしゃるのは随分久しぶりです」
「そうだったか?」
「まあ、こんなお小さい頃でしたからな」
宇佐美左衛門尉は、こんなと一尺ほど両手を縦に広げて見せた。
「何を言う。それでは、赤子でも小さすぎるぞ」
おれが言うと。
「若君は今では、一晩に一寸二寸と背が伸びる年頃ゆえ、赤子の頃は左様に小さかったのかと」
左京が余計なことを言う。
「いかさま、上洛の帰りに三津へ寄られた時には、勇ましい稚児でござった」
三郎右衛門尉も余計なことを付け加える。
「兄上、某の挨拶がまだ済んでおりませぬぞ」
「お、三河守か。許せ。つい話がはずんでしまってな」
いつの間に寄って来た大柄の侍が声をかけてくる。
「若君。ご無沙汰しております。宇佐美三河守にござる」
「うん。宇佐美兄弟がそろっているのは珍しいな」
「はっはっ。堀越御所と領地を交代で行き来して居りましたからな」
「そうだったな。鎌倉へは誰が行っているのだ?」
「某の倅を行かせました」
左衛門尉が頭を下げた。
「奉行衆か?」
「いえ、奉公衆で」
「う、何人連れて行った」
「二十人ほどですが」
「扶持は足りているのか」
「金を何枚か持たせました」
「だめだ、金は使いにくい。鎌倉の商家は、韮山とは違う。有り金巻き上げられるぞ」
「え? そうなのですか?」
「三百年も鎌倉に店を構えるってことは、算板上手の坊主どもと張り合っていられるということでもある。鎌倉府復興ともなれば、ここで身代を大きくしようと手ぐすね引いているさ」
「ちと早いが、鐚銭と伊豆銭の交換を始めるか。ここでは、おおっぴらに交換はできないから貯めこむ一方だったろうが、やっと使えるな」
「ありがとうございます」
佐久間兄弟が声を合わせて頭を下げた。
「時に、若様」
夕餉の席で左衛門尉が言った。
「なんだ?」
「烏川街道の道普請ですが、亀石峠まではほぼ終わりました」
「随分早いな」
「飯は出す。賃金も出す。と聞いて他領からも人が集まりまして」
「うん。それで」
「堀越まで、山道を使われるのでしたら、人を・・・」
「あ、船で行くよ。播磨にも顔を見せておかないと。山道はゆっくりと歩きたいからね」
「はい。分かりました」
「内浦三津から韮山までの道も整備中だし、来年には、内浦から宇佐美まで荷車が通せるぞ」
「はいー」
おれは、三郎右衛門尉を見るとにこにこしている。
「ええ、狩野川は、渡れませんが」
左京が余計なことを言う。
「跳ね橋を掛けよう」
膳の椀持って、縁の上で箸を上げ下げする。
「荷車一台一文でな。で、舟が通るときは橋を上げる」
箸を縦にする。
「橋を持ち上げるだなんて、どんな剛力の持ち主でもできないんじゃないですか?」
左京が冷静に指摘した。
「はいー」
三郎右衛門尉はまだにこにこしている。酔ってるだけか?
翌日、下田に立ち寄る。
塩の出荷について、打ち合わせをする。
状態を聞いたが、うまくにがりが抜けて、すっきりとした味わいのサラサラの塩になったとのこと。
これを鎌倉に出荷しよう。
そして、鎌倉の塩座をつぶす。楽市楽座を鎌倉から始めれば周囲の影響は大きい。
播磨守、左京、俺の三人は顔を見合わせ、ニヤッと笑った。
堀越御所に帰り着いたのは、翌日であった。
自分の部屋に入ると、すぐにお松が飛び込んできた。
見ると、風呂桶のようなものを抱えている。
これから古奈にでも行こうというのだろうか?
「できた。できたのよ」
「へ?」
何ができたって? まさか、俺の・・・
「ほら、お豆腐」
桶の水の中には、白い四角いものが、揺れているのだった。




