第十九話 まだまだ続くものづくり
義母の機嫌が悪い。土用干しの折に武者小路家伝来の着物に虫食いが見つかったらしい。
義母は、大げさに三日ほど泣き暮らしていたが、親父に新しい着物を無心したらしい。打掛を三領無心したところ、一領しか許してくれなかったといってはまた泣き暮らした。絹は明からの輸入に頼るしかないからな、バカ高いし。
その顛末を、俺は義母の女中の篠から聞いた。篠は上洛するまで閨に呼んだ唯一の女であったが、お松や勝子と夫婦となってからは手を付けていない。
「分った。お松にも打掛を作らす故、楠美が来た時に頼んでよいぞ」
「よろしいのですか」
「ああ、金儲けの種を教えてもらったからな」
おれは、銅板を作っていた鍛冶に、蒸留器の作成を依頼した。樟脳を作るためである。
船作りが盛んな土地を中心に、楠を探してもらう。楠は、大木になるため、その材は船用に重宝されるのだ。
どうせ蒸留器を作るなら、酒用の蒸留器も作ってもらおう。でも江川酒を蒸留するのはもったいないな。救荒用に貯蔵していた、粟、稗、黍、麦で、酒を仕込んでもらうか。
調べたところ、 阿豆佐和気神社に御神木として巨大な楠があるほか、各地に生育しているようだ。 宇佐美で樟脳づくりを始めることにした。堀越御所まで陸路で比較的近いことと、今まで東伊豆に利益供与が少なかったことがある。有力者である伊東家にはよく皮肉を言われると播磨がこぼしていた。
楠を調べていることきに分ったのだが、どうやら、木材を板に加工するのは、えらく効率が悪い、もったいない方法しかないらしい。横引きの鋸はあるが、縦引きの鋸はないのである。板を作るときには、丸太を鑿で刻みをつけて、そこに楔を叩き込んで割るのだ。割った材木を、釿や鉋で削って板を作るのである。
韮山の鍛冶に話したところ、乗り気になってくれた。翌年には、二人引きの製材用大鋸が伊勢屋を通じて売り出されることになるが、伊勢屋としては痛しかゆしのところもあるのだという。二十年ごとに行われるはずの神宮式年遷宮が行われておらず、その見込みも立っていない。それには、古式に則って施工することに問題があり、同じ原木から多くの製材を作り出せる鋸の導入を図ったが、けんもほろろに断られたのであったという。これはまあ、後の話ではあるが。
楠美家には、テングサやオゴノリ等、紅藻類を集めてもらっている。冬になったら、風磨に頼んで天城山中で寒晒心太つまり寒天を作るのである。寒天は、食用になるほか、椎茸栽培に使う。一旦干した紅藻類を煮れば、心太ができるんだが、海藻臭くて何を使っているか、わかっちゃうから、匂いのないのを使いたいわけだ。
楠美家に命じて、狩野川河口以南の獅子浜の人には、ヒトデを取ってもらった。天日で乾かして殺した後、真水にさらして塩分を抜き、腐らないように日陰で乾し、完全に乾いたら、細切れにする。これを、畑の肥料にする。地上に撒いておけば、イノシシやシカの忌避剤になるという。
風魔一族の天城組頭になった黄三郎が来た。
「すると、ヒトデは役に立っているのだな」
「はい、イノシシやシカは寄り付かなくなり、収量も上がっているようです」
「ふむ。天城の里には行けぬが、困ったことはないか」
「はは、揆一郎様のお願いが少しばかり、苦行ではありますな」
「ははは、そこで、もう一つお願いがあるのだが・・・」
さすがに、苦笑いを浮かべた黄三郎だが、それに構わず続けた。
「ニワトリが欲しい。朝早くに、コケコッコと鳴くやつだ」
「飛べない、鳥ですかな」
「そうだ」
「時告げ鳥なら、はい、伝手はございます」
「できるだけ沢山揃えたい。霊鳥などと言って拝まれているような奴はいらぬ。元気であればよい」
「その、トリをどうするのですか?」
「卵を取る」
はっ、と息を呑むのが分かった。列記とした武士階級のものが言うのに驚いたのだろう。
「じつは、あの鳥は、餌を与えておれば毎日のように卵を産むらしい。そして、群れに雄がいない場合は、卵は孵らない」
「というと」
「種がついていない、卵ということじゃ」
「なるほど」
「卵は滋養があり、旨い・・・・らしい」
「とは、申しましても」
「勝子は、寺の出じゃ。勝子が良いといえば、大体は納得するだろう」
「ああ、小方様ですな」
「なんだ? そのこかたさまというのは?」
「揆一郎様の奥方様方のことですが、口さがない者は、大方様、小方様と」
「む。お松が聞いたら困るな」
「いえいえ、大方様と呼べと言ったのは、お松様ご本人でして」
「・・・そうなのか。で、卵のことだが」
「子供に精をつけさせるには良さそうですな」
「勝子に見せるときに、孵る直前の卵を見せて、無精卵、ああ、種がついていない卵をそう呼ぶんだが、無精卵なら、食べても教義上問題ないことを分ってもらうんだ」
「かしこまりました。ところで、里の老人が腰が痛くならない鍬はないかと聞いてくれと言っておったのですが。ああいえ、そんなものありはしないと分ってはいるのですが」
「あるよ」
「へ? あるのですか?」
「そう。言われなきゃ思い出さなかったな。ちょっと待ってくれ」
おれは、紙と筆を用意する。あ、墨がないな。
「いいか、黄三郎。腰はな、こう、屈むから痛くなるのだ」
墨をすりながら、話を続ける。
「よしと、ここは鉄で作って、尖らせる」
磨り上がったばかりの墨をつけて筆で、絵を描いていく。
「ここの棒は硬い木を使えば良い。この板もそうだな、これに足をかけて。ここの取っ手に体重をかけると、穂先が鋭いから、硬い地面でも入っていく。で、この板を足で踏んで、取っ手を手前に引くと、土が持ち上がる」
「なるほど、聞いてみるものですな」
「ハネクリ鍬だ。これも、作って売りに出そう。手の空いてそうな鍛冶はいるかな?」