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第九話 それはやっぱり黒歴史

 俺が自分を取り戻したのは、小川御所とも呼ばれる日野富子の居宅であった。

 小川第は元は細川家の所有していた土地であったが、別宅が欲しいという義政に提供したものである。そして、義政は室町御所を離れここに移り住んだ。その後、応仁文明の乱により、室町御所は焼け、富子と義尚も小川第に移り住むことになる。しかし義政が長谷聖護院の山荘へ、そののち、将軍義尚も富子をおいて伊勢貞宗邸に移転してしまい、将軍親子は三人とも別居状態になっている。小川第は日野富子自身を示す言葉ともなった。


 元服に関わる諸々のことが胸の中に渦を巻いて、茫然としていたわけだが、何とか自分を取り戻し、幕府御台所(みだいどころ)と呼ばれる日野富子に挨拶をした。清丸も一緒である。現将軍義尚にも日野家の娘が嫁いでいるが、夫の義政が将軍職を退いているにも関わらず、単に御台所(みだいどころ)御台様みだいさまと呼ばれるときは、日野富子を指す。

 清丸は幼いながら、立派な挨拶をやって見せた。

 その場には、日野富子に大御所や親父、いつの間にかあらわれた細川政元も同席し、今後の清丸についてが話し合われた。


 足利清晃(せいこう)(清丸)は、大御所義政の猶子(ゆうし)となること。当面は、天龍寺香厳院主として僧になること。

 将軍義尚に健康上の不安があり、もしもの時は、義尚の後継とする前提でことを進め、清丸を義尚の猶子とすること。義尚に男子ができた場合は、この限りではない。

 義尚には義材(よしき)という猶子がいるが、大御所、御台富子、政元は清丸を優先する。

 関東公方家は三方に資金を援助する。


「揆一郎殿」

 いきなり、政元が俺に振った。

「はい」

「弟御、清晃殿が、公方になったならなんとする」

「お仕えするのみです。ただ、今はかわいい弟です」

 俺は、すっかり舟を漕ぎ出している清丸を引き寄せ、その頭を胡坐の足に載せた。

「某が関東に戻れば会える期会は、ないでしょう。さみしいことですが」


「そなた、関東殿の嫡子であったの」

 富子が俺に訊ねてきた。女性としてはやや低い声。

「はい。この度、おかげをもちまして元服いたしました。揆一郎政綱と申します」

「そなたの、母はどこの出やったかの」

「関東管領家の養女にて、鎌倉からの武家の出と聞いております」

 親父をそっと窺うと苦りきった表情。


「我が弟、清晃と潤童子の母は御台様とは御従姉妹(いとこ)と伺っております」

「そう。小さい頃のあの娘を覚えています。大変愛らしい娘でした。応仁文明の乱を避け、つてを頼って川手(美濃の国都)にいたのだけれど、あの偽公方(足利義視)が、美濃に逃れると聞いたので、伊豆に行くよう手紙で勧めたのだわ。可愛らしい公家の娘など、あの男が見れば自分のものにすることに決まっているもの」


「それは、良いことをなさいました。おかげで私も、二人も出来の良い弟に恵まれたというものです」

 親父を見れば、真っ青になっている。大御所は全くの無関心のよう。政元は、今にも吹き出しそうにこらえている風である。


「ほ、ほ、ほ、ほ、ほ、ほ。面白いことを言う子じゃ」

 言葉は発せず、一礼する。おっと、清丸が落ちそうになった。気を付けないと。

わらわをどう見る」

 どうしようか。本音をぶちまけるか。それとも・・・


 一瞬だけ考えて、話し始める。

「御台様の噂話はどこでも耳に入りまするが、この小川御所を離れては、良い話を聞くことはないようです。しかし、誰もが餓えるこの時勢、成功した者を見ていた者は自分に利がなければ悪口をいうのが世の習いでしょう。

 御台様の噂は、誰よりも上手に銭を集めることができた。その、称賛の裏返しでしょう。

 御台所様なくば、大樹様のご政道に障りが出ていたことでしょう。

 公方の家には、大きな領地がございません。諸役や関の収入ではとてもとても」


「おお。なんと。ここで、嬉しい言葉が聞けるとは」

 日野富子が席を立って、俺の間近まで寄ってくる。

「御台様」

「どうすれば良い? 民が妾を称賛するようになるのは」

「ただ一人が勝ち続ければ恨まれます。少しでもはっきり相手にも勝ちを渡なければ」

「うーん。難しい」

「もう一つ。美濃の殿は武門の頭となっても一廉の器量と伺っておりますが」

「うん? あの子にも日野の娘が嫁いでいるが」

「仮に、頭領になったとしたら、かの方のお父上にも力を渡すことになりましょう」

「なんと。確かにそうなろうの」

「都に戻られる時は、嵐も共に来るものと」

「ううむ」

「余計なこととは存じますが、もう一つ」

「なんじゃ」

「先頃押大臣が身罷られましたが」

「我が兄上がいかがしたかの」


「武家伝奏を務めておられる蔵人頭殿ですが病がちとか」

「弟御を当主がいない家に養子に出すとも」

「ご実家の行方も気を配られても」

「血が濃ければ、病勝ちの子供が多く、また孕みにくいとも」

 そして、気が付くと、俺は富子と二人っきりになっており、そしてそれは夕餐や就寝時まで続いた。




 人は思い出したくないこと、忘れたいことを黒歴史とかいう。

 後悔とか、自己否定とかいろいろあるが、どのみち自分じゃどのみち撥ね付けられなかった。

 四十半ば過ぎのおばさんなのに妙に可愛く見えてとか。あー何言ってるんだ? 俺。

 とにかく、察してほしい。それだけ。

 小川第には、三日ほど滞在した。


 当代、征夷大将軍足利義尚公に目通りがかなった。

 場所は、伊勢備中守七郎貞宗殿の屋敷の茶室である。

 親父とともに招かれた。

 茶道の作法など聞きかじったことしか分からない。親父のまねをしておこう。


 水も滴るいい男などという言葉があるが、大樹《当代将軍》義尚公は、まさしくそれだった。

 『緑髪将軍』などという異名があるのだとか。女であっても、男色の気のある男であっても、惹きつけられる美しさだという。父親(大御所義政)の愛人を寝取って富子に叱られたり、男の愛人の結城何某に守護職を与えようとして、政元に諌められたり、直行傾向のある人らしい。それでいて、和歌の才は当代一で、感受性豊かな人物らしい。


 義尚公は、上機嫌だった。

 作法などは特に咎められることはなかった。これで良かったのか、作法そのものがまだ確立していないのかもしれない。

 やや乾き気味の饅頭を食べ、抹茶を味わう。


「従兄弟殿」

いきなり、義尚様が話しかけてきた。

 茶碗をどう褒めようか、思案していた俺は、思考を中断されて少し慌てた。

「は、はい」

「此度の、土産みやげ、礼を言うぞ」


 土産とは、例の伊勢屋の裏書の入った証文である。銭に直して何千貫もの金が公方の手に入ることになる。

「おかげで、兵を出すことができよう」

 戦費に充てるってこと? まずったかな。

「兵、と申しますと、御自ら出征されるということですか?」


「近江へな。六角行高ろっかくゆきたかめを討伐するのじゃ」

 なんか、一人で盛り上がっているんですけど。

「これで兵糧もあてがついた。五月までには兵も出せよう」

「それは、お役に立ち、幸いにございました」

「そうじゃ、揆一郎。お主も来い。せっかく元服も済ませたのじゃ。此度の近江のことそなたの初陣とせい」

「は、ありがたき幸せ」

 他が断れるわけねーじゃん。初陣かよ。どうしよう!?



 

食われました。

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