スイート・メモリー
先日、私が通っていた小学校が老朽化に伴い取り壊されたという話を聞いた。通っていたと言っても六年間ではない。私の父親は転勤族でそれによって私も転校を小学生のときだけで、三回ほど繰り返していたのだ。
その学校には三年生から四年生までの短い時期しかいなかった。
人間の記憶力とはどの程度なのだろう。結婚もして妻もでき、もうすぐで子供も産まれる。そのせいか、小学生どころか中学生辺りの記憶もおぼろげな部分がちらほらある。
次々と移り変わる環境のせいで今でも親しい友人と言うのもほとんどいない。そのため、友人たちと作った楽しい思い出なんてものも思い浮かばない。
小学生の頃から唯一続いている友人と言えばS君だろう。彼とは例の取り壊された小学校のクラスメイト兼友人で、私が転校してからも文通を送り合う仲だった。
ある程度行動範囲が広がる高校生になると、お互いに電車を使って東京にやって来て顔を合わせるようになった。
再会したS君は大人しめの少年といった印象があり、それは小学生の頃から変わっていなかった。
しかし、それは私にも言えていたのかもしれない。S君は私を見て「〇〇(私の名前だ)君変わらないね」と控えめに笑っていた。
大人しいというのは親にとっては手のかからないいい子という印象があるだろうが、同じ子供から見ればどこか陰気臭さを感じて苛立つ要因となっただろう。
そのためか、私もS君もクラスでは虐めの対象となっていた。
いじめの内容は教師に見付からないような裏庭や校庭の隅で取り囲んで悪口を延々と言い続けたり、靴を隠したり。とりあえず子供ながら精神的にくる陰険なものだった。
私の外靴は雨の日になくなり、一時間ほど探した結果、飼育小屋の近くの水溜まりの中に放り込まれていた。その日、私は上履きのままで帰るしかなかった。
いじめを行っていたのは十人ほど。その首謀者はI君だった。I君は体が大きく、力も強く、おまけに性格も強気という所謂ガキ大将だった。
ただし、無駄に悪知恵だけは働いて、私たちを殴ったり蹴るときは必ず大人たちが見ていないところで行われた。
担任には何度もI君たちのことは言ったが、面倒事には巻き込まれたくなかったのか、まともに聞き入れようとはしなかった。
親に訴えても「我慢しろ」の一言で終わった。学校は真面目に行かなければまともな人間にはなれないと考えていた人たちだったのだ。もっとも、その考えは後に修正させられることとなるが。
ある日、I君が肝試しをしようと言い出した。先日、六年生たちがこっそり夜の学校に忍び込んだ話を聞いて、じゃあ自分たちもとなったらしい。
メンバーはI君と取り巻き二人、そこに何故か私とS君の五人だった。
嫌な予感がしたし、勿論行きたくなかった。だけど、I君の「来なかったらどうなるか分かってんな?」と恫喝されては拒否は出来なかった。
私は一度家に帰ってから、六時近くになってから学校に向かった。私以外はそのまま学校に残っていたようで、ランドセルを背負っていた。
この時期は六時になれば真っ暗になる。僕は一応懐中電灯を持ち出していたが、案の定I君に取られて私物化されてしまった。
I君は「せっかくだから面白いことやってみんべ」と言いながら、三本のペットボトルを僕たちに見せた。どれも微妙に異なるものの、ラベルは貼られておらず、水が半分程まで入っていた。
取り巻き1(以下A君)「I、それ水?」
I君「塩水。あと、これも使う」
そう言ってI君は自分のランドセルから、一本のこけしを取り出した。
それを見て私だけではなく、A君や取り巻き2(以下B君)もギョッとした。こけしはカッターでも使ったのか、全体的に引っ掻き傷のようなものができていた。
中心には赤いマジックで漢字で何か書かれている。画数も多いそれを誰も読めなかった。
I君「これ、俺の家で奉ってる〇〇〇様(そんなに長い名前ではなかったと思うのですが、思い出せません、ごめんなさい)ってやつ。ヤバい神様だってよ」
B君「あ、いつも言ってたやつ?」
それは私も訊いたことがあった。I君の親は不動産業をしている金持ちなのだが、親戚も政治家だったり医者だったりとすごい家系らしい。何でも大正時代からどこかの山の神を信仰しているようで、一族の繁栄はその神様の力によるものだとか。
ただし、本来はとても恐ろしい神様のようで周囲には他言しないように言い付けはされていたらしいが、小学生にそんなことを言っても無駄だった。
I君はヘラヘラと学校で「俺の家には神様がついてんだ」と言いふらしていた。
そんな話、全員が全員信じるわけではなかったが。
そもそもI君自身が〇〇〇様の存在を信じていなかった。我が家にまつわる面白話感覚で家には黒い神棚があると語っていた。
もし、〇〇〇様が本当にいるのなら試してみよう。そんな考えに行き着き、用意したのがペットボトルと傷だらけのこけしだった。
I君「このこけしに〇〇〇様を取り憑かせて壊した後に叫ぶんだよ」
私「壊して……どうすんだ」
I君「〇〇〇を殺したのは俺たちだ! 一時間以内に捜し出してみろ! ってな」
I君はニヤニヤしながら言った。〇〇〇様を信じているわけではなかったが、万が一本当にいたとして、そんなことをしたらどうなってしまうのか。考えただけで恐ろしかった。
A君もB君も単なる肝試しだと思っていたようで、黙り込んでしまった。
そんな中、S君だけが険しい顔で言った。
S君「やめた方がいいよ。大変なことになる」
I君「大丈夫だって。そのために塩水を持ってきたんだからよ」
何かあったときは塩水を口に含んでいれば、絶対に悪霊や化物は近寄ってこない。テレビでそんなことを言っていたとI君は笑いながら答えた。
ペットボトルは三本しかない。一本はI君が、残り二本はそれぞれ僕とS君、A君とB君で使うように説明された。
そして、そのペットボトルが入ったI君のランドセルは生意気な口を叩いた罰としてS君が持つ羽目になった。私はS君のランドセルを持とうかと言ったが、S君は断った。
私たちは四階まで行った。そこの窓からこけしを落とした。下はコンクリートの駐車場だった。
こけしは頭から落ちて、頭部がもげた。切れかけた外灯の白い光がコロコロと転がる頭部と、傷だらけの胴体を不気味に照らした。
ボキッという何かが折れるような音が聞こえた気がした。
I君「〇〇〇を殺したのは俺たちだ! 一時間以内に捜し出してみろ!」
本当に言ってしまった。まだ何もおかしいことは起きていないのに、背筋がゾクゾクする。
I君は満足そうな表情で、ランドセルに入れておいたペットボトルを取り出した。どうしてか、S君にペットボトルを渡すとき、I君は私たちを殴るときに見せる笑みを浮かべていた。
一時間学校のどこかに隠れて、〇〇〇様に捕まらないようしろ。I君は自分のペットボトルを持ってどこかへ走り去ってしまった。
私としては一刻も早く帰りたかったが、どうせ今帰っても親に怒られるのは確定している。それに加えて翌日、I君からの制裁を喰らうのは嫌だった。
ちなみにI君が行った降霊術は一時話題となった「ひとりかくれんぼ」に似ているかもしれない。呼ぶ霊が既に決まっていたし、あれは室内で行うものであるが。
私たちの隠れる場所は一階のトイレとなった。怖いものは何も神様だけではない。警備員に見付かったら担任から大目玉を喰らう。なので電気も点けず、個室で一時間が過ぎるのを待つことにした。
S君が蛍光機能のある時計を家から持ってきていたので、時間はそれで確認できた。
私は色んな恐怖でひたすら体を縮めていたが、S君は怖いくらい無表情だった。
私「怖くないのかよ」
S君「怖いに決まってんじゃん」
小声でそんな会話をしたあとはひたすら一時間が経つのを待つしかなかった。トイレの個室という狭い空間。もし、ここから出られなかったら……と考えて急いでその想像を頭から追い出した。
残り十五分になった。あと、少しで終わる。そう思った時、遠くから悲鳴が聞こえてきた。
I君だった。
私「何かあったのかな」
S君「大丈夫だよ。いざとなったら塩水飲めば何とかなるってIも言ったし」
S君は呑気に言った。だが、おかしい。悲鳴がいつまでも続いている。塩水を呑んでいないのだろうか。
バタバタと走る音がこちらに近付いてくる。ただならぬ様子に私の心臓がバクバクと音が上げ始めた。
そして、足音の主はトイレにまで入ってきたらしい。荒々しい息遣いと半泣きの声が聞こえる。I君のようだ。
I君は「A! B! 水! 塩水!」と叫んでいる。あんな声、初めて聞いた。
一体何があったのだろう。個室から出ようとすると、S君に体を押さえ付けられた。
声を出そうとする前にペットボトルの中身を無理矢理飲まされる。しょっぱい。S君は耳元で「これから絶対に飲み込むな」と言ってから、自分も塩水を飲んだ。
「ああ! あああああああ!!」とI君は叫び続けている。
ジャーとトイレの水が流れる音がする。それも一カ所からではない。私たちが入っている場所以外のすべてのトイレの水が流れている。
ある違和感に気付いて私はゾッとした。
声からしてI君は今、私たちが隠れる個室の前にいる。そんな中で隣のトイレの水は流れた。
I君ではないとするなら、誰が水を流した?
水の流れる音は止まらない。洪水の中にいるような感覚だ。
異様な状況に私が混乱していると、「I、Iどうした!」とA君の声が耳に入った。この騒ぎを聞いてやってきたようだ。B君はいないようだったが。
I君「A! 塩水くれ!! 早く!!」
A君「何? どうしたって!?」
I君「俺の水が、あっ、あぎゃ、あああっ、いあああああっ、アッ」
それが最後に聞いたI君の声だった。次の瞬間、何も聞こえなくなった。I君の声も、A君の声も、水の音も。
テレビを消音にしたときのように、全ての音や声が消えてしまった。
無音。ではなかった。
ぺちゃ……ぺちゃ……と水音がした。私たちのいる個室の前で。
どうしてだろう。私はそのとき、上を見上げてしまった。
暗闇でもはっきりと見えた。
ぼさぼさの白髪頭の老婆がトイレの戸によじ登り、そこから私たちを能面のような表情で見下ろしていた。
それを見た瞬間、私は気を失ってしまった。
目覚めると私は病院のベッドにいた。周りには青ざめた顔をした両親とS君がいた。
とんでもない騒ぎになっていた。I君が行方不明となっているそうだ。
私は警察や両親に洗いざらいすべて話したが、警察は訝しげな顔をした。それはA君のことを話したところでだった。
A君とB君はすぐに怖くなって逃げ出し、家に帰ってしまっていたのだ。そして、彼らの両親は慌てて連絡簿を使って私やS君、I君の家にも電話をして学校に駆け付けたらしい。
私とS君は個室のトイレにいた。だが、I君はどこを捜しても見付からず、警察を呼ぶ騒ぎに発展しようだ。
I君の母親は泣き崩れ、父親は頭を掻き毟りながら狂ったように叫んだ。こけしは駐車場で発見されたが、首の部分は見付かっていない。
I君は見付からず、私もその直後に引っ越しすることになった。I君は学校に侵入していた何者かに誘拐された、と結論が出された。
私は無意識のうちにその出来事を心の奥隅にしまいこみ、忘れていた。
だが、そんな忌まわしい思い出は校舎の取り壊しによって蘇ることとなった。
久しぶりにS君と再会して飲みに行ったとき、私はその話をした。
私「小学校壊されただろ?」
S君「古かったからな」
私「子供の骨がさ……見つかったんだって」
見付かったのは一階のトイレ。それも一か所を除いた全ての個室トイレの排水口の中に少しずつ入っていたそうだ。
それだけではない。駐車場を掘り返すと、そこにはバラバラになった骨と引き裂かれた子供の衣服の残骸が埋まっていた。
I君の骨だ。私はそう確信していた。
S君は苦笑しながら「見付かってよかった」とだけ言った。特に驚く様子は見せなかった。
I君の身に何が起きたかは知る術もない。しかし、私には一つの引っかかりがあった。
あのとき、何故自分のペットボトルがあるはずなのに、塩水を求めていたのだろう。途中で落としてしまった、と言えばそれで解決してしまうだろうが、どうもそれだけではない気がした。
そうS君に言うと、彼はウイスキーが注がれたグラスを揺らしながら口を開いた。
S君「あの日、俺は学校帰りにコンビニに行くIたちの後を尾行した。そして、ペットボトルを三本買うのを見た。それぞれ違う形にした理由は俺たちを嵌めるためだった」
私「嵌める?」
S君「俺とお前のだけ、塩水じゃなくて砂糖水を入れておいたんだよ」
それはおかしい。私はS君から水をもらったが、あれは確かに塩水だった。反論するとS君は「当たり前だよ」と笑う。
S君「あれは俺たちのじゃなくて、Iのペットボトルだったんだ。暗くて分からなかっただろ?」
私「どういうことだ」
S君「俺はそのあとにコンビニに行き、Iが自分はこれがいいと言った形のミネラルウォーターを買った。その中のものを砂糖水にして。
あとは簡単だった。Iを怒らせておけば俺にランドセルを持たせるだろうと思っていたよ。全員こけしを窓から落とすのを見ていたときに、Iのペットボトルをすり替えておいたんだ」
だから何かが起こったとき、I君は急いで塩水を口に含もうとしたが、それは砂糖水だった。彼があんなに慌てていた理由をようやく知ることができた。
S君は深い溜め息をついて、口元を隠した。
まさか、あんなことになるとは思っていなかった。自分たち用の塩水だけ用意すればよかった。
そう呟くS君に、私は何も言えなかった。
何故なら、手の隙間から見えたS君の口は弧を描いていたのだから。
甘い思い出




