第五章 国王、致命的なミスをする~夕刻編~
困惑はアルミレッドの一言から始まった。
「部屋が取れた。そこで膝の手当てをしよう」
「ええ」
待ち合い室から受付の脇を通り、奥の階段へ向かう。
三階建ての宿屋は、二階と三階が全て客室になっているらしく、二階の通りには沢山の木製の扉が並んでいた。
「こっちだ」
古びた金属製の鍵を持ったアルミレッドは、キョロキョロと辺りを見回すシルビアを促すと、さっさと三階へと上がっていく。
「あ、待って待って」
人気の宿屋なのか、階段付近や踊り場にも何組かの宿泊客がおり、せせこましそうに身体を折り曲げ、互いにすれ違っていく。アルミレッドはその人混みを余裕で避けながらスイスイと進んでいくが、シルビアには階段を昇るのも一苦労だ。
なんとか、三階へとたどり着いたシルビアは待っていたアルミレッドに息切れしながら声を掛けた。
「ふう、お待たせしました!……とても、繁盛している宿屋のようね。よく予約が取れたものだわ……」
感心して、アルミレッドを見上げる。
「それで、私とあなたのお部屋はどこ?」
「……」
何故か少し気まずそうなアルミレッド。
その様子を不思議に思いながらも、シルビアは後について歩く。
「……ここだ」
辿り着いたのは三階奥の角部屋。
他の部屋よりは広いのか、扉が少し大きめの作りになっていた。
「私の為に、大きめのお部屋を取ってくださったのね。気を使わなくても良かったのに……それで、あなたのお部屋はどこ?」
ちょうど、隣の扉から旅人風の男が出てきたので、シルビアは不思議に思い尋ねた。アルミレッドは隣の部屋だと思っていたのに、違うのかしら?
これだけ繁盛している宿屋だ。隣り合わせでは取れなかったのかもしれない。
シルビアが尋ねているのに、アルミレッドは一向に返事をする様子がない。
そのまま、鍵を開け中に入っていく。
「……あ、あの……ア、アル?」
ドサッ。
肩に掛けた大きな荷物を床に放り投げるアルミレッド。その少し乱暴な様子にシルビアの不安が募る。
「「……」」
互いに無言でその場に立ち尽くす。
シルビアには訳が分からなかったが、とりあえずアルミレッドが部屋から出ていく様子がないので、慣れない旅の疲れから先を促す事にした。
「あ、あの、私少し疲れてしまって……。申し訳ないけれど、傷の手当てが終わったら少し休んでも良いかしら?」
遠回しに、早く出ていけと言っているようなものだ。
アルミレッドは、その言葉を聞いて深く深く溜め息をついた。
「……ここだ」
「……はい?」
「だから、俺の部屋もここなんだ」
「……」
ああ、なるほど。
しばらくの熟考の後、シルビアは理解した。シルビアに取ってくれたと思われる少し広いこの部屋は、アルの為に用意された部屋だったのだ。
確かにアルは体格が大きいし、このくらいの部屋の方が良いのかもしれない。
「あっ、分かりましたわ。嫌だわ、私ったら勘違いをしてしまって……ごめんなさい。それで?私のお部屋はどこ?」
そのまま、少し赤くなった顔で今度こそ自分の部屋に向かうために入り口へと向かうシルビア。
シルビアが扉に手を掛けようとすると、アルが鋭い声を出した。
「ダメだ」
「……はい?」
「……だから、ここから出ていってもダメなんだ」
ダメ?なぜだ。
シルビアは今度こそアルミレッドの真意が分からず、少しイライラとした口調で問い詰めた。
「アル?私は疲れているの。早く言いたいことを言って頂戴!」
「……」
ふう、と諦めたように一息ついたアルミレッドは言った。
「ここが、俺達二人の部屋だ」
「……」
よく聞こえなかった。いや、聞こえてはいたが意味が理解出来ない。
よし、ここはもう一度聞いてみよう。
「アル?ごめんなさい。私あなたの言葉の意味が分からないの……。俺達、二人の部屋と聞こえた気がするのだけれど……」
「……そのままの意味だ」
「……」
つまり、最初に聞いた言葉通りということか。
と、いうこと、は……?
「「……」」
沈黙が支配する室内。シルビアが目線をあげると、アルもこちらを見ていた。深い黒曜石のような瞳は何を考えているのか、どんなに探ってみても一向に読めなかった。
だが。
「そっ、それは、ダメでしょう!ぜぇったいに認められないわ!!」
いくら世間知らずのシルビアとて知っている。
家族でもない未婚の男女が同室になるという事の関係性を。それは、特別に親しいということだ。
しかし、あくまでもアルはシルビアの騎士である。
口調が馴れ馴れしく、平気で抱き抱えられていようとも。
そして、それを少し嬉しく思っている自分がいようとも。
さすがに、これは絶対に受け入れられない。
しかも、シルビアは未来の王妃としてこの国の国王に嫁ぐ予定なのだ。
他の男と部屋を同室にして良いはずがない。
「ね、ねぇ、今からでも受付けに行って部屋の手配を……」
シルビアが少し青ざめた表情で問いかけているのに、アルは何を思ったのか、下ろした鞄からさっさと荷物を取り出す。
「ああああ、アルっ?!」
そのまま、わたわたしているシルビアの手を取り、近くにあったソファに腰を下ろさせ、アル自身はその足元に腰を落とした。
なに?何をするつもりなの?!
シルビアの心の中はもう、ぐっちゃぐちゃだ。
もしや、もしや、このまま自分はアルと特別親しくなるのだろうか……?
国王に嫁がすに……?
「……」
それもありかも。
いや、むしろ、そちらの方が嬉しい……?
シルビアは、突然降って沸いた自分の気持ちに戸惑う。
大人しく座らされた状態で呆然としていると、膝に冷たいものが触れた。
「あいたっ!」
いつの間に持ってきたのだろう。
アルが水に濡れた布を使い丁寧に膝の汚れを取ってくれていた。
「……っ」
そのまま、慣れた様子で持っていた薬草を貼りハンカチをちぎり、包帯を巻く。
その様子に先程の戸惑いはもうない。
アルはすっかりこの状況を受け入れてしまったようだ。
「……アル?」
傷の手当てが終わり、立ち上がったアルは座ったままのシルビアを見下ろし、頭を垂れた。
「……すまなかった。本当は、二部屋予約していたんだ。しかし、今日は港の入港が多く、一グループ一部屋しか借りれないようになっていた。なんとか、食い下がってみたのだが、普通よりも大きな部屋を用意したからと突っぱねられてしまい……。膝の怪我の手当てもあるし、了承してしまった。……これは、完全に俺の落ち度だ」
「……い、いや、別に……」
悪かった。と自分を責めるように語るアルにシルビアは何も言えなくなってしまった。
ふと、思い付いた提案を口にする。
「あ、あの、今からでも別の宿屋に変えられないかしら?別にここでなくとも良いわけだし……」
「無理だな」
すっぱりと却下されてしまった。
「さっきも言っただろう?今日は普段よりも入港が多かったんだ。どこの宿屋も混雑しているはずだ。予約もしていない飛び込み客を泊まらせてくれる訳がない」
「……そんな……」
では、やはりこのまま泊まるしかないのだろう。
本当は、大声で叫び、腕をブンブン振り回し、アルをこれでもかと揺すぶってやりたかった。
しかし、目の前の騎士は責任を感じているらしい。
責任を感じている人物を更に責め、傷に塩を塗るような真似は出来ない。
シルビアは思考を切り替え、前向きに考えることにした。
「だ、大丈夫、でしょう!この部屋は広いし!ソファとベッドがあるのだから、別々に寝れば構わないわ!それに私とアルだもの。な、何もあるはずがないわ!」
そう胸を張って言った。しかし、今度は何故かアルミレッドが表情を暗くして、シルビアを睨み付けてくる。
「未婚の男女が同室になって、何もないと……?俺とお前では何もないと、どうして言い切れる?」
「えっ、えっ」
なぜ、なぜ、アルミレッドが怒っているのだろうか?!
シルビアはますます混乱する。
「だって、私は国王に嫁ぐ事が一応決まっているわけだし……。アルだってその為にわざわざ私をエトワールまで迎えに来たのでしょう?」
「別に国王の為ではない」
「えっえっ、ええー……」
「俺は、深窓の王女に会いに行ったのだ。そこに国王だとかそんなものは全く関係がない。それとも、何か?お前は国王という地位にあれば誰にでも嫁ぐのか?」
アルミレッドの表情が険しい。
今まで見た中で一番怖い表情をしている。まるで、憎き敵を前にしているようだ。
「いやいやいや、私はリトグラ国王に嫁ぐ予定で……。別の国王に嫁ぐことは無いわけだし……」
アルミレッドは、何が言いたいのだろう。シルビアがリトグラ国王で無くとも王ならば嫁ぐのは誰でも良いと思っていると疑っているのだろうか?
まあ、お会いしたことは無いわけだし、実際、国同士の政略結婚だし……。
シルビアは複雑な表情で考える。
どうやら、目の前の騎士はリトグラ国王に心酔しているようだ。あまりの心酔ぶりに未来の王妃となる自分と同室になってしまったという致命的なミスを受け入れられないのだろうか。
うん、そうだ。そうに違いない。
そこまで考えると、シルビアは急にアルミレッドが不憫になった。
そこで、優しい口調を心掛け口を開いた。
「ねぇ、アル?私がリトグラ国王に嫁ぐことは確かに私の意志が伴ったものでは無かったわ。……だって国同士で決めたことだもの」
そこで言葉を切り、睨み付けているアルミレッドを見つめながら「けれど……」と言葉を続ける。
「けれど、私はあなたに出会った。あなたは確かに変わった騎士だわ。でも、とても頼りがいがあるし、信頼出来ると思っているの。私が見知らぬ土地でもあまり不安なく過ごせて居るのはひとえに貴方のおかげよ。……そんな貴方が仕える国王ですもの……。私は良き王妃となるよう、側で誠心誠意支えて行きたいと思っているわ。……それでは、不足かしら?」
今まで感じた気持ちを込めて、アルミレッドに問いかける。
「……」
アルミレッドは、しばらく思案していたようだが、やがてシルビアの瞳を見返し静かに口を開いた。
「……その言葉に嘘、偽りは無いか?」
「……ええ、無いわ」
「騎士である俺の人柄を見て、俺が仕える国王ならば信じられると言うのだな?」
「ええ」
「……」
そうか、と呟き顔を背けるアルミレッド。しかし、その口許は少し緩んでいるように見えた。
どうやら、機嫌を直してくれたようだ。
ホッとしたシルビアも頬に笑みを浮かべる。
現在、夕刻。
このあと、深刻な夜が来ることを二人はまだ知らない。