第三章 王女、特技を披露する
シルビアの前では身分を隠している騎士のアルこと、リトグラ国王アルミレッドは、目の前の光景が信じられなかった。
ここは、リトグラ王国の港町。
人々が忙しなく行き交うその往来で、どうにも奇妙なやり取りが繰り広げられていた。
「ちゅぴぴぴ、ちゅぴっ?」
「ちゅー、ちゅぴぴっ」
「ちゅっ、ぴー!」
目の前には、怪我をした膝を庇うように立つシルビア。
その向かいには黄色い髪に黄土色、というよりほぼ土色の肌をした少年が立っていた。
『少年』とはシルビアよりもかなり低い背丈を考えて思ったが、奇妙な事に顔のシワ辺りを見れば、往年の男性のようにも見える。
とにかく、その奇妙な『少年』風の男と、シルビアは話し込んでいるのだ。
……アルミレッドには、理解できない言葉で。
「ちゅーぴぴぴー?」
何か尋ねるように首を傾げるシルビア。
「ちゅー、ちゅぴっちゅー」
受け答えている、だろう少年男。
「ちゅーー……」
すると、なぜかしょんぼりするシルビア。何かをしばらく思案していたが、急に思い立ったようにこちらを振り返った。
「そうだ!アルなら知ってるかも!」
そう言うと、輝かしく愛らしい極上の笑顔をアルミレッドに向けてくる。
「あのね、この人、リトグラ王国の外れのノンタッタ村に行きたいんですって。でも、私はリトグラ王国の地理に詳しくないし……」
アルは知らない?と問うシルビアの雰囲気を察したのか、少年男もまた一緒に首を傾げてこちらを見上げてきた。
なんだ、これは。
「……ノンタッタ村なら知っている。先の大戦で通過した場所だからな。隣国との境の森にある小さな村だろう?」
「ちゅぴぴぴ?ちゅぴぴっちゅー?」
シルビアが翻訳する。
「ちゅ!」
「そうだって!」
「……ならば、この町から隣国付近に向かう乗り合い馬車がある。それに乗り、隣国との境から森に入れば良かろう。……近くに行けば行き方を示す標識もあったはずだ」
「さっすが、アルー!!」
そう言うと、また小鳥のような口調で話し出した。
これは、真面目にやっていることなのか?
様々な人種と接してきたはずのアルミレッドにも、この目の前の光景は信じがたく、一見ふざけているようにしか見えない。
道を歩く人々も、この奇妙なやり取りを興味深げに眺めている。
「ちゅっぴぴ、ちゅっぴぴ」
アルミレッドがそんなことを考えているうちに話が伝わったのだろう、少年男がこちらに何度も頭を下げてきた。
人柄は悪くなさそうだ。
「ちゅっぴぴーぴー!」
去っていく小さな背中に向かって、シルビアは心配そうに何度も手をふる。
「ふぅーー」
一仕事終えたと言うように、スッキリとした表情のシルビアにアルミレッドは憮然と口を開く。
「あれは、なんだ」
あれは少年なのか?中年男なのか?……それよりもまず人なのか?
聞きたいことは山のようにあったが、言葉にならなかった。
「うん?あ、あの人はねコロボール族って民族なのよ!」
平然と答えるシルビア。
コロボール族。アルミレッドには馴染みの無い民族名だ。
「コロボール族は、北の大国の外れに住んでいる少数民族なんだけど、珍しくこっちで仕事があったみたい」
「……そうなのか」
「ええ。それで道に迷って困っているのに、言語がわからなくって途方に暮れていたんですって。オロオロしていたようだから、思いきって声を掛けてみて良かったわ!」
「ああ」
確かにシルビアはアルミレッドに大人しく抱き抱えられていたのに、急に暴れだしたかと思うと「あの人!あの人!」と指を指してきた。アルミレッドがそちらに顔を向けると、さっきの少年男が居たというわけだ。
「……あいたたた」
シルビアが膝を抱えて呻いた。傷口が開いたのだろう。
「ほら……」
ひょい。
また、腕に抱き抱えるとアルミレッドは今度こそ宿に向かって歩き出す。
「……ちなみに、お前はなぜコロボール族の事を知っている?」
「え?」
シルビアは驚いたようにアルミレッドを見上げる。
「あっ、そうよね!」
そして、理解したようにポンッと手を叩く。
「エトワール王国は、小国だけど歴史だけは馬鹿みたいに古いの。だから、過去に交流のあった民族や国がわんさか居るのよ。その歴史書っていうか、交流の記録がエトワールの城に残っていて。その中にコロボール族の交流や歴史もあったから、分かったのよ」
「歴史書……」
「私は、深窓の王女だったから。時間だけはたっぷりあったのよ。だからエトワールの城にある歴史書はほとんど読んでいると思うわ」
そう言うと、少し寂しそうに微笑むシルビア。
ほとんど部屋に閉じ籠る退屈な日々。
歴史書を読んでいると窮屈な城を飛び出し、世界を旅しているような気持ちになった。
だから、毎日貪るように読んでいたとは、さすがにアルミレッドには言えなかったが。
「……」
アルミレッドは、何かを思案するように歩く。
呆れられてしまったかしらとシルビアが不安になったとき、アルミレッドがポツリと呟いた。
「……どのくらいの言語が話せるんだ?」
「えっ?えーっと」
ここは正直に答えた方が良いのだろうか。
「どうした?」
「ん?えーっと、多分、現在この世界で使われている言葉はほぼ全て分かると思うわ……」
世界の言葉を知ってるとか。どんだけ暇だったんだ。
自分の事ながらシルビアは恥ずかしくて顔が赤くなってしまった。
うつむいて、アルミレッドの顔が見れなかった。
「それは……」
絶句するアルミレッド。
そんな騎士の顔を見たくなくて、首に回した手に思わず力が入ってしまう。
「べべべ、別に暇だったとかでは……!」
シルビアが言い訳がましくアワアワしているとアルミレッドが重ねて話し出した。
「俺は八ヶ国だ」
「え?」
顔をあげると、アルミレッドが何やら楽しそうに微笑んでいる。
「俺は八ヶ国語しか話せない。……すごいなシルビアは。それは王妃として、何より人として素晴らしい評価に値する」
「…………」
ふんわりと嬉しそうに微笑むアルミレッド。
シルビアは、その笑顔も眩しかったが、別の事にも気を取られていた。
「な、なな、名前……!名前……!」
主君を名前で呼ぶとか。
あり得ない。
……あり得ない事、なの、だが。
「ん?ああ、そう言えば名前を呼ぶのは初めてか」
気にする所はそこか?と、別に問題も無いように相変わらず嬉しそうに笑っているアルミレッド。
「き、気にするわよ……」
再び、上気した顔を隠すように俯くシルビア。
なぜ、騎士のくせに主君を呼び捨てになどするのだろう。アルミレッドへの疑問もわく。
しかし、シルビアがもっと分からなかったのは早鐘を打ち続ける自分の心だった。
これは、いけないことだわ……!そう頭のどこかで思ってはいても、鼓動は一向に鳴り止まなかった。
城下町への道は、まだ遠い。