第二章 国王、騎士になる
リトグラ王国の国王、アルミレッドの朝は早い。
まだ、夜も明けきらない頃に起床し、自ら身支度を済ませると、騎士達が集う訓練場に向かう。
「「おはようございます!陛下!」」
「うむ、おはよう」
そのまま騎士達と一緒になって汗を流す。
入隊したばかりの騎士見習い達にとって、そんな光景は信じがたくついソワソワしてしまう。しかし、これはアルミレッドが皇太子の時から続けてきた日課だった。
大国同士の争いがあった時には、病弱だった父王に代わりまだ皇太子だったアルミレッドが指揮を執り、自ら剣を奮った。
馬上で剣を振りかざし、敵に臆することなく向かう様子は騎士達の憧れであった。
赤茶色の髪が透けて輝き、日に焼けた浅黒い肌も引き締まっている。目つきは細く鋭いがそれもまた知性を感じさせた。
そんな容姿を知る貴族の娘たちもまた、アルミレッドに羨望の眼差しを向けた。
娘たちは必死になってコネを使い晩餐会や舞踏会に参加したがった。
しかし、父王が急逝するとアルミレッドの多忙な日々は熾烈を極めた。それこそ、晩餐会や舞踏会など参加する暇もなかった。
まずは、父王が始めていた奴隷制度の撤廃。残念ながら父王が達成することは叶わなかったが、大臣や高官達の反対を押し切り、アルミレッドの代で何とか達成させた。
アルミレッドには、大国との戦いで培った騎士達との絆がある。その軍部の力、恐ろしさを知る大臣、高官達は父王の時ほど反対を声高に叫ぶことは無かった。
最大の課題であり、目標であった奴隷制度撤廃を在位後早々と達成させてからも、アルミレッドが手を休めることは無かった。
より住みやすい国。
より安全な国。
より平等な国。
それらを目指し、休むことなく走り続けた二年であった。
「これにて、朝の訓練は終わり!」
「「ありがとうございました!」」
騎士団長の声と共に、それぞれの仕事へと散会していく騎士達。
その中で、アルミレッドもまた流れた汗を拭いながら一息吐いていた。
「よお、陛下!何だか今日はいつもより集中力つーか、覇気が足りなかったな。なにか心配事か?」
騎士達の人並みを掻き分けて、馴染みの騎士団長が話しかけてきた。
「ああ、まあな。…さすが、グランだな。自分では隠してるつもりだったが、気付かれたか」
「あー、まぁなぁ。俺はこれでも一応騎士団率いてる訳だし、陛下とは長い付き合いだからなぁ」
「……そうであったな」
グランは先の戦で、背中を任せて戦った戦友だ。国王となってからもアルミレッドという名を呼ぶことを許可したが、変に気を遣ってそれは辞退する友。しかし、口調は昔と変わらず友人と話すように接してくれる。
数少ない、信頼出来る仲間である。
「で、何があったんだ?俺でも相談に乗れることか?」
「……そうだな……」
アルミレッドは、昨日受け取った未来の花嫁からの奇妙な手紙の事を考えていた。
結局、本気なのか、それとも別の意図があったのかはどんなに読み返しても理解することが出来なかった。
それぐらい、突拍子もなく、信じられない前代未聞の内容だったのだ。
……グランに話してみるか。
グランはアルミレッドと同年代ながら、女性の扱いに長けていると聞く。この訳のわからない状況に対し、何かアドバイスをくれるかもしれない。
「グラン、この後、執務室に来れるか?」
「お?おお、今日は急ぎの仕事も無いし、大丈夫だぞ」
「では、頼む」
アルミレッドの歩調は無意識のうちに少し早くなっていた。
「……なるほどねぇ……こりゃ、いくら冷静沈着、頭脳明晰と言われるお前でもお手上げだよなぁ」
「……ああ」
執務室にやってきたグランに早速、シルビア王女からの手紙を見せる。最初は楽しげに読んでいたグランも、二枚目に行き当たってぴしりと固まったのが見てとれた。
「……しっかし、エトワール王国ってーのは、聞いていた以上に変わった国だな」
「そうか」
「だってよぉ、平然と『美しくないと身内にも言われる』とか書いてあるし……。しかも、普通に考えてこの手紙を出す前に、エトワールの宰相とかが検閲すんだろぉ?まぁ、親書だから手紙を開けないまでも、王女さんに内容確認はしてるはずだろ?それを、この内容を知った上で出させるとか。……だぁー信じられない!自国の王女を何だと思ってんだ!」
「……ふむ」
確かに、グランの反応が常識的だろう。普通、自国の王女を貶める手紙を出すなどあり得ないことだ。例えそれが王女本人からの手紙であったとしても。内容を確認した時点で止めるだろう。
……しかも、今回は王女が城下町で仕事をするとまで書いてある。そんな事を許すはずがない。
……普通の国であれば。
「……エトワール王国は、選民意識が高いとは聞いていたが、想像以上だったな。海神を敬い、類い稀な美貌を持つことが王族になる証だと聞いてはいたが……」
「いやー、これは酷いな。そんな国じゃあ、この王女さんも相当肩身の狭い思いして育ったんだろうなぁ……」
「……かも、しれんな」
会ったことが無かったとは言え、我が儘な傲慢女を想像していただけにこの不憫な王女を想い、少し胸が痛くなった。
「で?」
「……で、とは?」
「だから、どうすんのさ?本当に王女さんを城や城下町で働かせるわけ?……まさか、この話は白紙に戻すとか言わないよなぁ?!」
こんな可哀想な王女さんを見捨てないよな?!
グランは会ったこともない王女にすっかり同情しているようだ。
「……それについては、少し考えがある。だから、お前にこの手紙を見せたのだ」
「おー!さっすが、俺の認めた国王!なになに?何でも協力するぜ!!」
「……言質を取ったな」
ニヤリ。アルミレッドは人の悪い笑みを浮かべた。
「え、え、え?……そんなに難しいことな訳?!やべー乗せられた。親切心出して、首突っ込むんじゃなかった!!」
「騎士たるもの、一度口にした言葉は撤回しないだろうなぁ」
「…………ぐふぅ!!」
グランは観念したようにこちらを見てきた。少し涙目な気もするが、無視しよう。
国王に在位してから、休暇らしい休暇も取ってこなかった。ここは、グランに全面的に協力させて、偽の軍部演習にでも行かせ、それの同行と称して城を抜け出し、未来の花嫁と過ごしてみようか……。
そう決意したアルミレッドの顔には、貴族の娘達が見たら顔を赤らめるようなキラキラとした笑みが浮かんでいた。
「ふぅ~~やっと着いたわねぇ!」
午後の陽光降り注ぐ、海辺の港。
シルビアは混雑する人波の中を歩いていく。革で出来た大きめの肩掛け鞄を斜めから掛け、先を歩く人物を懸命に追いかける。
「ちょ、ちょっと早い!!もう少しゆっくり歩いてよぉ」
先を歩く同行者は足がシルビアよりもかなり長い。人波に消えそうになる長身を見失わないよう、一生懸命、上を見上げて歩く。
「アルー!!」
ドシャッ。
当然の事ながら足元の確認が疎かになってしまい、ついに人にぶつかってシルビアは盛大に倒れてしまった。城に籠もる日々に慣れたシルビアには、人波を避けて歩くことも難しかった。
「す、すみません!」
「気を付けろぉ!!」
漁師らしき男に怒鳴られてしまった。
「うう……」
先を行く同行者を追いかけるのを諦め、道端によって血が滲む膝をハンカチで押さえる。
「……リトグラ国王は、私の無知をお笑いになるかしら」
周囲に広がるキラキラとした海を眺めて、先週からあった怒濤のような出来事を思い返した。
シルビアが手紙を送ってから、三日後。
早々にリトグラ国王から手紙の返信が来た。内心、不安と期待で押し潰されそうだったシルビアは飛び上がらんばかりに心を踊らせた。
上質な紙に書かれた文字は力強く、自信に満ち溢れているようだった。
内容は『話は了承した。まずは婚儀の前にリトグラ王国を見聞し、そこで仕事を決めよ』というような本当に簡素で短いものだった。
しかし、自分の提案が受け入れられたシルビアはそんなことは気にせず、すっかりリトグラ王国に行く気満々になっていた。
リトグラ国王からの手紙を宰相に見せ、実際にいつから行くのか、期間など宰相間で速達にてやり取りをしてもらった。
そして、リトグラ王国に向かう前日。
リトグラ王国より、一人の騎士がやって来た。
国王直々の書状を持ったその者が城の広間にやって来たとき、久しぶりの光溢れる大広間で使者を迎えるためにソワソワしていたシルビアは固まった。
なんて、なんて、麗しいのかしら……!
まず、その外見に目が奪われた。
赤茶色の髪、黒々とした濃い瞳。浅黒い肌。
エトワール王国の美学からすれば、決して美しいとは言えない。しかし、彼からは力強い生命力、男らしさが輝くほど溢れていた。
「よく来たの、騎士殿。わしがエトワール国王だ。国王からの書状確かに受け取った。約束通り、明日より第三王女シルビアをそちらにしばし預ける」
「はっ、私はリトグラ国王よりシルビア様の護衛にと命を受けております。この命に代えましてシルビア様をお守り致します」
「……シルビアに、守る価値なんてあるのかしら……」
ボソッと扇で口元を隠しながら王妃が口にしたが、シルビアは聞こえないふりをした。いや、目の前の騎士に釘付けで本当に聞いていなかったのかもしれない。
その時だった。
まだ紹介されておらず、分かるはずもないのに第一、第二王女を素通りして騎士の目がこちらに向く。
鋭く黒曜石の様に艶やかな瞳がシルビアを射抜いた。
「……」
シルビアは内心の動揺を圧し殺し、背筋を伸ばした。
自分が未来の王妃となる以上見くびられる訳にはいかない。
それ以上にこの魅力溢れる騎士に認められたい。
そんな強い思いが胸の奥底から溢れ出していた。
「「……」」
そのまま、周囲の当惑も気にせず、二人はしばし見つめ合う。シルビアの様子を眺めていた騎士は瞳を煌めかせフッと微笑んだ。しかし、一瞬の些細な変化は他のものに気付かれることなく、口角はすぐに元に戻ってしまった。
「やはり、お噂通りお美しい」
騎士はシルビアの元へと迷うことなく近付く。数歩ほど前に来ると、自分が守るべき主と周囲に認めさせるが如く、膝を折り恭しく騎士の礼を取った。
「私は、近衛騎士のアルと申します。国王の命により、シルビア様が城下にご滞在中、護衛の任を承っております。これより未来のリトグラ王国の王妃様を主君として、誠心誠意お守りすることを誓います」
「……!」
膝を折られ、口上を聴いたシルビア本人も驚いたが、周囲の王族達も驚いていた。
シルビアは当惑した頭で考える。まず、美しいという言葉は誰に言ったのだろうか。近衛騎士として務めるくらいだから視力は良いはずなのに。この者が変わった嗜好なのだろうか?
そして、リトグラ王国の未来の王妃として仕えるという言葉。これは、つまりシルビアを王妃として受け入れるという事だろうか。
近衛騎士である国王の側近の言葉だ。これは、リトグラ国王の言葉を代弁していると受け取っても過言ではない。
……しかし、しかしだ。
やはり、シルビアにはすぐに信用することが出来なかった。目の前の騎士の言葉に嘘は無いように思える。しかし、国王と実際にお会いしたわけではない。ここは、この変わった嗜好を持つと思われる騎士を味方につけ、積極的に民の生活を学び、賢妃として役に立つ優秀な者であるとの口添えを貰えるように頑張るしかない。
シルビアは一瞬でそこまで考えをまとめると、驚きのあまり静まり返る広間に声を響かせた。
「……さすがにリトグラ王国の騎士殿は非常に優秀と見受けられる。確かに私がエトワール王国、第三王女シルビアである。これより、しばらくの間そなたに協力してもらい、民の生活や仕事を学ばせて頂く。……将来的には是非ともリトグラ国王のお力になれるよう尽力させて頂きたいと思う」
シルビアの頭の中では、言葉が溢れ返り、熱を持ったようにジクジクしていたが、決して目線は逸らさず、声も広間に響き渡るよう、凛とした声を意識して話した。
「……」
ドクン、ドクン
心臓の音が耳に引っ付いたように、うるさく聞こえる。
「……あなた様の仰せのままに」
赤茶色の髪を持つ騎士が、目線を外し静かに頭を垂れたとき、シルビアはそれまでの緊張から、震えて崩れ落ちそうになった。しかし、これほど嬉しい事も今まで無かったように感じ、目の前の騎士に更に好感を抱いていた。
そしてその後、ようやく動揺したままだった他の王族が理性を取り戻し、アルとの紹介を済ませたのだった。
その夜。
失望しているとはいえ、自分の娘である王女が大国を旅することに実感を覚えたのか、数年ぶりに国王が王妃や王女達との晩餐にシルビアや例の騎士を招いてくれた。
シルビアが晩餐室に向かうと、すでに王妃や第一、第二王女が席に着いていた。
皇太子は、別の大国に遊学中でこの席には居なかった。
「あらあら?その濃すぎる髪は誰かと思ったら、シルビアじゃない!」
「うふふ。いやーだ、お姉さまったら。こんな髪色、シルビア以外、民の中にも居なくってよ」
「ふふん、そうだったわねぇ……」
第一、第二王女の嫌みはいつもの事。シルビアは顔を伏せ、味のしないスープを一心に口に運ぶ。
「あら、マナーすら忘れてしまったのかしらねぇ、この子は」
王妃のそんな嘲笑も耳には入れない。シルビアは明日、旅立つ事だけを考え、黙々と手首の動作を繰り返す。
そんなシルビアの様子に痺れを切らしたのか、第一王女がさらに言葉を口にした。
「いくら、リトグラ国王、直々のご要望とはいえ深窓の王女がこれでは……。シルビア、あなたにはとても務まらない任だと思います。困ったことがあったら、今度は私が国王の元へと参ります。遠慮なく言うのですよ」
「あら、お姉さま、それならば私こそ国王の元へと参りますわ」
大国の王妃となる事はこの二人の王女も願っていた事だった。しかも、相手は大国一とも言われる強国。本当は自分こそ!と声高に言いたい所だったが、肝心のリトグラ王国からの指名がシルビアに来てしまった。
ギリギリとハンカチを握りしめ、爪を噛んでいるところに、シルビアの要望書の件を知った。確かに、シルビア程度の容姿ならリトグラ国王のお眼鏡には叶わないだろう。
ならば結婚前に真実を知らせれば、その代わりとなる者が必要となろう。
そう、ほくそ笑み、手紙を送って良いものか迷っている王と宰相に、王妃と第一第二王女が強くごり押しした。『もしも、不足だった場合はシルビアの代わりに二人の王女のうちどちらかが嫁げば良い』と言って。
そして、あの奇想天外な要望書は、リトグラ王国へと送られたのである。
「……」
目の前で、我こそはと火花を散らす姉王女たちを眺め、シルビアは不思議な怒りに満ちていた。
嘲笑はいつもの事である。シルビアが分不相応だと思うのも分かる。
しかし、姉王女達が言っているのは、リトグラ王国の判断をも侮辱することである。
それを、隣に座る騎士に聞かせるわけにはいかない。
実際には深窓の王女とは名ばかりで、美貌で不足があろうとも。
美しいとの噂を信じたが為の結婚であろうとも。
……私が未来の王妃にと望まれたのだ。
そう思い、怒りの為にほんのりと朱に染まる頬をあげる。
「……わ……わたくしは」「第一、第二王女様」
口を開こうとしたシルビアを遮り、今まで隣で気配を殺していた騎士が突然口を開いた。
騎士は隣のシルビアをチラリと見ると、その瞳は広間で見たとき同様、また面白がるように煌めいていた。
「……リトグラ国王は、シルビア様の民の生活や仕事を学びたいという志に大変感銘を受けておられました。リトグラ王国は大変領土が広く広大です。……一人の国王が担うには重い責務であり、それを一緒になって支えたいとおっしゃるシルビア様のお心は素晴らしく、ご容姿だけでなく、お心までも美しい、さすがはエトワール王国の深窓の王女だ。と仰られておりました」
「「…………」」
第一第二王女は、屈辱の為に頬を染め、王妃は不快感のために顔をしかめた。
その中で、シルビアは一人感激していた。
自分が精一杯考え、必死になって綴った言葉をリトグラ国王が理解してくれた。そして喜んでくれたのだ。
それが、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。出来ることなら、今すぐ飛んでいって国王にお会いしたい。
……確かにそう思っていたのだが……。
「早速、アルについていけないとか……。これでは見くびられてしまうわ」
やっとこさ着いた港町で早々にアルとはぐれ、怪我までしてしまったシルビアは己の不甲斐なさに改めてため息を溢した。思わず、ここまで来るために要した予想外の苦労を思い浮かべ遠い目をした。
エトワールの王族を呆然とさせた明くる日の朝。リトグラ王国が手配した船に乗ったシルビアと騎士のアルは二日を掛けてリトグラ王国へとやってきた。
エトワールが海に囲まれた王国だけあって、さすがの『深窓』シルビアも船を『見たことだけ』は何度もあった。しかし、実際に船に乗るのは初めてだった。
そこで、最初の難関にぶち当たった。
船酔いである。
勢い込んで、乗り込んだは良いが、最初の十分で陸が恋しくなった。
初めての船旅と見知らぬ土地に向かう緊張ですっかり青ざめてしまったシルビアをアルは甲斐甲斐しく世話をした。
船酔いに良いと言われる果物や飲み物を渡し、甲板で気持ちの良い空気を吸うために、シルビアに肩を貸し連れ出した。
航海の最後の方には、どうしようもなくなり、吐き気を催したシルビアに付き従い、吐きやすいよう背中を撫でさすろうとすらした。
それは、王妃になる自覚というより、女性のプライドとしてシルビアにかたく辞退されたが。
そんなこんながあった戦慄の船旅を終え、アルに尽くされまくったシルビアは彼の事がすっかり気に入ってしまった。
アルを見るだけで、シルビアの胸はドキドキと高鳴り、香水の香りだろうか、その匂いが近付くとクラクラしていた。
決して、船酔いのせいではない。
「……無事、王妃になることが出来たら、私の護衛を続けてもらえるかしら……」
痛む膝を抱え、シルビアはボンヤリと考える。このドキドキモヤモヤした気持ちが何かは分からない。しかし、アルがそばに居ると、とても安心するし、何があっても大丈夫だと信じられる気がする。出来ればずっと側に居て仕えて欲しい。
「うん!その為にも、早く立派な所を見せて、国王にお認めになって頂かなくては……!」
「……誰と話をしているんだ」
一人でかたく決意をし、握りこぶしを作っていると、後ろから訝しげな声がした。
「……っアル!」
急いで振り向くと、アルが少し息を切らせて立っていた。
「……まったく!姿が見えないと思ったら!何を一人でぶつぶつと…………」
アルはそこで言葉を切り、いきなり屈み込むと、シルビアの膝小僧に触れた。
「怪我をしたのか」
「ええ、まぁ……でも、こんな傷放っておいても……って、ギャッ!」
大袈裟だと思われたくなくて、平気なふりをしようとしたシルビアをアルは平然と抱き抱える。
「なななな、何を」
「……もう少しで、私が手配した宿に着く。そこで治療をしよう」
「ああ、そうなの……って自分で歩けるから、お、下ろしなさい!」
「断る」
「……」
何なんだ、この男は。シルビアにはアルという男の真意が分からない。
確かに頼りがいは人一倍あるし安心するのだが、シルビアに対する態度が馴れ馴れしすぎる。
別にそれが嫌ではないのだけれども……。
エトワールの城から離れた途端、口調はタメ口になるし、未来の王妃たるシルビアに平気で触れてくる。
騎士としては、あるまじき行為だ。
これは、一体、どう考えれば良いのだろう?シルビアは自分の気持ちもそうだが、アルの行動の真意もさっぱり分からず、抱き抱えられながら頭を抱えた。
「…はっ、もしや、もう既に王妃として役者不足だと……?!」
王妃として、頼りないからタメ口になり、馴れ馴れしくなってしまったのだろうか……?
そう考え、必死に足をバタつかせた。
「お、下ろしなさい!私は強いのです!このぐらいの怪我、なんともありません!」
「……ほお」
アルは抱えあげた上からシルビアを眺め回し、少しの後、無言のまま静かに下に降ろした。
内心、降ろしてくれるとは思っていなかったので、少し気の抜けたシルビアは何とか平然を装う。
「そ、そうです。それで良いのです」
「…………」
ぺしっ。
アルがシルビアの膝小僧を軽く叩いた。
「いだだだだっっ!」
「……では、行こうか」
そうして、また抱き抱えると、今度は有無を言わせず歩き出す。
「……」
絶っっ対に認めさせてやるっ!!
シルビアは王妃になる為……というよりアルを見返すため、決意を新たにした。