第十六章 王女、フライパンを怖がる
アルミレッドは、道中を急いでいた。
昼時で賑わう町の中で、ケビンに教えてもらった伝書鳩小屋へとひたすら歩みを進める。
本来なら、護衛対象であるシルビアから離れるなど、もっての他。しかし、今はそうも言っていられない事態であった。幸い、神獣であるルクシオが側に付いているし、何かあっても対処出来るであろう。アルミレッドはそう自分に言い聞かせると、目の前に迫った事態の解決に向けて、思考を専念させる。
たどり着いた伝書鳩小屋は、縦長の小屋であった。
「邪魔するぞ」
声を掛け、中に入ると、大きな身体をした店主がアルミレッドを出迎えた。
「伝書鳩を、一羽頼みたい」
アルミレッドがそう告げると、店主は黒々とした髭を震わせて一言端的に質問した。
「場所は?」
「……隣国との境だ」
「……」
店主は思案するように押し黙る。
隣国とは、長らく戦争をしていた。終戦となった今でもあまり治安が良い場所とは言えない。
自分の財産である鳩を、そんな危険地帯に送るなんて。と、店主が嫌がるかもしれない。
アルミレッドは、そう考えたが、目の前の店主はさほど気にする様子もなく言葉を重ねる。
「……高くつくけど、大丈夫かい?」
場所が場所だけに高くつくらしい。
「ああ、金銭に糸目はつけん。なるべく早く、確実に届く優れたものを頼む」
アルミレッドの声には切迫した響きが宿っている。その声音を聞いた店主は軽く目を細めた。
「隣国の国境付近ならば、一番早いので一日で届く。……届ける相手の目印となる物はあるか?」
「うむ」
アルミレッドは、自身の黒いマントの下に隠されていた腕の腕章を力任せに引きちぎると、それをカウンターの上に置いた。
「これを」
それは、リトグラ王国騎士団の紋章であった。訓練された鳩はそれを目印に覚え、指定された場所に赴いた後、同じ目印を持つ人物を探しだして手紙を届ける。
アルミレッドは、遠征に行かせている騎士団長のグランに手紙を届けるつもりだった。
「……こいつは……」
アルミレッドが差し出した紋章を目にした店主は少しだけ顔色を失う。
しかし、すぐに元の無表情に戻ると、再びアルミレッドに向けて手を差し出した。
「手紙を預かろう。……一番早い奴で確かに届けてやる」
「ああ。……頼む」
アルミレッドは、安堵の息を吐くと、昨日の夜レイリーン宅で書いた手紙を店主に手渡した。
「……」
無造作に手紙を受け取ったはずの店主がまたも、アルミレッドへと手を差し出す。
「……ん?」
アルミレッドが困惑していると、また一言、言葉が返ってきた。
「金」
「そ、そうであったな」
アルミレッドは、慌てた様子で、ケビンに渡した大袋とは別の小さな袋から金貨を数枚取り出す。
終始そんな風なやり取りであったが、なんとか目的が達せられた事に、アルミレッドは少しだけ肩の荷が降りた気がしていた。
一方、時を同じくして。
アルミレッドとは、別行動を余儀なくされたシルビアとルクシオも、新たに御者として雇ったケビンの自宅へと案内されていた。
木造作りの二階建ての一室。
ケビンは慣れた様子で鍵を差し込むと、軋む扉を開けて先に二人を促した。
「さーさ、どうぞ、遠慮無く入ってくだせぇ!」
「あっ、お、お邪魔致します」
遠慮がちに呟くシルビアの前をルクシオが素通りする。そして、ケビンにすら何の言葉もかけずにスタスタと中に入って行ってしまう。
「ちょ、ちょっと、ルクシオ!」
人のお家では、もう少し遠慮するものよ!そう言いかけたシルビアであったが、次の瞬間言葉を失った。
ビュン!
部屋の奥から、フライパンらしき物体がルクシオ目掛けて飛んできたのだ。
「……」
ルクシオは、何事も無かったかのように、その物体をひょいっと避けるが、避けた先にあった壁にフライパンは激突し、重い音を発ててその場に転がっていく。
「「……あわわわわ!」」
フライパンの柄がひん曲がっている光景を目にしたケビンとシルビアは同じように震えて、青ざめている。
「……なにこれ。ちょっと……いや、かなり感じ悪いね」
震える二人とは対照的に、ルクシオは金の瞳をギラつかせて、フライパンが飛んできた方向を睨み付けている。
「ル、ルクシオ……!」
ルクシオが静かな怒りに燃えているのを感じたシルビアはとりあえず諌めようと言葉を探す。
しかし。
「あんたー!早く帰ってきなって言ってあっただろー?!何をぐずぐずしてたんだい?!」
「ひ、ひいいっ!」
部屋の奥からルクシオよりもさらに怒り狂った叫び声が聞こえ、部屋中に響き渡る。その言葉を聞いたケビンは、さらに震えが増したのかガタガタと痙攣までし出した。
「あ、あの、ケビンさん……?」
不審に思ったシルビアが声を掛けるよりも早く、奥から大柄の女性が姿を現した。
「あんた、聞いてんのかいっ……て……?」
部屋の奥からずんずんと進んできた女性だったが、戸口に立つルクシオとシルビアを目にして立ち止まる。
「……だ、誰だい?あんた達」
目を丸くする女性に対し、怒りを堪えられなくなったルクシオが反論する。
「おばさんはさー、誰だか判ってもいないのにフライパン投げるわけ?……ほんと、人間って良い教育受けてるよねー」
歌うように紡がれた言葉だったが、ルクシオの瞳は燃えている。
その様子と、下方に転がるフライパンの状況を確認した女性は顔を無理矢理、笑みの形に張り付けた。
「お、おやおや、うちとした事が……。ぼ、坊主……じゃなかった、坊やに当たったりしなかったかい?」
「……」
そんな言葉を聞いても腹立ちが収まらなかったのか、ルクシオは、ふいっと後ろを振り返ると転がるフライパンを拾い上げる。
「……ほらっ、このゴミ、ちゃんと処分しときなよ」
そう言うと、女性目掛けて素早くフライパンを放り投げた。
バコーン!
「……ひぃっ」
「きゃっ!」
「うおお?!」
ヒュンと、小気味良い音を立てたフライパンは、女性の髪を掠り、脇を通り抜けて柱へと命中した。
「「……」」
ガランガランと音を発てて、再び転がるフライパン。いや、もはやフライパンの形を成さない、へしゃげた塊。
「「……」」
そんな元フライパンの状態を眺め、さらに静まり返る室内。
その中で、ひとりマイペースなルクシオはスタスタと改めて室内へと足を踏み入れた。
「はあーあ。……ま、これぐらいで許してあげるよ」
そう言うと、女性の前まで歩みを進め、にっこりと微笑む。
「こんにちは、人間のおばさん。僕達はおじさんの馬車の雇い主。だから、丁重にもてなしてね?」
「あ……」
女性のひきつり続ける表情を了承と取ったのか、ルクシオが笑顔のまま、後方を振り返る。
「休ませてくれるってさ!」
良かったね、シルビア!と本当に嬉しそうに語り掛ける同行者を見て、シルビアは今すぐにでも一人でアルミレッドの後を追いかけたくなった。
深い溜め息を付いた途端、もう一つの溜め息と重なる。
「……おれ、嫁に殺されるかも……」
既にガタガタを通り越し、蒼白になったケビンの溜め息であった。
短気な同行者。
短気な嫁。
そんな困った人を抱えた二人は、自然と目を合わせると、互いにその後ろにある虚無を見つめた。
別室には、幼子が居るのか激しい泣き声が部屋中に響き始める。
そんな子供の泣き声をどこか遠くに聞きながら、二人は物思いに沈む。