第十四章 国王、暗雲立ち込める
「急いで、城下町に向かいたい」
朝食を終えた途端、なにやら真剣な表情で紡がれたアルミレッドの言葉で、これからの旅程が決まった。
本来なら、馬車で通過する町にシルビアの旅慣れや疲労を考え、泊まっていく予定だったがアルミレッドのその表情に気圧されて、シルビアもルクシオも頷くほかなかった。
朝の早い時間。
レイリーンの棲みかから、三人で山を降りる。配下の者である狼族を呼んだレイリーンは、山を降りるまでその背に乗るよう三人に促した。
「えー、シルビアは僕の背中に乗せてあげるよ」
シルビアが他の獣の背に乗る事に渋るルクシオをレイリーンが優しく諭した。
「ルクシオ、あなたはこれから、人間の生活をしていかなくてはいけません。無闇に本性を晒しては、混乱の元になります。くれぐれもそれを忘れないようにね」
「……うーん……」
母の優しく凛とした言葉を理解したのか、ルクシオも少年の姿のまま、狼の背中に乗った。
「そう、それで良いのです。人間の姿で、人間の生活を学ぶ。今のあなたに必要なのは、獣の性ではなく、あの人の人間の血です。よくよく自分を抑えるのですよ」
そう言うと、レイリーンはシルビアとアルミレッドに笑い掛ける。
「こんな幼い息子ですが、どうか、どうかよろしくお願い致しますね」
「……はいっ!」
涙を堪えるようなレイリーンの姿に、成り行きとはいえ、ルクシオの同行を許可したシルビアも思わずじーんとしてしまう。
「……心配なかろう。これでも神の血を引いているのだからな」
アルミレッドもそんな優しげな言葉をレイリーンに贈る。
こうして、三人はレイリーンの森を後にした。
「ここからは、馬車で出来るだけ早く城下町に向かう」
森の出口で、狼達を見送ったのち、アルミレッドが決然とした口調で告げる。
いよいよ、城下町に向かうのね……!
シルビアは自身が望んでいた事とはいえ、胸中に不安と期待が入り交じり、息苦しく感じていた。
「えー、僕はもっとゆっくり行きたいのにー……」
一旦了承した事とはいえ、渋るルクシオにアルミレッドは言葉を掛ける。
「……すまないが、それは出来ない。本来なら、お前やシルビアの体調も考え、通過する町に泊まるのが良いとは思っているのだが……」
アルミレッドの気遣うような言葉を感じとり、シルビアは慌てて否定する。
「そ、そんな、私なら平気です!……本来なら城下町に急いで向かわなければならない状況だったんですもの」
元々シルビアは仕事を探すために、この国に来たのだ。ついついアルミレッドに甘えて、のんびりと旅をしていたが、アルミレッドにも予定があるのだろう。
そう思い、意気消沈してしまいそうな自分を必死に鼓舞するシルビア。
意外な事だらけの旅だったが、思っていた以上に楽しく、有意義な時間を過ごせていたことを改めて痛感していた。
「あーあ、僕が参加した途端、急ぐとか……。お前って、性格悪いよね……」
ルクシオは、まだ恨めしげな視線でアルミレッドを舐めつけている。
「いや、そうでは無い。子虎といえども、お前が居てくれれば、何かと安心なのだ。しかしだな……」
アルミレッドは、歯切れが悪そうに言葉を続けるのを躊躇する。
「アル……?」
心配そうなシルビアをちらりと見やると、アルミレッドは意を決したように口を開いた。
「これは、まだ確定している事ではないから、何とも言えないのだが……。ルクシオ、お前が見た異端者という者達が気になるのだ」
「異端者ぁ?」
ルクシオは、既にすっかり頭の中からその存在が消えていたようで、とぼけた声を出した。しかし、アルミレッドの表情は暗いままだ。
「ああ。その異端者とやらは、おそらく……奴隷だ」
「ど、奴隷っ?!」
シルビアは思わず、目を大きく開け驚いてしまう。エトワール王国には、奴隷という制度はなかった。リトグラ王国でも、今の国王が在位後、早々に撤廃された制度だと聞いていた。
それが、今も続いているという事なのだろうか。
「ふーん、奴隷……ねぇ」
ルクシオも思い当たることがあったのか、不愉快そうに眉間を深めた。
「で、でも、リトグラ王国では、奴隷制度が廃止されたと聞いているわ……!」
シルビアは必死になって、この暗い雰囲気を治そうと努力していた。自分が嫁ぐ予定の国王が決めたことだ。やはり、信じたいという思いが口を開かせていた。
「今の国王が、奴隷制度を廃止させたのよ!それを復活させるなんて……!」
そんな事はあり得ない。そう続けようとしたシルビアの言葉をアルミレッドが引き取る。
「国王ではない」
「……えっ?」
アルミレッドは、国王たる自身が指示していた事では無いことをよく知っていた。
あれだけの反対を押しきって、撤廃させた制度だ。
復活させることなど、あり得ない。
だが……。
「……おそらく、国王の知らぬ所で、奴隷制度は続けられているのだろう。……とにかく、今は早く城に戻り、検討をしなければならない」
「そ、そんな……」
思いがけない事件に遭遇してしまったことで、三人は各々考えに沈む。
シルビアは、国王が知らない所で行われている悪しき制度に恐怖を。
ルクシオは、たまに通る不審な馬車を思い出し、嫌悪を露にした。
そして、アルミレッドは。
アルミレッドは、目の前で顔を微かに青くさせているシルビアを見下ろす。
……ここまでだな……。
そう、終わりを告げる声が聞こえる気がした。
城下町に行った後は、とにかく城に戻らなければならない。そのあとで信頼できる者だけを集め、情報を集めなくては。
事は深刻かつ、急を要することだ。
もう、一介の騎士ではいられないな……。
そうなれば、シルビアに本当の身分を明かす事になるだろう。
そう思うと、思っていた以上の失望感がアルミレッドを襲う。
ただの人になって、自身の花嫁と接する。いつの間にか、そんな日々が当たり前のように感じられて、幸せを覚えていたらしい。
「……本来の自分に戻る、か……」
国王になって以来、後悔したことなど無かった。自分の出来ること、そして手にした権力に恥じない行いをすることに邁進していた。
しかし、今は権力を手にしていない自分の生き方が羨ましく思えた。
国王という、立場ではなくアルミレッド自身を気に入り、素直に見つめてくれるシルビアという存在を知ったからであろう。
アルミレッドは、深く濃いため息を吐いた。
森の出口では、朝陽が燦々と降り注ぎ、三人を照らし出している。しかし、それが暗い雰囲気を持つ三人の気持ちを浮上させる事は無かった。