第十二章 王女、国王、混乱する
アルミレッドは、心底驚いていた。
いや、アルミレッドだけではない。シルビアに至っては口をあんぐりと開けたまま、驚きのあまりワナワナと震えている。
それくらい衝撃的だったのだ。
神獣であるレイリーンの息子、ルクシオに会ったシルビアとアルミレッドは、彼に案内されるままレイリーンとルクシオの生活する棲みかへとやってきた。
発光苔のお蔭で光輝く洞窟を奥へ奥へと進む。
うねうねと幾重にも曲がりくねった道を歩むと、そこには一枚の扉が立っていた。
ルクシオがその扉に手をあて、何かを呟く。
すると。
《ギィィィィ》
盛大な音と共に両扉が勝手に開いていった。
……これは、何のまじないだ?
アルミレッドは、不思議に思ったが、いかに子虎と言えども神獣の息子である。神技くらい使えるのだろうと気にしないことにし、ルクシオ、シルビアの後に続き、扉の奥に進んでいった。
そこで、心底驚いたのである。
扉の奥。
そこは、完全なる住居となっていた。
住居、と言っても街などにある宿屋のそれではない。
宮殿のように豪華でだだっ広い空間になっていたのだ。
「こ、これは……」
声を発してはみたが、その後が続かない。ふと見ると、ルクシオがとても満足げで、生意気な表情をしていたが、それもまあ仕方ないと頷ける程のものだった。
同じ洞窟内であるはずなのに、岩肌などは見当たらず、壁一面が白い材料で塗り固められている。よく見るとそれは、キラキラと輝いた素材で出来ており、貝殻を細かく砕いた物を張り合わせているらしい。
部屋の中には、いくつもの扉があり、ここ以外にも部屋があるようだ。
玄関代わりになっているのか、ここには複雑な紋様を表した大きな絨毯がひかれ、なぜか暖炉やロッキングチェアーも備え付けられていた。
「……獣に暖炉は必要なのか……?」
予想外の内装に戸惑いつつもアルミレッドが疑問を口にすると、ルクシオが賛同するように頷きながら口を開く。
「いやー?普通はいらないよねぇ。獣っていうか、僕らは神獣なわけだし。寒さなんか殆ど感じないもん。……これは、完全に母さまの趣味だね」
困ったもんだよ。と、溜め息を吐くルクシオ。
そんなルクシオの様子にやっと我に返ったのか、シルビアが口を開いた。
「……そういえば、ルクシオのお父様は人間なのでしょう?こちらに一緒にお住まいなのかしら?」
アルミレッドも疑問に思っていたことだが、追求するのが躊躇われる事だったので、聞けずにいた疑問をさらりと口にするシルビア。
人と神との寿命は違う。ルクシオも外見では子供だが、寿命的には、二人よりも遥かに年月を重ねているだろう。
と、なると。
……おそらく、父親はもう……
そうアルミレッドが考えていると、ルクシオは何の憂いもなく返事を返した。
「父さまは僕が小さい頃に、とっくに死んじゃったよ?人間なんだもの。寿命だったんだって」
「えっ……そ、そうなの……」
それは、その……と、口ごもるシルビア。
おそらく、いや、間違いなく父親も生きていると思い込んでいたのだろう。
アルミレッドは、フォローをするために口を開こうとするが、ルクシオに先を越されてしまう。
「あっ、へーきへーき。僕には母さまが居るから全然寂しくなかったし。森には獣達も居るしね。それに……」
今はシルビアも居るでしょう?と、少年らしくない色っぽい表情でシルビアに歩み寄るルクシオ。
……少しでも気の毒だと思った俺が馬鹿だった……。
アルミレッドは、眉間にシワを寄せると、シルビアとルクシオの間に身体を滑り込ませた。
そして。
「さぁ、さっさとお前の母親とやらに面会させてもらおうか」
と、ふんぞり返って命じたのであった。
ルクシオに案内され、玄関奥の応接室のような部屋に通された二人。
ルクシオにここで待つように言われたので、しばらくソファに腰かけて待っていると。
カチャリ。
シルビアは扉の開く音に身体をビクンと弾ませる。
そこに入ってきたのは、やはりとてもとても美しく麗しい美女だった。
豊かにたっぷりと流れる金の髪。
キラキラと宝石のような輝く金の瞳。
肌は象牙のように艶々としていて、ぽってりとした唇は鮮やかな朱色をしていた。
……こ、これこそ、神!よね……。
シルビアは想像していた通り、いや以上の美しさに恍惚となる。ルクシオも確かに麗しいのたが、やはり半分は人間の血が入っているからなのか、ここまで神々しくはない。
レイリーンは、その場にいるだけで、圧倒され平伏したくなる。そんな存在感が確かにあった。
……この方と番になった人間って。色んな意味で凄いわ……!
レイリーンのような神々しい方の側に平然と居られる人間。やはり、只者では無かったのだろうとレイリーンを前にしてシルビアは思った。
チラリと隣のアルミレッドを見やると、普段の無表情を装ってはいるが、やはり驚きや緊張は隠せなのか、少し青ざめてさえいるようだ。
人間二人が緊張で固まっているのを見てとったのか、向かいのソファに音もなく腰掛けたレイリーンは、ニッコリと笑って口を開く。
「そんなに緊張なさらないで?私、捕って食ったりは致しませんのよ?」
と言って、持ってきた茶器から自身で紅茶を淹れ始めた。
「あああ、あの!」
神獣にお茶を淹れてもらうなんて!畏れ多くて、飲めたものではない。そう思い、咄嗟に止めるつもりでシルビアが口を開くと。
「あらあら、良いんですのよ。せっかくのルクシオのお友達ですもの。母としておもてなしをしなくてはねぇ……はい、どうぞ召し上がって?」
と、優雅に差し出されてしまった。
「あうっ。あああ、ありがとうございます!」
しどろもどろになりながら、受け取るシルビア。
それに対して、アルミレッドはすでに平静を取り戻したようで、優雅に一礼すると平然と飲み始めている。
……つ、ついていけない……。
シルビアは内心、汗だくになりながら、紅茶を啜った。カラカラの喉に優しい茶葉の甘さが広がっていく。
「……お、美味しい……!」
この状況で、味など判るはずも無いと思っていたので意外な気持ちだった。
「んまあ、気に入って頂けてよろしかったわぁ。今、ルクシオに私が作ったお菓子を持ってくるように言っているから。少し、待ってて下さいな」
「え、ええっ、そ、そんなぁ!」
ルクシオにお菓子を用意させるなんて、とんでもない!と、言うか今、私が作ったって言わなかったかしら……?
シルビアは頭がごっちゃごちゃになってしまった。
そんな様子を見かねたのか、アルミレッドが言葉を継ぐ。
「……ご自身で菓子なども作られるのか?」
とても冷静な問いである。
「ええ、私、人間の文化や風習が大好きで。料理や裁縫、掃除何でも致しますのよ?」
と、にこにこと微笑んでいる。
そして。
「本当は、お手伝いも欲しいのですけれど……。獣は不器用でいけませんわねぇ……。一度、狼族に手伝わせようと思ったのですけれど、これがもう全然役に立たなくて……。今はルクシオと二人でこのように細々と暮らしておりますわ」
「「……」」
手伝わされた狼族が気の毒だと思ったのはシルビアだけではあるまい。隣を伺うと、やはりアルミレッドも顔を若干ひきつらせていた。
「それにしても、人間嫌いのルクシオが人間のお友達を連れて来るだなんて……。長生きはするものねぇ……」
と、二人の困惑をよそに、レイリーンは言葉を続けている。
「あの子は、父親が人間だっていうのに、人間が苦手みたいで……。私が人間の文化や風習を好むのを嫌がったりするんですのよぉ?」
困ったものだわぁ。と、レイリーンは深々と溜め息を吐いていたが、急に何かを思い付いたのか、ずいっと身体を前に傾けると、シルビアに向かって言った。
「あなた、年頃もルクシオとそんなに離れてはいないようだし……。良かったら、うちのお嫁さんにならない?」
「「……」」
一拍のち。
「……は、はいぃ?!」「な、なんだ、それは!」
シルビアの困惑とアルミレッドの憤慨の声が混ざって、室内に響き渡る。
そこへ。
「母さま。余計な事を言わないでよ」
いつの間に戻ってきたのか。お菓子を手にしたルクシオが扉の内側に立ちつくしていた。
「あら、ルクシオ!遅かったのねぇ。……私、余計な事なんて言っていなくってよ?」
と、レイリーンはあくまでマイペースだ。
そんな母の様子に溜め息を吐きつつ、ルクシオは手にしたお菓子の皿をシルビアに差し出す。
「これ、母さまが作った……マドレーヌ?っていう菓子。……僕も多少手伝ったから……。良かったら食べて」
と、少し赤くなりながらシルビアにのみ丁寧に薦めている。
「あ、ありがとう……」
そんなシルビアとルクシオのやり取りをレイリーンは嬉しそうに微笑みながら見ている。
アルミレッドは、その状況にとても苛立ちを募らせていたが、レイリーンの表情があまりにも幸せそうだったので、口を挟むことを躊躇った。
「ああ……。なんだか、とても懐かしいわ……。まるで、あの人と過ごした日々が蘇ってきたよう……」
レイリーンは、幸せそうな顔のまま、言葉を続ける。
「あの人は、そうやっていつも少し赤くなりながら、私の言葉を一生懸命聞いてくださったわ……。あの人は、もう天に召されてしまったけれど、あの日々を私は決して忘れない……」
「「……」」
シルビアもアルミレッドもそして、ルクシオでさえも何も言葉にすることは出来なかった。
目の前の尊い神獣からは、亡き人との幸せな日々や失ったことへの悲しさがひしひしと伝わって来るようだった。
つかの間、静まり返る室内。
少しすると、ルクシオが決意をしたように口を開く。
「……母さま」
「……なあに?」
レイリーンもルクシオの真剣な表情に気付いたのか、真面目な顔で問い返した。
「……僕、シルビアとそこの人間と一緒に、この森を出ようと思うんだ」
「「……」」
「ええええっ?!」「はあああぁ?!」
再び、重なるシルビアとアルミレッドの声。
「ル、ルクシオ!わ、私は実は王女で、この国の国王に嫁ぐ事になっていて……」
「そ、そうだ!俺は近衛騎士としてシルビアを城まで送り届けないと……」
シルビアは勿論の事、珍しくアルミレッドまで慌てている。
「だからっ、あなたを連れては行けないの!」
「そ、そうだ!」
そんな二人の説明を聞き、ルクシオが目線をじっと二人に注ぐ。
「だから?」
「「……え?」」
「だから、何がいけないわけ?僕はシルビアについて行きたいの。国王だか、何だか知らないけど。人間の都合なんか関係無いよ」
「「……」」
確かに。獣であるルクシオに人間の事情は通用しない。
しかし、しかしだ。
「いやいやいやいや、いけないわよ!城に嫁ぐのに子供を連れてって……。やっぱりおかしいもの!ね、ねぇ、アル?!」
「そ、それはそうだ!」
「……」
二人の言葉に不服そうなルクシオ。
しかし、間に入ったのはそれまで沈黙を守っていたレイリーンだった。
「……お行きなさい。ルクシオ」
「……母さま?」
「「……!!」」
固まるシルビアとアルミレッドに対し、レイリーンは冷静な口調で続ける。
「シルビアさん、あなたはこの国の国王に嫁ぐと仰っていましたね。……ですが、今は嫁ぐ前なのでしょう?」
「えっ……それは、まあ……」
仕事を探し、賢母となれることを証明するための旅である。とはさすがに言えなかった。
「でしたら、王妃になられるまでで良いのです。……この子を側に置いてやっては貰えないでしょうか?」
「……えっと、それは、その……」
王妃になれるかどうかも現状では分からない。仕事を探すにしてもこれからなのだ。そんな状況でいくら神獣であろうと子供を連れていくなど、了承出来ることではないだろう。
シルビアは何とか断ろうと口を開いた。
しかし。
「……もし、断られるという事なら、私、この国を出ます」
「……はいぃ?!」
レイリーンの言葉に固まる一同。
「私が、この国を出れば、この国は私の加護を無くします。私の主な加護は、戦で勝利に導く加護です。それを無くすと言うことがどういった事か……お分かり?」
「「……」」
シルビアは開いた口が塞がらない。アルミレッドに至っては、呆れや戸惑いを通り越して、怒りすら覚えている。
勝利の加護を無くすという事は、戦に勝利する事で名を馳せてきたこのリトグラ王国にとっては致命的な事態だ。神の存在を身をもって知った今となっては手放せる物ではない。
この神獣は、それを重々分かっていて言っているのだ。
「……神が、人を脅すのか……」
アルミレッドがイラついた眼差しをレイリーンに向けるが、それを気にすることなく、レイリーンはけろっと言い放つ。
「だあって、私はこの子の母ですもの」
子供の思いを叶えるのは、親の勤めでしょう?とそんな事を言いながら、今度はルクシオに向き直る。
「……ルクシオ。あなたがこの方を気に入っているのは、良く分かりました。人間とは短き寿命の生き物です。……あなたのやりたいようにやりなさい」
「……っはい!母さま!」
もう、そこにはシルビアとアルミレッドの意思は無かった。
私の仕事探しはどうなるの……?
シルビアは自分が王妃となる道が果てしなく遠くなるのを感じていた。