第十一章 王女、神の棲みかへ行く
カラン、カラン
シルビアの腰ベルトに下げられたレイリーンの鈴が月明かりに照らされた森の中で涼しげに音を響かせる。
ルクシオは歩みを止めることなくしっかりとした足取りで木々の間をすり抜ける。上に股がるシルビアは慣れない姿勢で振り落とされないよう必死で金色に靡く美しく長い毛を握りしめていた。
「なるほど……。そう言う訳か」
道すがら、はぐれてから今までにあった事を説明されたアルミレッドはルクシオの隣を歩きながらそう呟いた。ルクシオはちらりと目線をアルミレッドにやると楽しそうに言葉を返す。
「もー。びっくりしたよ。こんな弱っちろい人間の女の子が僕を探しているって言うんだもん」
「よ、弱っちろい……」
シルビアは顔をしかめた。
確かに、強くはない。いやむしろ普通の女性よりも弱いのだろう。
なにせ、十六年間、城の外に出たことが無かったのだから。
しかし何かしら、良いところがあるはず。
「わ、私は、確かに身体は強くありませんし、外見も良くないし……精神的にも強く……ありませんが……」
フォローしようと口を開いたはずなのに、自分の事ながら全く良いところが思い浮かばずシルビアはますます深く肩を落とした。
「あーあー。なんか一人で落ち込んじゃった」
ほんと、可愛いよねぇ。などと笑いながら言っているルクシオを横目で見やりながらアルミレッドは話題を変える。
「それで?なぜ、神獣ともあろう者が我々に接触してきたんだ?お前は話を聞くところ、人間に興味は無さそうだが」
不思議に思っていたことを口に出す。
すると、ルクシオはフフンと鼻を鳴らした。
「我々って。お前は完全におまけだよ。……うーん、そうだなぁ。しいて言えば……匂い、かな」
「「……匂い?」」
シルビアとアルミレッドは同時に首を傾げる。
「そう。シルビアからは、なんかこう……フワーってする良い匂いがしたんだよね。だから、放っておけなくてついつい跡をつけちゃったの」
「……」
匂い。シルビアは自分の肩辺りをフンフンと嗅いでみた。香水をつけていない身体からは、何も匂わず、湯浴みの時に使った石鹸の匂いも森の中をさ迷っているうちにすっかり消えてしまっていた。
シルビアが首を傾げていると、ルクシオが微かに笑っているのが、身体の震動から伝わってきた。
「ふふ。人間には分からないかもねぇ……。僕もこんな匂いを嗅いだのは初めてだよ。……いや」
ルクシオも首を傾げた。
「ここを通る人間の中で、たまーにこんな匂いを嗅いだ気もするな……。まーでも、基本僕は人間とは関わらないから。ここまでこの匂いに惹かれたのはやっぱり初めてだねぇ」
だからさ。とルクシオは明るく言葉を紡ぐ。
「滅多に人の前に姿を現さない僕を見つけて、それを探して、僕に特別だと思わせたシルビアはスゴいってこと」
「……なるほど」
アルミレッドは頷く。匂いについてはよく分からなかったが、それ以外については何となく納得がいくものだった。つまり、偶然が重なった結果、シルビアはルクシオに気に入られたのだろう。
それにしても……と更に別の疑問が湧いてくる。
「お前は、滅多に人里に現れないと言ったな?ならば、なぜあんな真っ昼間に街道沿いに居たのだ?」
それこそ、人に見つかる可能性があるというのに。
「あー……それはね。……異端者だよ」
「「……異端者?」」
また二人の知らない単語が出てきた。
ルクシオは、憂いのこもった口調で話し出す。
「たまーに、妙な馬車がこの森を通るんだ。僕ら獣はそいつらの事を異端者と呼んでいる」
「妙な、馬車……」
「そうそ。なんか、布で覆われた大きな馬車なんだけど。中から女、子供のすすり泣く声がするんだよねぇ……。時には血の臭いがする場合もあるし……獣達が騒いで困ってるんだよ」
「……」
ルクシオの言葉を聞いて、アルミレッドも一つの事を思い出していた。
アルミレッド達が馬車に乗る前に通り過ぎて行った比較的大きめの馬車が同じような布で覆われた物だったのだ。
まるで、外から見えないよう隠すように、厳重に覆われたそれは他の乗客を乗せることなく待合所を通過していった。ルクシオが気にしていたのはその馬車だろう。
しかし。
「きちんと、通行証は持っていたはずだ……。なんの問題もなく門を出ていったからな」
そうアルミレッドが呟くと、ルクシオは鼻を鳴らす。
「ふん、人間の都合なんか、どうでも良いよ。とにかく、そーゆー馬車がたまに通る。それによって、獣達が騒ぐ。僕はそれを管理する立場だから迷惑してるってこと」
「……」
嫌な予感がする。
アルミレッドは、ある一つの結論に行きつき、眉をしかめた。
そのまま、何かを考え込むように下を向き、黙々と歩みを進めている。
「……」
急に黙り込んでしまったアルミレッドにシルビアが訝しげな視線を向ける。しかし、そんなシルビアの視線に気付くこともなくアルミレッドは自分の思案に耽っているようだった。
獣を騒がせる不審な馬車。
なにか、思い当たる事でもあったのかしら……?
そんな風に心配していると。
「ところでさぁ。二人はどーゆー関係なの?」
と、その場の空気には全くそぐわないあっけらかんとした声が掛けられた。
「えっ?」
シルビアは質問の意図が解らず、慌てて聞き返す。
「だーかーらー、シルビアとそこの人間の関係は?って聞いてるの。見たところ、その人間も只者じゃ無さそうだし」
ルクシオ達でさえ手を焼いているキラーベアラーと呼ばれる狂暴な獣。それを前にしても対峙する気力。それは普通の人間には無いものだろう。
ルクシオは、野性の勘でそれを感じ取っていた。
「……関、係って……」
シルビアは眉を曇らせる。関係と言われると困ってしまう。アルミレッドはシルビアを守るために遣わされた護衛だ。それ以上でもそれ以下でもない。
はずなのだが。
シルビアの中で、アルミレッドは欠かす事の出来ない存在になりつつある。それは、騎士という領分を越えたものだろう。
「えっ……と、アルは私の護衛なんだけど、そ、それだけじゃなくって……」
シルビアがしどろもどろになっていると、ルクシオがさらに質問を重ねてくる。
「それだけじゃなくて?もしかして、二人は恋人同士……とか?」
「ここここ、恋人っ……?!」
シルビアはあたふたと赤面しながら、咄嗟に確認するようにアルミレッドの顔を見た。しかし、肝心のアルミレッドはというと、まだ考えに耽っているため、全くこちらの話は聞いていないようだった。
「……」
な、なんか、虚しい……。
シルビアは激しい脱力感を味わっていた。そんな様子を感じとり、ルクシオがクツクツと笑う。
「恋人……って訳じゃ、無さそうだね」
あー良かった。等と上機嫌になるルクシオ。
シルビアはもう応える気も無くなって、大人しく虎の背中に乗っていることにした。
月が澄みきった夜空に高く登り、夜も深まった頃。
ようやく、一行はルクシオの棲みかに到着した。
「さ、中に入って!母さまに紹介するよ」
ルクシオはどこまでも上機嫌である。
ちょっと待っててね。と言うと、二人の前で激しい光を発し、シルビアが最初に見たときと同じ人間の少年の姿に変幻した。
「これは……!」
それまで、無言で考え込みながら歩いていたアルミレッドも、その変幻には驚き息を飲んだ。
「母さまは、人間がお好きだから。こっちの姿をお気に召しているんだよ」
変わってるよねーっと、事も無げに言うルクシオ。
シルビアはまだ見ぬ、レイリーンと言う女神に会えることに胸を高鳴らせ、緊張していた。
「さぞや、お美しいのでしょうね……!」
子供であるルクシオもこれだけ麗しい姿なのだ。成熟された女神の美しさとはどれ程のものだろう。
そんな期待に胸を膨らませながら案内されるがままに、棲みかの中へと足を運ぶ。
そこは洞窟のような空間で、山間にポッカリと穴が開いたような場所だった。
中は深いらしく、さらに暗さが増していた。
ルクシオの光輝く身体を前にしても、全体を照らす程には届かず、先を覗いても何も見えなかった。
「……よく、見えないわ」
神も夜目が効くのだろう。人間用に作られてはいないらしい。
しかし。
「あー、ごめんごめん。人間のお客は滅多に来ないから。今、明かりをつけるね」
そう言うと、ルクシオは側に置いてあった石と石を擦る。
すると、その中に挟まっていた苔のような物が瞬く間に光りだした。
「これは……発光苔か?」
瞬く間に、空間を覆う苔の光。その様子を見て、アルミレッドが驚いたように呟く。
「発光、苔……?」
シルビアは初めて聞く言葉。
「ああ。この国では採れない珍しい苔だと聞いていたが……」
アルミレッドも見るのは初めてのようで周囲を見渡しながら進んでいく。
「あー、そうなの?なんか、母さまが父さま用に持ってきたんだよ。父さまは人間だったから。このままだと不便でしょ?」
ルクシオは、何でも無さそうに言っていたが、シルビアとアルミレッドは心底驚いていた。
ルクシオの父親が人間。
と、いうことは……。
「レイリーンは、人間と婚姻していたという事か……」
アルミレッドが驚いて固まったまま呟く。
「んー、こんいん?とか人間の風習は分からないけど。番になったって事だとしたら、そうだよ」
ルクシオは少年の姿で優しく微笑む。
「ほんと、変わってるよねぇ……。母さまなら、獣でも神でも選び放題だったのに。……でも」
そう言うと、ルクシオはくるりと後ろのシルビアを振り返る。
そして、ニッコリと満面の笑みを贈りながら、言葉を続けた。
「僕も、シルビアに会ってすこーし、その気持ちが分かったかも」
「……えっ」
それは、どういう意味だろうか。
シルビアがさらに意味を問い掛けようとしたとき、急にムスッとした表情になったアルミレッドが遮るように口を開いた。
「まあ、人間にも素晴らしい者は多いからな……。獣ごときには無い魅力を感じたとしても不思議はない」
などと言って、ルクシオを睨み付けている。
「ふーん……。いっちょ前に牽制してるわけ?人間のくせに」
ルクシオも嘲るように、唇を斜めに歪めて応戦している。
「お前だって、半分は人間なのだろう?しかもまだ子供ではないか。口の聞き方に気を付けるんだな……半人前の子虎が」
「……お前、食い潰してやろうか」
「ちょちょちょ、ちょっと!」
どうしてこうなるの?!
シルビアは目の前で火花を散らしている二人を前にして途方に暮れていた。
レイリーンと無事に会えるかしら……。
シルビアは遠い眼差しを、洞窟の奥に向けたのであった。