第一章 深窓の王女は提案する
どうか、暖かい目でお読みください。
お願いします。
ここはエトワール王国。
周りを大国に囲まれながらも、四方を囲む海に守られ何とか侵略されることなく細々と生き永らえる国。
小さく美しい国ではあったが歴史は古く、特に王族は海の神の血を引くと言われ、美しい海色の瞳を持ち、その髪は光によって薄い黒や緑、青など様々な淡い色彩を持つと言われる。
そんな民のみならず大国からも憧れられる由緒正しいエトワール王国には深窓の王女がいる。
身分の低いご側室の子供であるが、そのご側室の美しさは大国にその名が轟くほどで、王族の中でも王の寵愛を一身に受けたという。
残念ながら王女を出産後、元々丈夫では無かった身体を壊し、まだ幼い王女を残してご側室はこの世を去った。しかし、忘れ形見のこの王女はご側室を優るとも劣らない美貌をお持ちになって生まれたという。
そして、美貌の王女は城の奥深くで大切に育てられた。
深窓の王女らしく、城の晩餐会や舞踏会ですら一度も姿を現したことは無いが、亡きご側室の容姿を知るものは、その姿を思い浮かべ期待を馳せた。民の間の噂ではその容姿は絵画に書き表せない程の物だと言われている。
その王女の名を、シルビアという。
そんな深窓の王女シルビアが、城の奥深く薄暗い一室で頭をかきむしり唸っていると、誰が予想していようか。
「うーー、うーー、一体どうしたら……」
およそ、民から羨望の眼差しを浴びる王女にはあるまじき姿である。
「まさか、まさかこの私が婚礼をあげる事になるなんて……!」
そう、シルビアは近隣の大国の中でも一番大きく力を持つリトグラ王国に嫁ぐことが決まっていた。
シルビア自体は第三王女であり、側室の子であるため身分も決して高くはない。
本来ならば、両国の力関係を見ても第一王女が選ばれるはずだった。
しかし、実際にはシルビアが選ばれた。なぜなら、先方のリトグラ王国の若き国王が指名したからである。
深窓の王女、シルビアの名はリトグラ王国にも届き、若き国王もそれはそれは楽しみにしているという。
「お会いできないわ…!お会いしたら最後よ!」
シルビアは顔を真っ青にして、長椅子の上に崩れ落ちた。
長椅子に散らばった髪は漆黒の深海を思わせる黒髪。
そして、涙をこぼす瞳は深い緑色だった。
母は、同じ黒髪でも、光を反射して金にも銀にも光ったという。しかし、シルビアの髪は漆黒の髪。光を反射しても決して色は変わらない。
母の緑の瞳はまるでエメラルドのように光輝いていたという。しかし、シルビアの瞳は沼の苔のように深い緑。
つまり、シルビアは母と同じ色彩を持ってはいても、その質に雲泥の差があったのである。
シルビアが生まれた日、その赤ん坊の髪と瞳を見た王は嘆き悲しんだという。
誰よりも美しく愛する側室が命を掛けて産んだ子が期待とはかけ離れていたから。
そのまま、シルビアは父の顔を見ることなく育った。唯一、愛を注いでくれた母もシルビアが五歳の頃にこの世を去ってしまった。
それからは、王妃様や他の王女の嘲笑に嫌気が差しシルビアの容姿を王家の恥と隠そうとして舞踏会や晩餐会にも参加させない父王の意思をこれ幸いと、いつの間にか、城の奥深く誰もやって来ない薄暗い部屋にとじ込もって過ごすようになった。
深窓の王女が聞いて呆れる。
シルビアは、呆然とした頭で考える。リトグラ王国の国王は十六歳のシルビアと十歳も歳が離れている。二十四歳で国王になった後、次々と新しく斬新な政策を打ち出し、わずか二年で数ある大国の中でも頭角を現した。
理知的で、頭脳明晰な王だとシルビアにこの話を伝えに来たエトワール王国の宰相は言っていた。
しかし、それは王を怒らせなければの話。王の怒りをかった者はその姿を見なくなるという。
シルビアに政略結婚を伝えに来た宰相は、くれぐれも粗相の無いようにとシルビアに釘を指した。小国のエトワール王国が生き残るには大国であるリトグラ王国の後ろ楯が必要だからだ。
それに待遇だって、破格と言っていい。小国の第三王女に過ぎないシルビアを正当な王妃として迎えると言っているらしい。しかも、リトグラ国王には、今まで側室や正妃が居なかったらしい。
つまり国母になるチャンスでもある。宰相が鼻息を荒くするのも分かる。
しかし、しかしだ。
「私の髪や顔をご覧になったらお怒りになるに決まっているじゃないの…!」
そう、リトグラ国王は、絶世の美女をご所望されているのだ。そこに深海色の髪を持ち、沼の苔色の瞳を持ったシルビアがノコノコ現れたらなんと言われるか。
「その場で打ち首…なんて、さすがに無いわよね…」
そうは言ってみても、良くて城の最奥に追いやられるかどこかの領地に追放されるかだろう。
もしかしたら、王妃として務まらないと判断され、エトワール王国に戻されるかもしれない。
そう、考えるとシルビアの手に力が入り、知らず知らずのうちに拳を握りしめていた。
「それだけは、それだけは、絶対にダメよ!」
ただでさえ、役立たずの王女なのだ。エトワール王国の為になるチャンスを潰してしまうわけにはいかない。これ以上、自国に迷惑は掛けられない。
「…こうなったら…!」
シルビアは勢いよく顔をあげると薄暗い部屋の中を歩き、少しだけ光の入る窓辺にやって来た。
そこにおいてある文机に向かうと自身が持つ数少ない便箋のなかで一番上等な物を取りだし手紙をしたためる。
「…私が容姿でご要望にお応えできないなら、それ以外のことで補ってみせるわ……!」
そう、意気込むと急いで瞳に残った涙を拭いて、丁寧に文字を書き出した。
「…要望書、だと…?」
リトグラ王国、第五代国王アルミレッドは政務から目を離し、向かいに立つ自国の宰相を睨み付けた。
「…エトワール王国から、結婚に関しての要望があるというわけか?あの小国が、このリトグラ王国に?」
「は、はぁ…」
先代から使える初老を迎える宰相は流れる汗を吹きながら主の問いに答える。
「先方の宰相様から預かりましたが、実際には第三王女のシルビア様がお考えになり、したためた物だそうです。国王様への親書でございますので、直接開封して下さいとの事です」
そう言うと、恭しく一通の文を差し出す。
「…ふん、深窓の王女、か。どうせ自国の城でぬくぬくと育った王女なのだろう。こんな事ならば、やはり王妃など据えなければ良かったものを」
「そ、それはなりません!アルミレッド様が在位して二年。国内が落ち着いたからには、早急に王妃様を立てる必要がございます。エトワール王国は小国ではありますが歴史も古く高貴な血筋と聞きます。ますます民から王家への人気や信頼も増す事でしょう」
「だったら、なぜ第三王女なのだ」
「そ、それは第三王女様が一番民からの羨望を集めているからでございます。エトワール王国のみならず、他国にまでその美しさが知れ渡っているのは第三王女様だけでございます…!」
アルミレッドは盛大に顔をしかめる。実は、シルビアを王妃にと望んだのは宰相を始めとする大臣達だった。
アルミレッドとしては深窓の王女などと呼ばれ、晩餐会や舞踏会にも顔を出さず王家の一員としての務めも全うしない王女など願い下げだった。
どうせ、傲慢でどうしようもなく愚かな女に決まっている。
どんなに美しいと言われようが、王妃は飾りではない。その身分に見合う責務を果たすからこそ、国の頂点たる王と並び立つ事が許されるのだ。
そんな、愚かな女を王妃に据え、あまつは国母に据えるなど許せるものではない。
アルミレッドはそう考え、ギリギリまでその意見を無視してきた。
「…一度はそなた達の意見を受け入れ、王妃に迎える事を承知したが、やはりこの要望書は受け入れられない。これはリトグラ王国の沽券に関わる。内容を確認しだい場合によっては、この話は破棄することも考える」
「…そ、そんな!」
「話は以上だ。下がれ」
宰相はなおも食い下がろうとしたが、こうなってしまった国王は決して譲らないのを知っているので、深く頭を下げて退出するしかなかった。
どうか、王女からの手紙が穏便でありますように…!
そう、願わずにはいられない老宰相であった。
「……」
宰相が執務室を退出するのを確認したアルミレッドは、静かに目の前の手紙を持ち上げた。
エトワールの王族は、繊細で儚げである方が美しいとされているらしい。
しかし、手の中にある手紙は紙自体がそれほど細かい事に頓着しないアルミレッドでも分かるほどにそこまで上等でもなく、繊細で細やかさを重んじるエトワール王族とは思えないほど、粗雑な物だった。
「…ふん、庶民的な質素さでもアピールしているつもりか」
どうやら、アルミレッドの中で、第三王女の性格は極悪になっているらしい。
その気持ちの勢いのまま、ビリビリと乱暴に封筒を開けた。
そこには、とても繊細な字で丁寧に字がしたためられていた。
「……」
最初は、うろんな目で手紙を眺めていたアルミレッドだったが読むにつれて、目を大きく見開いた。
「な、なんだこれは……!」
思わず、手紙を持ったままその場で席を立ってしまった。
これを、したためる王女も王女だが、その内容を確認したはずのエトワール王国の者は一体何をやっていたのか。
「こ、これは……」
今度はあまりの驚きに頭痛がしてきた。先程の勢いが嘘のように今度は静かに椅子に座り直すと、改めて手紙を読み返した。
~親愛なるリトグラ王国、アルミレッド国王様~
拝啓
私は、エトワール王国第三王女、名をシルビアと申します。
まずは、このようなお手紙を差し出すご無礼をお詫び致します。本当に申し訳ございません。
ですが、どうしても早急にお伝えしておかねばならない事がございます。いずれは皆に分かる事ですが、双方の国の威信に関わる事でしたので今は内密にと思い、無礼を承知で新書を書かせて頂きました。
さて、私とのご結婚をご所望だとの事ですが、もちろんその件につきましては、エトワール王国総意で賛同致しております。
その事に異議はございません。
しかしながら、自身の事で非常に申し上げにくいのですが、私は噂で流れております『深窓の王女』等という高尚な者ではございません。
…はっきり、申し上げましょう。
私は美しくないのです。
決して、謙遜ではございません。
王家は総じて美しいとされていますが、私は全く美しくありません。むしろ、民の方が美しいと身内からも言われております。
恥ずかしながら、深海色の髪と沼色の瞳を持っております。
残念ながら本当に本当の事です。
アルミレッド様が、深窓の王女をご所望されていると伺い、なんとしてもその誤解を解いておかねばと思った次第です。
つきましては、美しくない私を貰って頂く代わりに、私からご提案がございます。どうか、それをご承認下さり、晴れて私を受け入れて下さりますよう、心から願っております。
敬具
「……」
一枚目を読み終わったアルミレッドは、静かに二枚目へと目を通す。
~ご提案~
私は美しくはありませんが、顔ではなく努力と根性でそれを補わせて頂きたいと願います。
国の賢母となるよう民の為に尽くして参ります。
その一歩として、嫁いだ後、身分を伏せて城の者や民に混じって清掃、料理、執務、護衛、商人など国が国として成り立つための様々な仕事を行い、民に何が必要なのか理解して参ります。
まずは、城の清掃、もしくは城下町で清掃員になろうと思うのですが、いかがでしょうか?
どうか、この願いをお聞き届け下さいますよう。
よろしくお願い申し上げます。
~シルビア~
…こんな突拍子もない手紙をもらったのは初めてだった。
アルミレッドは、深く頭を抱える。そして、自身が考えた王女像が虚像であった事に気付いた。
「…さて、この王女様をどうしたものか…」
アルミレッドの口調は苦かったが、その瞳は愉快そうに煌めいていた。