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似た者同士

作者: 白石美里

「絢はいいじゃない。優しくて稼ぎのいい旦那なんてうらやましいよ」

 山本絢は、友人の美佳の言葉に小首をかしげた。

「そうかな。美佳ちゃんのほうがうらやましいよ」

 美佳は自分の幼子をあやしながら、またまたぁ、と言って取り合わない。さっきまで、ごきげんでテレビを見ていたのに、何かこの子の機嫌をそこねるようなことがあったらしく、美佳の膝をつかんで、いやいやと首を振る。

「本当だって。こーんな素敵な家建てちゃってさ」

「でも、これから長いローンが待ってるんだよ」

 絢には鼻に皺を寄せて見せたが、ぐずった子供に笑顔を見せながら抱き上げた。妊娠中なのにと絢は驚いて、大丈夫なの?と聞くと、慣れた手つきで抱きながら平気という風に手を振って見せた。

 今日は美佳の新築祝いにおじゃました。

 絢にとって美佳は学生時代からの親友だが、お互いに結婚して、特に美佳に子供が生まれてからは、会う回数はめっきり減っていた。

 久しぶりに会う美佳は、どんどん母になっていくようで、絢はつい距離を感じてしまう。

「ずいぶん目立つようになってきたね。いま何か月?」

「もう七か月。体重増えすぎないようにしないと。この子産んだときもなかなか元に戻せなかったし」

 右手で子供を抱き、左手で目立つおなかをなでる美佳は、たしかに以前よりたくましくなっている。

「シンくんにも、いつ戻すの?とか嫌味言ってくるしさ、で、くやしいしダイエットって思ってたら妊娠しちゃって。だから、今度はあんまり増やさないようにしなくちゃ」

 シンくんは美佳の夫で、絢は二人の結婚式以来会っていないが、かわいい顔をした人だ。結婚式のとき、二人並んだ姿は素敵だった。童顔で某アイドルに似ているって新婦の友人たちにささやかれていた新郎と若く流行顔の新婦。二人とも背が小さいのでなおさらお似合いでドレスとタキシード姿はまるで人形が並んでいるようだった。

「自分だって、頭うすくなってるくせにさ」

 そんな憎まれ口を聞いても美佳の顔には不満はない。

「絢はちっとも変わらないよね。相変わらずきれいだし」

「そんなことないよ。美佳は子育てに忙しいから。ほら、私は時間だけはあるから」

「いいよねぇ。専業主婦なんてうらやましい」

「え? だって美佳だって」

 と、絢が言うと美佳は笑いながら、

「私はいまだけよ。この子たちに手がかからなくなったら、ローンのために働かなくちゃ」

 絢は、そうか、と思った。

 明るいうちにいとまを告げ、懐かれた子供に泣かれながら新築の家を後にした。

 時計を見るとまだ四時だ。駅に向かっていたが、帰るのには少し早い気がする。夫貴裕の帰りは仕事が忙しいらしく毎日遅い。それに不規則だ。食事もまちまちでいらないときも多々ある。そんなときは、あらかじめ連絡してくれるし、絢も不満はない。

 ―――買い物でもしていこうかな。

 今日は連絡がないから、夕ご飯の用意をしておかなければならないが、きっと帰りは遅いだろう。最近は特に忙しそうだ。

 まだまだ寒いが、もう厚手のコートはいらないぐらいになってきた。そろそろお店には春物が並んでいるはずだ。見に行ってみようかな、と思うと急に楽しくなってきた。

 自由でいいね、うらやましい。

 美佳だけではなく、絢に会う人たちはみんな口をそろえて言うし、自分でもそう思っている。

 絢はショーウィンドに映る自分を見て、もう三十を迎えたが、とてもその年齢には見えないと思う。初対面では、いまだに二十台半ばに見られることもある。すらりとした躰にきめ細かい肌。若いころからかわいいと言われてきたが、でも絢自身では特別美しいとは思っていないし、人並より少し上ぐらいという自覚をしていた。ただ、年を重ねてくると肌の美しさやスタイルの良さが若く美しく見せると絢は思っている。いまの絢と会う人は皆が口をそろえて美しいと言う。学生時代は、派手で垢抜けた顔だちをしていた美佳のほうがもてていたぐらいだったが。

 ―――不満なんてないでしょう。

 ―――ええ、本当に幸せですぅ。

 なんて、笑顔で答えるが、絢にも不満はある。




「美佳さんとこ、どうだった?」

 そう言うと貴裕はご飯を口に入れた。

「素敵なお家だったよ」

 絢はコーヒーをすすった。

 夜十一時過ぎ。やはり遅く帰ってきた貴裕の食事に付き合って、絢はテーブルに座って昼間の話をしていた。こんな時間からの夕食にはさすがに付き合えないので、コーヒーにしておくが、貴裕は少しも気にした風なくカロリーをもりもりと摂取している。

 貴裕は仕事が終わるのが遅いため、もっと遅くに食事をとることもあるし、アルコールも大好きだ。元々、ラガーマンというがっしりした体格に運動をしなくなって、三十五を迎えてからはさらに大きくなったように思う。立っても座ってもせり出したおなかに、絢は何か月? と聞きたくなってしまう。

「おかわりしていいかな?」

 ひかえめに言う貴裕から、絢はお茶碗を受け取った。ついでに空いたグラスにビールもつぎ足してあげる。

 ちょっとは、痩せたほうがいいんじゃない? ほら、健康のためにも。などと言ったこともあるが、そうだね、と言うだけで何も変わらない。それ以上は絢も言えないし、口うるさいなどとも思われたくない。変わったのは、おかわりの茶碗の出し方がひかえめになったぐらいだ。だから、あきらめてしまった。

 しかし、夏になったら、たいして暑くないところでも玉のように汗をかく。ハンカチで汗をぬぐい、食後に爪楊枝を使う姿はどこにでもいるサラリーマンだが、絢は自分の夫がこうなるとは思わなかった。

 友人の夫たちは、皆若々しく、年相応の男性だ。自分が昔つきあっていた男の子たちが年を重ねた姿に見えるが、貴裕はおじさんというところへ行ってしまったようだった。休日にスウェット着でテレビの前で横になっている姿にはぞっとした。このおっさんは誰だろうと。もともと、優しさと収入の良さに惹かれて結婚したが、当初はここまでではなかった。しかし、いまとなってしまっては恥ずかしくて友人と会わせたくなくなってしまった。貴裕に対して申し訳ない気持ちも少しはあるが、若々しい友人たちの夫とは違う自分の夫を見せたくなかった。

 そう、絢の不満は貴裕の容姿だった。


「今日、買い物もして来たんでしょ。何買ったの?」

 貴裕は優しそうな笑顔を浮かべ、絢がついだビールをぐぐっと飲み干した。

「トレンチコート。すっごくいいのがあったの」

 帰りに店をひやかしていたときに、春物の薄手のトレンチコートがかかっていて一目で気に入ったのだ。欲しいと思っていたところに自分の気に入ったものが見つかるなんて本当にラッキーだと思う。それだけのことだが、絢はそういうことにすごく幸せを感じるのだ。

「へぇー、後ではおって見せてよ」

「じゃあ、取ってくるね」

 ご機嫌に椅子から立ち上がったが、その前に貴裕の空いているグラスにビールを満たしてからコートを取りに行く。

 貴裕は嬉しそうにグラスに手を伸ばした。

 絢はすぐにコートを着てあらわれて雑誌のモデルのようにポーズを取り「じゃーん」と言うと、

「いいね。絢ちゃんスタイルいいからよく似合うよ」

 貴裕は自分でビールを注ぎながら、

「おまけに美人だし。いやー、本当に俺にはもったいない奥さんだよ」

「やだ、たーくん。褒めすぎだよ」

「そんなことないよ、自慢だよ」

 そう言う貴裕の顔は酔いがまわって気分がよくなっているようだ。そして、立ち上がって絢を抱きしめた。酔いも手伝ってか体温が高くなっている。

 貴裕は本当に優しい人だと思う。

 その優しさに触れると自分の考えが独りよがりなんだと思わされる。でもそれと同時に、恥ずかしいという気持となぜこの人と結婚してしまったんだろうという思いが頭をもたげる。実家の母にも、優しい人が一番だよ。いくらお金があっても妻を大事にしてくれないひとなんて嫌だろう。絢は本当にいい人と結婚した、と言われているのに。

 しかし、今日そんな気持ちが一変した。その通りだわ、自分の結婚は間違ってなかった、と絢ははじめて思った。

 今日おじゃました美佳の新居には、家族の仲睦まじい写真がリビングに所狭しと飾られていた。遊園地へ行ったもの、海へ行ったもの、子供が生まれた時のもの。

 その写真を見て絢は驚いた。

 昔はアイドルのようにかわいい顔をしたシンくんも、頭がうっすらと後退をして、体系もずいぶんゆるくなっていた。

 いくら、若いころは素敵でもみんな相応に年を取っていくんだと思ったら嬉しくなった。貴裕だけではなかったのだ。そう考えると、結婚して五年もたつというのに変わらず優しい貴裕を選んだ自分は、母の言うとおり正解なのだと絢は思った。

 絢は張り出した貴裕のおなかをふざけてひっぱった。痛っ!とおおげさに貴裕が痛がった。

 自分は本当に幸せ者だ。





 ああ、メールを送っておかなくちゃ。

 伸びをしてだるい体を起こした。薄暗い中だが、ベットの隣を見るといない。シャワーでも浴びているのだろうと思い、それよりも脇に置いてある携帯電話を取り、妻へ今日は遅くなるから夕食はいらないとメールを送る。するとすぐに、仕事頑張ってね、と返信が来る。携帯電話を置いてごろりと寝ころぶと派手なシャンデリアが目に入る。最近のラブホテルは凝っているな、と思う。

 突然部屋が明るくなった。

「あれ?もう起きてたの?」

 突然の光が眩しくて目を細める。

「うん。って寝てると思ってて電気つけたの?」

 ちらりと目線をやると、さっきまで隣で寝ていた女がやはりシャワーを浴びていたらしくガウンをはおって笑っていた。

 化粧を落とすと幼い顔立ちだ。童顔で豊満な体はやばいな、なんて下種なことが頭をかすめた。

「えー、そろそろ起きたほうがいいと思って」

「いや、帰るのだるい。今日は泊まっていこう」

 そう言って女を手招きした。女もするりと横に入りこむ。

「ねぇ、貴裕。こう毎日奥さん大丈夫なの?」

 くすくす、心配など露ほども含ませずに楽しげに女がささやく。貴裕も眉を上げるだけで答えはしない。

 貴裕は絢の顔を思い浮かべる。

 絢はまさか貴裕がこんな風に過ごしているなんて思いもしないだろう。彼女は、自分の好みだ。美人でスタイルもよくて口うるさくないし、何より頭が悪い。少しも浮気なんて疑っていない。彼女は自分が着飾ることが何よりも好きなのだ。

 美しい妻を持ち、それを眺めるのも貴裕は好きだし、こうやって若い子と遊ぶのも大好きだ。

 まったく、絢と結婚して正解だ。

 貴裕はこう思う、自分は本当に幸せ者だよなぁ。

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