漠然とした不安
被爆国首相よ、八月六日、九日を
人類総ザンゲの日として、休日に制定せよ
『休みが欲しい。』と私は、思った。
限られた、事務所の椅子から、窓の外を見ると、くっきりした白米色の雲と、白々しい藍色の青が、汚くヒンシュクをかった、トタン屋根から、私の意識に、パッと、入り込んでくる。否応ない色の『藍』なのだけれど。
目の前の、目の前の同僚は、山積みになった稟議書に、一枚、一枚、目を通し、一呼吸おくと、息が詰まった顔をした後、じっと、目を閉じている。忘れたことを思い出すのか、なんなのか。広島の工場地域には、労働に関する音のみが、静寂を響かしている。
くやしいくらいの、5月晴れで、あるというのに。
私は、ろくでもない日を、漠然とした不安、と過ごしている。不安は、目の前の、目の前の、退屈さを、ぐじぐじにした『鼻紙』みたいに、することでは、救われないし。見殺しにしているのだか。しかし、そんなことは、小学校のころから、わかっていたので、ないか。
突然、大音量の騒音が、攻撃的に、私の耳に聞こえ、私の気を、しだいに滅いらせていく。騒音の後、大きな沈黙があり、赤色メタリックのカセットデッキから、大きなリズム音が、ケタケタと、ながれ始めた。
新しい朝がきた 希望の朝だ
喜びに胸ひらけ 大空あおげ
ラジオの声に 健やかな胸を
この香る風に 開けよ
それ 1、2、3
いや、道路をはさんだ真向かいの、建築現場では。ラジオ体操の歌が、今、終わろうと。作業員が、曲にあわせて、体をほぐし始めている。どの作業員も、右端の雲をながめ、まったく同じアゴの角度をしている。長年の仕事で、根本的な疲労が、関節にたまっている人を。ひじや、腰や、肩が、同じ動きを、何度も、何度も、繰り返させられている。よいさ、よいさと、日々、繰り返される、右端に、均一の動きが。
彼らの朝、イヤ、本当のことを言おう。今昔から、誰も彼も、老若男女においてすら。はっきりした日本語で『クソッタレだ』『くそだ』と。再度、丁寧にも言おう。『くそを申してます。』と
本当に、本当に、本当に。
ダサいと言われても、言い続けなければ、ならない。朝はクソだらけだ。クソを殴りすてて、ズガイコツの削れる音に、聞こえる。
それ、1、2、3!
目の前の建築現場では、ラジオ体操が終わり、ミーティングが始まっている。スーパーマリオのルイージみたいなマネージャーが。まだ、足組しかできていない、現場で、大声で怒鳴っている。まったく!ルイージみたいなのに。
私は、限られた空間の中で。ゆっくりと、書類に目を通し、仕事を始めている。20分後には、もうトップスピードで、事務所の中の、仕事を進めて、私が今、どの時点の仕事をしているか、はっきりと、自覚している。決められた多くの選択肢の中から、もっとも正しい処理を選び、同じ位置に、すべての書類を正しく入れて、昼食までに、一気に、自分の仕事を、片づけてしまう。止まることは、もう、すでに、できないのだ。
効率よく動かなければ、いつまでも同じ場所にいる。これだけは、今の私の世界で、明白なこと。機械的に処理し、人間的に笑うこと。これは非常におもしろいことだ。興味深いし、明白なこと。そう明白なこと。こんなことは明白なことだったのに。
ところで今日の午前中は、少し余裕があるかもしれない。
しかし、もう、11時になる。すっかり太陽が、日常に、光を戻し、7月とはいえ、少し暑苦しすぎる。しっくりとこない、レイアウトの、会社の中には。本当にいろいろな人が働いている。腰の高い人、眠い人、あせっている人、鼻の低い人、暇な人。鼻骨の曲がっている人、あごが割れている人。そして、おかしなことに、すべての人が、12時の昼御飯を目指している。これは、大変に、滑稽なことでは、ないか。
世界人類が平和でありますように
実に、シンプルなこと。一日のスケジュールは仕事、飯、仕事、めし、仕事、帰宅。シンブルな一日だ。めしめし。ヒツジさん、急いで、ご飯を食べましょう。
フライ、フライ。エビフライ。エビィフライ。タルタルソース、キュウリのお酢モノに。広島菜。野菜もおいしい。おー味噌汁は。赤みそ。
私は、日本の中国地方の、デルタ地帯の、海岸沿いで、昼食をとっている。太陽が、サンサンとザンゲをしていて、なお、ゆっくりとした太陽光が、墨色の事務所の、はしばしから、私のからだの中で、下降していく。7月の風が、しっくりと、休憩室に、入り込んできている。
雨が、雨が降らなければいい。ムシムシとした一日にならなければ。本当に。私は、席に戻って、少しずつ仕事を始め、すべての仕事が終わるまで、一気に仕事をしなければならない。午後は、満腹感もあり、ほどほどに眠い。ネムイ。もう食えない。眠気がさったら、さあ、スピードをあげよう。
夕方になるにつれ、事務所内の湿度が、極度に、クルクルと、上がっていく。雨がぽつぽつと、風が吹いている方角より、落ちだし、路面の固さを奪っていく。今に、日本中が徐徐に、イラツキだし、家庭内暴力率がハネアガル。
窓の外は雨、中々、やむ気配もない。もしかしたら、このまま梅雨状態が、続くのかもしれない。今日は、本降りになるのだろうか。そしたら、コンクリートも、ぐにゃ、ぐにゃに、変えてしまうのだろう。と私は、思った。
私は、プリンの上を歩く。雨はやまない。私は、プリンの上を歩く。雨はやまない。私は、いつから、プリンの上を、歩く?私は、いつから、プリンを、ひっくり返して食べてないんだろう。
なにか、悲しい気持ちになっても、雨が降ってきても、誰も彼も、仕事をやめるわけでもなく、手の動きは、一時間前より加速している。
カリカリ、タカタカ、しごとしごと、ロウドウ、ロウドウ。日々仕事的。日本的勤勉主義。
憲法第27条
【労働の権利、義務】
1 すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
『義務を負うー』
なんにしても、私は、今日も、働かなければいけない。イッショケンメイメイ。にわかに、本格的に降りだした雨が、窓の外に、水たまりを、つくり出している。我々の手の動きと、雨音が、世界のすべての、均等をあらわしてるかのように、エンエンと降り続いている。何度だっていうけど、とうとう本降りになったようだ。
目の前の、建築現場の作業員は、帰り仕度を始めている。あっという間に、現場には、水色のカバーが、かかっていく。カバーは申しわけ程度に、かかっていて。いつの間にか、道具も、しまわれ、すべてが、正しい位置に、戻されていく。これは、本当に正しいことだ。
ああ、明日から、一週間、雨が、もってくれれば、工事も終わるだろうに。梅雨明けまで、毎朝、あのラジオ体操の歌を、聞きつづけるのは御免だ。
『私は、きっと喪失感で、いっぱいになってしまうだろう。』
私は、窓の外を見た。そして、突然、私は、家にシーツをほしていることを思い出した。『あっ』と声を出したので、みんなが私のほうを見た。私は、やらなければいけない仕事を思い出したふりをし、ごまかした。私の両腕に『さぶいぼ』が、出てきている。
今日は、早く帰りたい。なんとしても、早く取り入れなければならない。私は、今、恐ろい強迫観念に教われている。シーツ取り入れ的、心理状況だ。なんだか、雨に濡れたT シャツの匂いが、私を、はっか味的ブルーの、テンションぶりぶり人間に追い込みそうだ。
私は定時を過ぎて、会社を出る時。私は、あの瞬間を思い出す。そう、それは大学時代のレポートテストの、帰り際に似ている。三百人以上が入っている大教室から、階段を降りていくと、円形劇場みたいな経壇の上で、ロシア人講師が、こういう顔をする。
『ソンナニ、ハヨ、カエッテ、大丈夫』
否、それでも、私は、今日は、帰ることに決めた。
長い長い一日も、今、やっと終わろうとしている。日が沈み、雨がうって、生土の香りが匂う。私は、事務所へ、朝、出勤した時と、同じコースを、まったく、逆の順路を通って、帰宅をする。川沿いの道路を、ゆったりとしたスピードで、車をすべらせていると。橋には、すっかり霧雨が架かり、中央あたりから高く、鉄筋が、もりあがっている。アーチ型の白い鉄柱が、ティラノザウルスの背骨のように見える。橋の向こう側が、車高の低い車からは、見えず。橋が雲に向かって、ひどく、不規則に伸びていくように、感じる。車を走らせて、雲に近づくと、急な下り坂になっていて、街灯の斜光が、雨のしずくをアジサイ色に染めた。私は、あまりのまぶしさに、右目をふさいでしまう。左目から見える道路の表面は、
まるで、かさぶたが、はがれたあとの、薄い皮膚のようにひかり。動物の粘膜を私に、想像させた。川の流れは、水量の割に、ゆったりとしていて。車に、うちつける雨音だけが、私の心音に並んでいく。
刑務所が見えてくる。ライトで黄褐色に光った壁を、横に見ながら、のっぺりとした肌の色の、白髪の教官が、うろうろと傘をさして、歩いている。実に気味が悪い。本当に、刑務所の壁は、のっぺりとした黄褐色だ。タルタルソース色に似ている。
私は、車の中で、ぼんやりと、刑務所について、考えている。まあ、なんにしても、考えることは、人間にとって重要だ。まず、刑務所の囚人たちは『自由』というものを、ハクダツされて大変だなあ。と思う。しかし、私も、あなたも、あほさ加減は、中々直らないし、難しい問題だなあ。とも思う。
雨が強くなり、車中にいるのに、体中が、水びだし気分になってきた。窓ガラスが、深い青になるぐらいの雨で、私は、体中が、まったく濡れていないのに、太ももや、胸が、スライムみたいな、しずくの塊になってしまう恐怖を感じた。
生きる価値のない生活。
基本的人権の尊重、国民主権、戦争放棄。
なにもない空間。
かれはの、空は、私の空へとツナガル、雲をみること。
それ以外に、ない。囚人たちとの、共感。
かわいそうな囚人たち。雨夜の電車通りへ
出ると、
霧雨の中より、路面電車が、警笛を吹きながら、あらわれ、私のポンコツ車を、軽く、追い越していく。広島には、被爆時にも走っていた路面電車が、何台か残っており、こんな日にも、被爆列車は走っているのだと思った。私は、ゆっくりと、駐車場に車を停めて、エンジンをきった。車の中からだと、スカスカの雨に見えるのに。外に出ると現実の雨は、弾力的な強さで、降っている。ポタポタと、透明のコンビニ傘を、さしながら、家に帰る。私は、その前に弁当屋で、弁当を買うことにした。あまりおいしくないが、こんな日には、台所ですら、じめじめしていて、立つことすら、いやだ。こういうところが、私の駄目なところだと思う。しばらく待って、私は、のり弁当を買うと、屋根の下まで、急ぎ足で走った。マンションのすぐ下で、傘のシズクを、払い落とす、雨の日の、階段は、情緒不安定なコンクリートみたいで、すべての、音、も許されているように、感じる。晴れた日には、許されていない、不快な音も。なんも、かんもだ。私は、
不快な音を立てながら、階段を上がっていく。
私は、家に帰ってシーツを部屋の中に入れながら、テレビを見ている。しばらくすると、私は、退屈な弁当を食いながら、テレビを見ている。
テレビも、実に退屈、で滑稽。ニュースでは、数ヵ月前のイラクでの、『邦人』人質事件の特集をやっていて、実に、まあ、くだらないものだった。
『うそばっかしやな。ニュースは。』
日本国首相のコメントとアメリカ大統領のコメントが、大げさにテレビから、ながれる。ショーアップされた世界、それにしても、金のために殺される人は大変だ。実に面倒やし、なにより、人が死ぬと、何かと儀式めいたことが、多すぎる。テレビニュースは、さらに先へ進んでいる。
首相や防衛庁長官は、最近、サマワのことをサマーワと言う、しかも、言葉のアクセントが前の所にあり、実に、私の健全な精神を、イガイガさせる。
『なにを、あの年になって、いきがっているんや。』
きっと、こういう会話があったに違いない。
秘書『首相、サマワは現地では、サマーワというらしいですよ。』
首相『え、まじで、ほんまかいや、じゃあ、今日の定例会見から、サマーワっていったほうがええかな。』
秘書『そうですね。テレビ各局も言い方を変えていますし、防衛庁長官もそういうてますし、統一しましょう。』
首相『ほんまにー、まじ、かいや。そのほうが、カッコええかな。そうするわ。』
とこんな会話に違いない。きっとそうだ。だから、あんな戦争の不謹慎な話をしているのに、サマーワという言葉を発する時だけ、一瞬、はっきりと、うれしそうな顔をするのだ。
特集が終わると、首相や、国会議員が、国民年金を払ってなかったというニュースを延々とやるようだった。本当に退屈なニュースで、疲れて帰ってきて、このテレビを見た人は、みんな死にたくなるんじゃないだろうか。と思った。神国日本も、自殺率が上がるわけだ。
憲法第9条
『戦争放棄、軍備及び交戦権の否認』
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
さあ、シャワーを浴びて寝よう、
今日もまた、一日、死に近づいたわけだ。
いつだって、いつ死ぬかは、問題ではない、
われわれの、漠然とした不安、
観念的で、不自由なものは。
人形劇の、観覧車みたいに、
ぐるぐると、まわり尽くす。
朝起きてみると、体がシジュウ、痛い。きのうの朝も、こんなふうだったんだろうか。いや、こんな感じだったんだろう。眠りについてから、じっと重い体重が、あちら、こちらに、不確実にかかっていたせいだ。青ざめた壁を通り、私は、強く咳き込み、体中の
骨を強く引きしめる。今度は、真っ青な壁が、私の中から、部屋の壁へと変わり、冷たいイメージのみが、冷えている私の体を表す。私は朝、起きて、すっかり、方向感覚を失っている。広島球場、平和公園、比治山、黄金山、宇品港、市内のそういった地図を、一つ一つ、自分の世界に、入れていかなくては、いけない。自宅と、その周辺の世界がそっと、私の世界と重なったとき、県立美術館のサルバトール・ダリの絵が、広島世界の『へそ』に加わり、私の一日は、始まるのだ。
最近は、太陽よりも、かなり遅く、起きている。日が昇るのが、早くなったから、らしい。私は、毎朝、麦茶を飲んで、服を着替えて、自宅を出る。
しかし、何か、今日は、忙しい予感が、嫌なくらいする。マンションの一階に、ヤンキーみたいな高校生が、だべっていて、ぶち殺したかったけど。私には勤労の義務があるから、やめておこうと思う。ただ高校生が、私を見て、鼻で笑ったように感じたし、もしそうだとしたら、実に悲しいことだ。
私は、悲しさを胸に、車に乗り込み、会社に向かう。朝の光がさしこむ、くすみ色の、空間に、出勤に向かう車が、あふれいでる。
この道を、逆に進めば、平和公園、原爆爆心地だ。あの年の8月6日から、新しい世界が、生まれ。数十万の物語が、その周りを、渦潮のように、回っている。物語は神話へと変わり、風土となる。
雨が降っているのか、降っていないのか、そんな天気。相変わらず黄褐色の壁をした刑務所の前を、私は、車を走らせている。
刑務所内には、新しく建てられた、白いペンキの建築物が、塀と対等に、並んでいて、壁の上から我々を見下ろしている。私は、信号待ちをしながら。
『あれでは、こちらの世界が、鉄格子から丸見えではないか。』
とはっと、思ったり、
『案外、我々が彼らに見張られているのではないか。』
と考え、朝っぱらから、ニヤットシ。
『いやいや、きっと職員用の建物だろう。それか、外が見えないようになっているんだろう。』
などと、うす、きみ、わるいことを、考えている。
刑務所の前には、小学生が、横断歩道を渡ろうとしていて。無機質な子供の小集団を、警察官が、黄色い旗を持って、誘導している。あの、でっぷりとした腹が、税金で作られていると考えると腹ただしい。なんて、コミカル、でコケティシュな朝。広大な刑務所の壁が、半ズボンの小学生と、対比さして、傾斜のある空間に、泣き泣きハイハイ。
会社へ出社すると、月末だというので、ただでさえ、忙しいのに。パート、アルバイトが、ほとんど出勤していない。欠勤とのこと、連休を取りやがった。みんな、なんかあれば、ぶちぎれる状態だろう。人間は、いつだって、ぶちぎれる状態だろう。人間は、いつだって、ぶちぎれる寸前だ。休憩所のホワイトボードには、はみ出るくらいの予定が、緑色で書かれている。濃い緑色や薄い緑色が、かさなって読めない部分まである。こうやって、すべての仕事が、たまり狂うのだろう。まったく、嫌な予感だ。やっぱり、朝から、電話が止まらない。そういう日に限って、予定のない得意先が、何度も何度も来て、事務所が混乱状態に陥っている。私は、じっと机にしがみついて、しばらく心をしずめている。まったく最悪の一日だ。
あっという間に、商談室が来客者で、空きがなくなった。私の隣のテーブルには、会社の採用担当者が、来客者を連れて来ている。『ここいい?』と聞かれた。私は『いいですよ。』と答えた。ホントは、真っ赤なうそで。午前中の作業で、机がないと困るし、正直、勘弁してほしかったのだけれど。
真っ黒な黒髪を後ろで、一つに結んだ女性と、てかてかに頭にポマードをつけた男性が、ズカズカと、となりの席に着いた。ポマードの男は、梶井基次郎に似ていた。私は、すぐに基次郎というあだ名を付けた。女性は、非常に澄んだ目をしていて、私は、フナのような目で、彼女を品定めした。髪型も、顔もすきっとしていて、男なら、3分後には、みんな好きになってしまうだろう。
今日の私は、掃除当番で、始業時間をとっくに過ぎているのだが。朝から、会社まわりの掃除をしなければならない。私は、人口密度が高くなった、事務所を、一刻も、抜けたかったこともあり、急いで席を立った。あえて、誰にも言わずに。
外は、ムシムシ、じとじと、していて、まったく生きた心地がしなかった。むし殺しというやつに、間違いない。外の葉っぱを、ちりちりとして、ちりとりに入れ、はきはきと、ほうきで、はいたりする。ムシ苦しかったので、私は、大きく息を吸いこんだ。新鮮な空気が、私の肺に入ると、空間が一杯になった。血液には、昔の時代の空気と、時間が、流れこんできて、私は、げほげほと、むせて、『何か掃除どころではないなあ。』と涙目になったりした。そんなことを考えていると、20分以上、時間が経っていることに気付いた。
私は、席に戻ることにした。
席に戻ると、テカテカ頭の人が、熱く教育論を語ってある。まあ、梶井君、そう熱くなるな。どうやら、というか、きっと教育者なんだろう。しかも、典型的な教育者ですなあ。教育が、人生の中で、どれだけ重要かを、訴えている。
そんなことより、私は、めっきり遅れた、仕事を取り返さねば、ならない。しかし、となりの席の女性教師が、気になる。
真っ黒な黒髪を後ろで、結んだ女性教師は、教育者らしく、凛としている。高校教師で就職担当者なのだろう。教師は、りんごみたいに、人生をかじるような、嫌な人が多いのだけど。
わが社の採用担当者は、この学校の生徒を採用するつもりがないのか、忙しいのか、全く聞く気すらないようだった。はやく、切り上げたいのだろう。会話を極力減らし、できるだけ早く終らすことを、考えているように見える。そんなこと、おかまいなしに、女性教師は、スタートラインから、しゃべり始めた。
『あたしは、学生には、人生を自分で決めてほしいと思っています。あたしは、少なからず、そうして、決断してきましたし。学校には、希望を持って欲しいと考えています。』
彼女は、大きく息を吸い、人生を整えて進める。
『おかげさまで、我が校の学生の中にも、目標を持って、勉強を続けている、優秀な学生がおりますし。貴社にとっても、プラスになる生徒は、たくさんいると思います。』
と確信を、唇から、湿らせていく。彼女はマブタを細め、一点の波を静めて、進める。
『今、我が校にも、就職、進学する学生の他に、フリーターになる学生もたくさんいます。あたしたちとしては、学生時代から、
目標を持ち、フリーターになるのではなく、就職をしてほしいと考えています。』
と言った。まったく、彼女の言っていることは、正しい。しかし、悲しいかな、そんなことは。そんなことは、やはり正しくないのだろう。まるっきりの嘘だろう。会社の中には、パソコンのプリンター音がなりだし、隣の席の声が聞こえなくなる。すぐさま、騒音のなかで。私は、仕事を一秒ごとに処理する。もうちょっとしたら、十秒になり、一分になろう。すぐさま半時間、一日だ。騒音が、一瞬になくなり、事務所の、すべての声が、透き通るように、聞こえる。
その時、彼女は、こうも言った。
『人間は、大小あるけれど、話し合えば、互いに分かり合えるというのが、あたしの信念です。あたしは、悪い人は、世の中にいないと思います。我が高校の学生にも、勉強よりも、そういった人間の根本を学んでもらえればと考えています。』
とすべてを言い切ってしまった。
私の会社の採用担当者は、眉毛一つ動かさず。何か別のことを考えているようだった。女性教師の、目は澄んでいたし、凛としていた。私や、採用担当者、基次郎のように目が死んでいないんだ。
私は、立ち上がって拍手をしたい気持ちだったが、そういったことが、自分の人生の中で、よい方向へいかないと理解しているので、止めた。
しかし、かわいいと、みんなから優しく扱ってもらえるんだろうなあ。考え方もゆがんでなくて、すばらしいなあ。と思ったのも事実!。あれ、もう10時を回っている12時まで2時間、え、2時間。しばし、働こう、はたはた。
私は、小さなコビトになって、専門用語や、記号や、数字の世界に、ズッポリと入り込んで、重い、シャープベンシルを体中で支えている。思考は停止し、行動は加速していく。人間の機械化を、有機的に制限しなければいけない。
新しい法律を制定しよう。
奴隷制度は存在している。
憲法18条
【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。また、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
11時を過ぎると、隣のテーブルの、採用担当者、女性教師、基次郎は、席をたった。基次郎は頭は、最後までポマードがテカッてたし。女性教師は、背筋をすっと伸ばし、
『今日は、本当にありがとうこざいました。失礼いたしました。』
と事務所に響きわたる、声で言った。
我々は、仕事をしながら、均等な角度、でいっせいに、御辞儀する。もうこれは、習慣的に、我々のものなのだ。
私は、今日の昼食時間は、そうそうに切り上げなければならない。これは、非常に残念なことだ。もし私が、デブだったとしたら。もっと残念がったに違いない。まあ、忙しいのだから、しかたない。
私は、仕事に戻って、じんじん、じかじか、仕事をしたり。うりうり、ウラウラ、仕事をした。デンデン、ドゥリドゥリ、仕事もした。あたりは、暗さを取り戻しにかかったので、私の仕事は終わったのだろうか。よくわからない。でも、事務所はもう、閉まるらしい。
突然、上司からよばれ、急に明日は、休みになることを告げられた。きっと、上司は、あまりに、忙しすぎて、言うことを忘れていたに違いない。
私は、少し、イライラした気分になった。休日の前に、こんな遅くまでいる必要はないんだ。ほっぽりだして、帰ってもいい仕事も、
いくつかあったんだ。それにしても、明日は平日の休みなのだから、退屈に違いない。
『休日前は外食する』これは私の、ささやかな、そして、小さな楽しみだ。仕事が終わったので、私はラーメン屋へ行こうと、思う。私は、いつもの、帰り道とは、違う道を通った。まったく、雨が、降っているのか、降っていないのか。朝から、さっぱりわからない。しかし、そんなことは、もう、どお、でもいい。天気のことなんか。なんせ、もう、何十年も、春夏秋冬、天気について、ユウウツな不快や、爽快な気分になったりもする。私は、今、おいしいラーメンを、すすりたいだけだ。
島ごとに、町内が分かれる、広島の町を、車で走りながら。さまざまに、交差する路面電車や、道路を見ていると、どうってことない、孤独。小さな商店街をいくつか越え、いきどまりの、T 字路へ行きつき、右手には、赤のノレンのが、見える。ラーメン屋は、開いていた。
ノレンをくぐって、中に入る。中は、満席だった。ちょうど、カウンターの、隅っこが空いている。ラッキー、ああ小市民のしあわせ。店の中には、20名近くの人間が、小さくなって、もくもくとラーメンをすすっている。ひたすら、だまり、スープの匂いが、私の嗅覚をシサイにする。私は、隅っこの席に腰掛けて、中華そばを注文した。メニューは、中華そばしかない。
しかし、文句なく、うまい。一万円の、フランス料理よりも、確実に。私は、すべての人が、均等に、ラーメンをすすっているその中に。ひとり、ラーメンを待っている。私は、今、この中で、遅れている。しかし、すべてが、許されてもいる。おねえさんが、ラーメンを出してくれる。『いただきます』と言う、箸を割る。 豚骨の匂いで体が震える。私は一口、めんを口にする。まったりと、めんが、もやしといっしょに、口の中で、シャキシャキ、はじけると、醤油のあじが、私の粘膜より、ちょうど、同時に実弾を打ち込んだ。私は助走をつけ、もう走り出している。味覚が障害して、甘味、と、うまみが止まらない。私は、うぃーうぃーっと言った後、走り幅跳びのように、高く遠くへ跳ぶ。体か宙に浮く。あーいまココに味が落ちる。いやここに、味が落ちよう。それが分かる。ああー落ちよう。
おいしい料理は、味の着地点が、わかっている。『わかっていて、つくっているんだなあ』とつくづく思う。最高の小説家や、音楽家、料理人というのは、着地点を明確に理解している。
私は、そういったものには、なれないかもしれない。
いやあ、しかし、ほんまにうまいなあ、なんで、こんなに、うまいんだろう。あんたは、ホンマ天才だなあ。とゆいたいなあ。しかし、シニカルな私は、スープを、ゆっくり、味わいながら、生の喜びだとか、イラクでの死や、政治や、法律に、そんなものに、いったい何の価値があるのか、しれない。すべては、この、ラーメンの前で。切腹してしまえ。と思いつつ、私は、最後まで、スープを飲みほした。
うますぎて、私は、呆然としてきた。ひざが、ガクガクしている。しばらく、すると、耳鳴りがし、背中の筋肉が、びちびちと裁断されていくのを感じる。私は、『おいしかったです。』『ごちそうさんです。』とだけいって、カウンターに5百円を置き、逃げ出した。家に帰っても、私の脳髄は最高に、満足して、眠かった。べっとりとしたベットに横になると、すっかり私は、寝てしまった。すべての欲求がみたされたみたいだ。
急に目が覚めた。夜の12時をとうに、過ぎていた。急でなかったかもしれない。私は元気だったので、街に出ることにした。いっぱい飲みにいこう。と友人を誘った。友人は寝ていて、明日、午後から仕事だから、と断った。案外、冷たい、だけど。
『なんか、死にそう。』とか。『そんなんでええん』とかなんだか、軽く脅かして。友人の家の近くで、飲むことにした。
その店は、私のよくいく店でなく。友人の行きつけの店で。友人は、まだ来てなかったが、私は、先に席について、鳥の軟骨唐揚げを食べながら。ジントニックを一杯、飲んでいる。軟骨って鳥の、どの部分なんだろうか。カリカリしている。それ以外のなにものでもないやけど。友人が入ってきた。私は友人を、いやになるくらいの笑顔で迎え入れた。友人は入ってくるなり、くそったれだとか、殺してーとか、たいぎーとか、どいつも、こいつも、とか、しばきよるけー、とか、えらく、物騒なことを言っている。世界中の不満を、すべて自分は正しいという観点で、しゃべりまくっている。
私は、彼の話をしっかりと、相づちを打って答えた。ジンが体の中に、入って、私は、気持ちよく酔っぱらってきている。
友人は、一時間も、自分の話を徹底的に話して、私の話は、始めから、最後まで、いっさい聞く気がないようだった。こんな誘い方をしたのが、間違いだった。まあしょうがない。
『じゃけえ、たちまち、何かあったら、相談してぇ、まあ、あんまり考えこまんほうがええよう。』
というわけのわからないアドバイスを、私に言って、すっかり憑き物がとれた顔をして、帰っていった。一人になった私は、店のオーナーが、競馬好きということもあり、来週のレース予想を聞いている。私は、就職してから、競馬をしていないので、すべての話が、新鮮味があり、現実味があり、私は、順調にアルコールを飲み続けている。外は、雨が降っているのか、降っていないのか、相変わらずの、ぐずぐずした天気というやつで、客は少ない。オーナーは突然、こう言った。
『最近、あちらの世界の人は、疲れているねえ。』
って。で私は、くびれた感じで、こう、切り返す。
『やっぱ、昔とは、ちゃいますか。』
と、オーナーはわかりやすい言葉を選びながら、すっかり泥酔していく私に、こう言った。
『ここ、5・6年やろう、特に、ここ、1・2年は、ひどいーわ。すさんどろお。まあ、ここに、飲みに来るような人は、まだ、ましなんじゃろが。』
とマスターは、何か仕込みでもするらしく、厨房へ入っていく。私は、ちびちび、飲みながら、マスターにとって、あちらの世界とは、どういうことだろう。普通の会社で働いていた。あちらの世界、自分の同級生が住んでいる、あちらの世界だろうか。どこからが、あちらの世界で、こちらの世界なんだ。私は、今、私は、どちらの世界にいるのか。こちらの世界、あちらの世界。鳥の軟骨唐揚げで、わたしは、どんどん酒を飲む。安くて、キツイ酒を。最高の、合法の。すばらしい嗜好品。この軟骨はどちらの世界?
私はぐいぐい、いい感じに酔いが回っていた。マスターが、知らない間に目の前にて。昨日、見に行った。映画の話を、私の隣りの客としている。マスターは映画も詳しい。音楽もすきだし、いわゆる万能型人間だ。なんせ、スキーだとか、山登りだってやるんだ。私は、山に登る人間の感情が分からない。マスターが、しゃべっている男は、客というより、マスターの友人のようだ。友人Aは黒ブチ眼鏡に、かっちりした、アゴを、持っていて、それでいて、全体のバランスが取れているので、なんかむかつく。酔っぱらいの私より、順調にバランスが取れている。まったく、うまく、している。二人の会話には、外国人の俳優がフルネームで出てきて、さらっ、というので、困ってしまう。私は、話の中で途中で、『だれよう、なんに出とる人?』と聞かなくではいけない。それが、実に面倒だ。だめ人間みたいな扱いで、実に困る。私も、映画は好きだし、音楽も好きだ。しかし、人類はもともと、そういうもんだ。あんたら、くわしすぎんねん。しかし、どうして、日本の俳優や歌手みたいに、アメリカ人や韓国人の名前を覚えられるのだろう。
結局、彼らの、話は、終始、批判的で。話は、映画が最近、面白くなくなった。という話になった。こんな議題、私は、嫌だった。私は、酔っぱらいになって、黒ブチ眼鏡に
『あんたが、死にかけの、じじいになったんでなーい。』
と言ってみたけど、マスターと、客人は、実に紳士な対応を心得て、無視されてしまった。そして、例えば、あの監督は、最近『こーだ』とか『あーだ』とか、言っている。なんだか、私は寂しかったので、軟骨をぐにぐにしている。
その後も、あんまりうだうだしい、冷静な意見を20分も30分もやりやっている。私は、恐ろしく酒がうまく、しかも、悪酔いしないので、ピッチが上がるいっぽうだ。黒ブチ眼鏡が、こう言った。
『どんどん、映画は安っぽくなっていくなあ。』
って。だから、私は、言ってやった。わたくし的意見ですけども、って。
『原因っていいやあ。戦争がいけん、って。映画や音楽を、陳腐化させたのは、戦争やでえ。』
私は、なにか、頭を整理して、しゃべらなくてはいけない。私は、ほんとは、戦争になんて、あきらめているんだ。
『なんかさー、テレビで戦争とか、みとると、生きんのが、いやんなるねんなあ。映画の色使いとか、会話とか、小説の、音の響きとか、すべてが、チンプにみえるなああ。』
さあ、続けよう。聞いてくれなくても、時代に吐き出すべきはものは、吐き出そう。
『あんなことは、生きとることの否定やで、ほんまに、あーやって、人類は、一生おんなじこと、すんにゃろなあ。ってうんざりすんもん。』
『人生が2000年あったり、二度あったら、悟って、【せんそー】やめよっかなー、ってなるかもしれんけど。』
マスターはだあだあと、私をなだめ、
『80年じゃあ、むりじゃ。悟れん、悟れん。』
といい放ち、黒ブチ眼鏡は
『ブッシュは一億光年かかっても無理じゃけー。』
といきりよく、跳ばす。そういって悲しく笑いながら、最新作の映画の話になっている。
『最近、映画とか見てへんなあ。』と私は思った。
私は、よくよく、酔っぱらってきて、ハイになってきている。黒ブチと、マスターは、まだ、日本では、公開されていない、反戦ドキュメンタリー映画の話になっている。私は、そもそも、世界の流れから、置いていかれている。私は、
頭の中に、ヒットラーのカッコをしたチャップリンが、天ぷらを食っている。なぜ、だろうと思った。よく考えると、マスターの顔は、チャップリンに似ている。白黒のチャップリンだ。ひげのぐあいが、チャーミングだ。私はチャップリンの『独裁者』がひどく好きだった。しゃべらんことにこだわった彼の、初トーキーが反戦映画だった。彼は、しゃべらずにはいられなかった。
そんな、おもしろくない、ただのマスターはチャップリンみたいに、こうコメントする。
『日本のお笑いが、世界で一番おもろい、のは、認めるが、そういう意味での、デカイ、世界観での、笑いがないなあ。さんまにしろ、ダウンタウンにしろ。』
そのコメントが、大御所みたいで、おもしろかった。
私は、偽チャップリンのくせにと思った。
私は、店を出た。そのあとの記憶がない。そんなに私は、飲んだのだろうか。気がついた時には、すっかり、千鳥足で、道を歩いている。ちょうど、雨はやんでいるようだった。私は、へべれけだった。死にそうだったし、原爆記念公園の土の上を、にやにやとしながら、歩いた。しっとりと湿った土なので、森を歩いた時のように、足の裏から、喜びが伝わってくる。私は、土が濡れていないことを確認し、仰向けに寝ころがった。まだ、意識は、なんとかある。半世紀前の爆心地で、寝ながら、夜空を見ていると。私は、今すぐ、歴史や国体に、つばを吐いたり、昔に降ってきた爆弾を想像したりしている。この公園を中心とした、世界はいつだって、絶望している。そう考えると、私は、
希望を感じるのだった。
わたしは、関西のどこかの大学生が、広島へ旅行の際、公園にあった千羽鶴に火をつけて、燃やしたというニュースを、思い出した。その後、千羽鶴はケースに入れられているらしい。以前から、入っていた気もするが、よくわからない。私は、ケースに入れられた千羽鶴を見に行く。千羽鶴は、ぐったりと決めつけられた平和みたいに、湿っていて。透明の四角い句切りがされていた。私は、あきらかに不審者を楽しみつつ、透明のケースをドンドンと叩いてみる。透明のケースの前には、
『監視カメラがあります』と張り紙があって、私は、おかしくてしかたなく、思わず笑ってしまった。あんなものは、学校で無理矢理つくらされる、偽善の鶴なんであって。しばし、苦笑。『はっはっ』私は、監視カメラに向かって、ピースサインを最高にかわいらしくした。
私は、大声でなにかビデオにおさまりたかった。軽薄に、滑稽に、平和主義的に。
『戦争反対! 戦争放棄、死にたくない。人も殺したくないでございます。隊長。隊長、隊長、自分は、一生、だらだらと生きたいであります。』
『兵役、防人、徴兵制に、断固反対であります サー』
と叫ぶのが、自分自身でわかった。
私は、スイングしながら、ジダンダをふみつける。しかし、すっきり飽きてしまって、原爆ドームの見える川の方に、向かって走っていった。川沿いには、木製のベンチが、いくつかあって、特徴のない、公共的なベンチとして、ただ漠然と並んでいる。
川と公園の間には、句切りの石段が飛び並んでいて。公園のベンチの前には、一段高いブロックがある。私は、ブロックにのぼりきった後、こころよく、直立にたった。夜風が、酔っぱらいには、気持ちよかったし、何気に生きているんだなあと思った。原爆ドームも、広島球場も本当に無力に、そこに存在して。私は、背を、精一杯に伸ばし、ヒタイにシュトウを当てて、遠くを見る、侍みたいな気分になった。
『絶景かな、うーん絶景かな。』
私は、すっかり絶好調だった。すべてが、うまくいくと、確信できるし。今、すべての景色を、自分のものにできている。
朝、気がつくと、私は、刑務所の壁の下にいた。いったい、どうして、私はこんなことになっているのだろう。本当に、申し訳が立たない。私は、小さく体育座りをしている、最高に滑稽な人。そして、空を見上げた。不思議と酔いはなかった。空は、逃げてより、見るほどの、青い青だった。こんな、広く、青い空をみたのは、いつぶりだろう。
刑務所の壁が、白にしっかりと、光って見える。そらに、垂直に立つ塀。壁はいつものように黄褐色でなく。結局、なんにもみえて。いらない。刑務所の壁。普段見えていたのとは、大きく異なっている。
壁は、まるで銀シャリのようで、我々と、あちらをさえぎるには、やわらかすぎる。私は、ずっと、先の先のサキに見える、壁のテッペンを、見あげている。その、美しすぎる垂直の壁。高さは10メートル?20メートルぐらいか。
私が、もし画家だったとしたら、もし私が、画家になりたかったとしたら、この塀、全面に、私の世界のすべてを、描き殴って、刑務所にでも、入ってしまおう。
そんな、気持ち、私は、朝から、本当に最高に幸せだった。そう西洋式に、ハッビーだった。
私は、塀のテッペンを見あげるのをやめて、右をみた。左には、普段、私が通る道路がある。だから、左は見なかった。右には恐ろしく長い、塀があった。数百メータはあるだろう。曲がり角が、よくわからない。その塀の前には、どこにでもある、ごく普通の道路が、平行に走ってしまっていて。しかも、ビックリするくらい均等な感覚で、小学生が登校をしている通学路なのだ。刑務所の壁、通学路。平行な人。私は、最高に驚きを感じ。率直に感激してしまった。
まったく、それは、ぞくぞくする浮世絵の構図や、写真のシャッターチャンスみたいに、延々と続いていて、実際問題、ここに、コウコウと登校している、尊敬すべき現代の人々の原風景になるのだから。
私は小学生の登校が終わるまで、すっかり見入ってしまい。しばらく動けなかった。あまりに、それは前衛的だった。もうしません。ごめんなさい。ごめん、ごめん、メンゴメンゴ。まあ、悪気はないんようって感じ。それが、一時間も続いた。あー考えられへん。
そして、私は、大きな体を起こし、帰ることにした。そして、帰りながら考えている。
刑務所の囚人が持っている権利はなんだろうか。
ご飯が、3食、おいしいものが、食べられる。
適度な運動が、できる。
難しい小説を、ゆっくり読める。
歴史や、法律の勉強もできる。
労働は、8時間、休日も多いだろう。
しかも、罪を償うという自己目標まである。
ただ、まわりは、くそったればかり
だが、よく見ると、世の中、すべて『くそったれ』だからなあ。
今の私は、ゆっくりと豚の角煮も食えないし、
サッカーもできない。死ぬまで、
ドストエフスキーも、 一生読めないだろう。
労働は続く。生きる目標はない。
すべての罪をしょいこんで、50年も後、生きる。
わたしは、何故か刑務所の壁の帰り道、朝方から、無償に腹がたってきている。
第一に、私には、雲を見る権利すらないではないか。
あれほど子供のころから、雲ばかり見てきたというのに。
不誠実な人々よ、実に時間。そそぎたいほと、まさしくして。
衣食住、どれをとっても、ハナタレ坊主なほど、ましなもんか。
私は、家まで、しっかりした足どりで、帰った。私は、歯磨きをして、顔を洗って、ベットで寝た。とても、疲れていた。
シーツは不愉快なほど、湿気を含んでいた。私は、遠ざかる浮き世の中で、刑務所のシーツも、湿気でいっぱいなのかなあと考え。眠りについた。
ああ、私には、洗いたてのシーツで眠る権利すらないのか。
翌日、私は、退職をねがいでた。やめた。
理由はなんだろうか。なんでもいい。
特に、思いつきもしない。
退屈だから、そこまで人間ができていないから、
やりたいことがあるから。
上司がいやだから、会社がいやだから、
経営陣がきらいだから。
どれもしっくりこない。どれも漠然としている。
しいて言うなら、シーツを、ほしたかったから。
これが、一番しっくりくる。
私は、なんという、ふしだらな人間だろうが。
しかし、私は自分自身を敬愛している。
泣き言は、いいますまい。
その晩、私は銭湯へ行った。
細い入口へ、入ると、番台におばちゃんが立っている。おばちゃんは、何も考えてない。私は、3百50円払って、中へ入った。昔ながらの、銭湯で私は、大好きだ。靴を木製の箱に入れ、風呂へ向かう。早く現世の罪を、洗い落とさなければ。と、くだらなく、思った。
銭湯へ入ると、目の前には、赤富士が蒸気の中より、描かれている。いわゆる銭湯絵と
いうやつだ。湯気でいたむため、定期的に描き直すらしい。私は以前より、その絵が、好きでたまらない。
なぜなら、その赤色の、山々と対象的に、なんでもない山の緑が、私の中にあると意識するからだ。私は体を洗った。銭湯の湯気が、私の体を包んで、私の中の人間性を取り戻していくのが、理解できる。私は、体をかなり念入りに、適度なスピードで洗い終わると。
手早くは、お湯に入った。
すると、目の前に、でっぷりとした腹のおっさんが、髪を洗いに入ってきた。背中には大きな歌舞伎者の刺青を背負っている。浮世絵をベースにしたものだ。赤富士に向かって、体を洗うおっさんの背中を私は、じっと見ている。じっくりと、換気のきかない風呂場の中で、歌舞伎者は、赤富士をバックに、みごとな、にらみをきかす。天下一の、おお、か-ぶ-き-だ。私は、その構図の美しさに魅了されている。おっさんの子分のようなやつが、ヘイヘイと変な声をだし、いろいろパシリをしているのは、あまり風流ではなかったが。それぐらいは、よしと、しよう。しかし、しばらくすると、おっさんは、たちまち、サウナ室へ消えていった。子分は、しばらくすると、おっさんは、たちまち、サウナ室へ消えていった。子分は、相変わらず、床に水をまき、おっさんが、歩むべき道をきれいにしている。
私は、歌舞伎者の、にらみがきかなくなった赤富士を見ていた。なにか、なにか、私は、昔の人になってしまった。なんだか不思議な気持ちだった。
風呂から、出てくると、ガキが、お客さんとしゃべっている。
ガキはフリチンで、プロ野球のイチローのマネや、松井秀樹のモノマネをしている。よく特徴をとらえていると思う。きっと野球少年だろう。フリチンの滑稽さもあり、みんな、冗談をいいながら、何度も、リクエストしている。私は、すっかり、彼のモノマネにはまっていた。
この場にいて、シンプルに幸せだった。着替えながら、少年のチンチンがフリフリするのを、何度も声に出して笑った。
ドアが開き、刺青のおっさんが、出てくる。少年に声をかける。どうやら親子のようだ。一瞬まわりに、いやな空気ができ、笑いが、少し引きつる。少年は、少し笑っておっさんと、しゃべっている。みんな、ゆっくりと着替えを進める。少し、上がりすぎたテンションが普通に戻っていく。
少年は、着替える前にもう一回、モノマネをやりたそうにしている。私は、無性に、リクエストをしたくなった。我慢は体に悪い。
『最後に、イチロー、もっかいやって。』
と私は、言った。少年はうれしそうにバッターボックスに入る前からの、一連の動作を、すべてやってくれた。
着替え室は、おっさんが、戻ってくる前の空気に変わり、笑い声に包まれる。
拍手、や、ガヤが入る。悲鳴に似た笑いがおこる。おっさんが、休憩室に響く声で、
『おまえは、あほか』
と関西風にツッコンダ。着替え室は、もう、笑うことが許されたみたいに、もう一度、大きな笑いに、包まれた。
私は、体中の水分をしっかりとふきとり、髪の毛を乾かした。私は、コーヒー牛乳を飲んでいる。コーヒーの香りが唇にこびりついている。髪の毛の生えぎわが、キンキンしてくる。私の体は、パイナップルみたいに、真中が空洞になっていて、そこをコーヒー牛乳が流れていく。
さあ、家にかえって寝よう。私は、テレビをつける。テレビで戦争をしている。私は、うとうとと、意識が、うつろになっていく。あーネムイ。
テレビでは、裸で、頭に紙袋をかぶった人の集団が、反戦運動をしている。『イラクの刑務所で、紙袋をかぶらされた囚人』のモチーフだろう。これは、本当のテレビ映像だろうか。よくわからない。私の夢たろうか。場所はどこだろう。アメリカだろうか。イラクだろうか?ヨーロッパだろうか。紙袋の囚人が、カメラに向かって、握りこぶしをあげた。
パンパン。パン。異人さんは悪者。
握りコブシがあがる、パレスチナに。
イスラーム的生活、ショウアップされたニュース。
戦争がなくなるのが先か、石油が先に枯れはてるか。
みんな、賭けようぜ。
みんな、関係ないと、カフェや、ワインを。
。
世界中で飲み干している。自分のもの。
あれやらこれやら、わたしのものだと。
支配欲や、物欲、情緒不安定な
やめてしまおう。自分が、支配すべきものはなにか。
さっぱりわからない。どうせ眠たいだけだ。
すべて、明日考えよう。
すべてが悪い方向に進んでいるとしても。
悲しいかな、朝、出勤時間に起きた。サラリーマンの悲しい習慣だろう。特に、何の感情もなかった。こんなもんだろう。でも、私は、確かに、無職になってしまった。将来、どうするのだろう。何のとりえもなく、こんな年に、なってしまった。ただ、野垂れ死んでも、戦争でブッシュに殺されるよりましか。
私は、今日一日は掃除に、費やそうと考えた。まず、洗濯機をブゥンブゥン、まわした。シーツも、もちろん、洗濯機に入れた。次にたまりにたまった、食器を洗った。食器用洗剤も使った。しっかりと水気をふきとって、食器棚にいれた。タンクもピカピカにした。皿や、食器も、大きさごとに分けて整理したし。べとべとに汚れたコンロの汚れも落とした。風呂場やトイレもブラシでこすったし、換気扇も椅子にのってふいた。掃除機もかけた、すぐほこりで、いっぱいになったので、窓をあけて、空気を入れ換えた。雑巾をしぼって、床をふいた。雑巾はすぐ真っ黒になったので、よく何度も洗った。テレビやビデオ、テーブルについたほこりも、ふきとった。ゴミもしっかり分別して、一階の、ごみ捨て場に何往復もした。内容物ごとに、分けて出した。ああこうやって、失った物ばかりでなく、得るものもあるんだと感じた。洗濯機の洗い終わった音がする。私はパンツやT シャツ、シーツを洗い物かごにいれて、ベランダに向かう。
私は少し震えるヒザを、ぐっとベランダの上にあげ、きっぱりと、梅雨明けした、水性ペンのブルーの空にシーツを大きく、おろした。シーツを下界までかかげ、あの下で、小市民は労働に明け暮れている。真っ白のシーツが、青に映える。乾いた空気が、
シーツをひるがえしていく。
ベランダの景色の向こうには、3食昼寝つきの、主婦たちが、緑色の団地から、いっせいにシーツを掲げる。
あちらの世界から帰ってきた人々は、こちらのシーツの上で、心地よい眠りにあけくれるだろう。すっかり、梅雨は、あけたんだ。今、私は、すこぶる、清潔な気分だ。
スクランブル交差点で、僕は、ティッシュ配りをしている。交差点では、青信号になると、あまり受け取ってもらえない。青信号は、皆、急いでいる。信号が赤になると、僕はティッシュを笑顔で配る。なんとなく、みんな受け取ってくれる。人間は、止まらざるえない時も、あるのだ。早く、配り終えて、家に帰って、ビデオでも見ながらアイスを食いたい。
信号が、赤くなった。さあ、ティッシュを配ろう。
軍国主義関係の黒塗りの車が交差点に入ってくる。大音量のボリュームで軍歌をながす。軍歌は、車が近づくにつれて、やかましくなってくる。軍歌は私たちの日常を決して、壊さない。21世紀のメディアが、でっち上げた、社会、常識は、大音量の軍歌では、ゆがみさえしない。
僕は、ティッシュを女性会社員に渡す。百貨店の前では、恵まれない国の孤児を救う、募金運動をしている。
恵まれない国?恵まれない人?
僕は、ティッシュを女子高生に、ワタス。この女子高生は恵まれているのかしらん。共産党の議員や自民党議員が演説をしている。ばらばらの文章。いっている意味がよくわからない。
僕は、ティッシュを主婦にワタス。主婦はうれしそうにティッシュを受けとる。
キリストのカッコをしたおじいちゃんが、大きな声で、偽キリスト教を布教している。白髪の長いひげを蓄えている。右手には、赤色メタリックのカセットデッキを持っていて、マイクとつながっている。
『神は、もうすでに、、死んだ。しかし、キリストは、復活するであろう。そして、君たちの罪を、あらい流して、くれるだろう。今こそ、われわれは、目覚めなければならない。神は、けっして、許しはしない。』
とキリストじいさんは、絶叫している。
横断歩道の真中には、信号の変わり際で、身動きがとれなくなったベンツに乗って、目の前に存在している。お経をあげにいくのだろう。袈裟をつけている。僕は、死んだって、おんな坊主に、お経をおげてほしくない。マンション屋上の貯水槽から太陽が、光を放つ。
ニコニコしている、私の背中に、情のひかりがぬきんでる。
今ここで、最高にくだらない反戦テロが、おこるとしたら。
僕は、なんも、感じない。薄っぺらい思想。
『すでに、あらゆる思想は、死んだ』僕は、交差点を見ている。
ひとりの男がスクランブル交差点の真中で、
白いシーツを体中に巻つけている。
よく見るとシーツの下は裸で、
多くの字のようなものが、黒墨で描かれている。
顔には、油絵の具で、朱、藍、で螺旋を描いていて
まるで、『かぶき者』のようだ。背中には真っ赤な一文字で戦争で
戦争放棄の文字を背負っている。
その男は、こう思っている。
わたしは、今まで、すべてのことを、拒否してきたが。
すべてを抱きしめるべき、いいとか、わるいとか。
すべてのが、しばし、わたしの胸をうとう。
わたしは久々の、解放感の中にいる。
東の、雲のスキマより、太陽があがるから。
深緑のテッペンより、桃色のシズクが
泣き出した水に、かなずちあい。
短く生えソロッタこけが、
土色のガラスへ灯りをつける
木の樹脂の臭みに、鼻骨がしなり、、
枯葉が腐りあって、ソウリンとなる。
今、わたしの中で、すべての森と、日本の島々が
不平等な微少を、いまだに、誘おう。
わたしは、まだ、自意識の中に、ただ漠然と息をしている。
そして、今、わたしの自意識が、過剰していく。
読んで下さってありがとう。広島時代をベースにしています。