1-2 ティータイム
マリー・テレーズは午後のティータイムが大好きなことで有名だ。お気に入りの繊細な食器たちで高級なお菓子と高級な紅茶を嗜むその時間を、テレーズは毎日心待ちにしている。だからもしその時間を他人が壊すことがあろうならテレーズの怒りを買い、使用人たちは路頭に迷うのだ。テレーズのその時間を何事もなく終わらせるために、毎日みな四苦八苦していた。
今日もいつもと変わらずテレーズのティータイムが始まる。周りには数人の使用人たちが取り巻いていて、彼女が紅茶を飲み終われば継ぎ足しを、お菓子がなくなれば追加をと忙しく給仕している。
使用人たちはみな一様にきびきびと動き、熟練さを窺えるがひとりだけ動きが鈍く要領の悪そうな小柄な少女がいた。ロベール・レアだ。俯きがちな視線ときつく結ばれた口元から、この高い仕事に慣れていないことがひしひしと伝わる。
――失敗しないように、上手くやらないと
自分のスカートをぎゅっと握り締め唇を固くむすぶ。
――今日は失敗しないようにしないと。テレーズさまのお食事が終わったら、お皿とカップを少しずつ運んで、厨房に持っていって、それからテーブルクロスを変えて……
レアはこれからの仕事をイメージトレーニングし、なんとかテレーズの機嫌を損ねないようにしようとしていた。
紅茶を一口飲んだテレーズがふっと顔をあげ、彼女に命じる。
「もういいわ。下げて」
「はいっ」
上ずった声でレアは返事をし、カップと皿を一つずつ手にとってトレイに載せる。すべて載せ終わると慎重に持ち上げ厨房に向かって歩き始めた。
テレーズに背を向け歩き始めたところで、レアはほっと息をついた。後はこれをそのまま運ぶだけ。慎重にいけば絶対大丈夫……大丈夫。
彼女は自分に暗示をかけるように胸のうちでつぶやいて真剣に食器を運んでいた。だが、後方で聞こえたテレーズの冷ややかな声に集中力が途切れ、足が止まる。
「これは今までと違う紅茶よね?」
「はい。新しく取り寄せたアールグレイです……お気に召しませんでしたか?」
テレーズのすぐ傍にいたメイドがおそるおそる返答する。すっかりおびえきった彼女にテレーズは冷たく言い放った。
「全然だめ。前の紅茶と比べものにならないわ。質の悪い紅茶に代えたでしょう?」
「確かに質は少し落としました……でもほんの少しだけですし、お菓子と紅茶代に使えるお金もうほとんどありません」
「じゃあ、お父さまの金庫にあるお金を使えばいいでしょ」
「でっでも、あれはこの前みんなから国のために集めた大事なお金で」
「関係ないわ。私はおいしい紅茶が飲みたいの。いちいち口答えしないで。もういいわ、あなた明日から来なくていいから」
それまでおびえきっていたメイドが一転して動揺し、テレーズに詰め寄る。
「いままでのものに戻しますから。くびにしないでください」
「いやよ」
ぴしゃりと言いテレーズは背を向けた。そのまま自室に戻ろうとする彼女に、トレイを持ったまま状況を見ていた少女が後ろから声をかける。
「待ってください!」
テレーズは振り向くと声の主を確認する。それがレアだと分かると、テレーズの顔は疎ましげにゆがめられた。
「なに?レア」
「あの、辞めさせないであげてください。彼女弟たちの面倒みなくちゃいけないし、仕事なくなっちゃうと生活していけないんです。だ、だからお願いします」
緊張のあまり声は上ずり、言葉はつっかえてしまう。だが怯えて口をつぐんでしまうことはなく、懇願し頭を垂れた。しかしテレーズはレアを一瞥すると再び背を向け歩き始めた。
「テレーズさま!」
レアがテレーズのもとに駆け寄ろうと足を踏み出す。そばには机が置いてあり彼女はそれをよけて通らなければならなかった。だがくびを取り消してもらうことで頭がいっぱいだったレアはそれが置いてあることがまるで目に入っていなかった。机の脚に自分の足をひっかけバランスを崩す。
――転ぶ
そう思った時にはすでにレアの体は傾き、彼女は勢いよく転倒した。持ったままだったトレイから食器が落下し、乾いた音を立てて繊細な陶器が割れていく。さあっとレアの顔から血の気が引いた。どうなることかと遠巻きに見ていた使用人たちも、顔を真っ青にしている。
今までこちらに冷たい視線を送っているだけだったテレーズが早足でレアの方に歩み寄る。助け起こすためではなかった。
「ロベール・レア!あなた食器割るのこれで何回目?いいかげんにして」
「申し訳ございません。すぐに片付けます」
「片付ければいいって話じゃないわ。あなたももう明日から来なくて結構よ」
「くびになったら次に働くところがないんです。次は失敗しないようにしますから」
「もううんざりよ。何をやらせてもとろいし要領は悪いくせに、口答えだけは一人前にして。あなた見てるといらいらするのよ。だからもういらないわ」
何も言い返せずうつむいたレアの瞳にうっすらと涙が滲む。
「姉さん、言いすぎだよ」
声がした。澄んでいて柔らかく、聞くものの心を自然と奪うような綺麗な声が響く。ルイ・シャルルだ。緋色の絨毯を敷いた階段をゆっくりと下りてくる。
「シャルルには関係のないことでしょう」
きっとテレーズがシャルルを睨む。
「関係なくはないよ。レアが辞めたら僕はすごく困る。チェスの相手がいなくなってしまう」
「相変わらず能天気ね。そんなんだから時期国王は威厳がないとか言われるのよ。使用人たちの味方のつもりかなんなのか知らないけど、奇麗事じゃ生きていけないわ」
「姉さん」
「なに?」
「気は済んだ?」
テレーズは言い返そうとして口を開いたが、弟のほんわかとした態度に毒気を抜かれたのか口を閉ざしてきびすを返した。
「もう、レアたちのことはいいよね?」
シャルルがテレーズの背に声をかける。彼女は何も言わずに場を立ち去った。
「シャルル、ありがと」
「また、食器割ったの?しょうがないね、レアは」
「うん……」
レアがしゅんと落ち込む。
「あの、ありがとうございました」
危うく暇を出されそうになったメイドが深々とシャルルに頭を下げた。手をひらりと振ってシャルルが応じる。
「いいよ、いいよ、もう行きな」
もう一度深く頭を下げメイドは自分の持ち場へと帰って行った。ぱたぱたと軽やかな足音を立てて彼女が遠ざかっていく。
「優しいね?シャルル」
シャルルの顔を下から見上げながら、笑ってレアがちゃかす。シャルルが呆れた視線をレアに投げかけた。
「さっきまで泣きそうになってた人がなに言ってんの」
「泣いてないよ!」
「泣いてはね。それよりレアはもう仕事終わった?」
「終わったよ」
「それじゃチェスやろうよ、レア」