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第10話「婚活という復讐」


 舞踏会の翌朝。


 書斎の窓から差し込む朝の光が、積み上げられた書類の山に長い影を落としていた。


 埃っぽい紙の匂い。古いインクの残り香。セレーナは机に向かい、フォルスター家の古い契約書や書簡を一枚ずつ捲っていた。


 ——あの男(ベルトラム)を潰す。そのために、まず敵を知らなきゃね。


 昨夜のイヤらしく下品な顔が脳裏にちらつく。あの太い指。薄汚れた笑み。腰に伸びてきた手。


 ——吐き気は後でいい。今は頭を使う時間。


 感情を棚に上げて、書類に集中する。

 

 フォルスター家とベルトラム・オーヴィル貴族院議長が交わした契約書。

 政治的な書簡。貴族間の婚姻に関する記録。


 膨大な量だったが、セレーナの目は的確に要点だけを拾っていく。


 一枚の書類に、目が止まった。


 ——ヴァレンシア家の長女とモンフォール家の次男。八年前に成婚。仲介者——ベルトラム・オーヴィル。


 次の書類。


 ——カースライル家の嫡男とリーゼンフェルト家の三女。六年前。仲介者——同じ名前

 さらに次。

 五年前。四年前。三年前。


 どの婚姻記録にも、ベルトラムの名前が影のように付きまとっている。


「……なるほどね」


 セレーナは椅子の背もたれに身を預け、天井を仰いだ。


 ——ベルトラム・オーヴィルの権力基盤。その正体は「政略結婚」だった。


 自分に従う貴族同士を結婚させ、血縁のネットワークを編む。

 味方の結束を固めると同時に、反対勢力が拡大するのを阻止する。


 ——手口は単純。でも効果的。


 セレーナはペンを取り、白紙に相関図を描き始めた。

 ベルトラムを中心に、婚姻で繋がった貴族たちの名前が蜘蛛の巣のように広がっていく。


 ペンが走るたびに、構図が見えてくる。


 ——バイオレットのグレイスフィールド家は、ベルトラムにとって最大の政敵。

 その影響力を削ぐために、フォルスター家のセレーナを使ってバイオレットを社交界で孤立させた。


 さらにアルトとバイオレットの縁談を潰し、アルトをフォルスター家——つまりベルトラムの勢力圏に取り込んだ。


 ——つまり、セレーナとアルトの婚約も、この構図の一つだった。


 ペンが止まった。



 ——待って。



 セレーナは書類の山から、別の一枚を引き抜いた。デュラハン家の財務報告。数字の羅列を指でなぞる。


 ——アルトの実家。デュラハン家の財政は——破産寸前。


 ここで、ピースが嵌まった。


 ——まさか、ベルトラムはこの事実を知らない。


 もし当初の計画通り、セレーナが悪役令嬢として破滅の道を辿ったとすれば——


 セレーナとアルトの婚姻したことで、デュラハン家の巻き添えを食って、フォレスター家も財政破綻で没落する。

 

 つまり——ベルトラムが駒として使っていた二つの大貴族が、婚姻をきっかけに同時に消える。


 ——大きな政治の駒が没落すれば、権力基盤そのものが崩壊する。

 黒幕のベルトラム自身が、自分の首を絞めることになる。

 まさか、これが……セバスチャンの計画だったの?


 この仮説が正しいとすれば、ベルトラムとセバスチャンは裏で敵対しているという構図が浮かび上がる。


「……皮肉なシナリオね」


 声に出して、苦く笑った。


 ——結局、悪役令嬢セレーナは、家族の犠牲として扱われ、ベルトラムの駒として生き、最後はすべてを背負って破滅する。


 そしてその破滅が、黒幕の足元すら崩す。


 ——冗談じゃない。そんな運命、誰が受け入れるものですか。


 セレーナは無意識に拳を握り込んでいた。

 窓の外を見た。青い空が広がっている。冷たい風が庭園の木々を揺らしていた。


 ——私がセレーナとしてここにいるのには、何か意味があるはず。

 この運命を変える方法を見つけるのよ——。


 だが、ベルトラムの権力基盤を崩す具体的な策が浮かばない。政治的な影響力が必要だ。しかしフォルスター家の令嬢に過ぎないセレーナには、それがない。


 ——正面から戦えば潰される。

 別の角度から——攻めるにはどうすればいい。


 思考が堂々巡りを始めたとき、軽いノックの音がした。



   * * *



「お嬢様、お疲れでしょう。お茶をお持ちしました」


 アリサが紅茶のトレイを手に、書斎に入ってきた。明るい声。無邪気な笑顔。

 この子の存在は、ドス黒い貴族社会の中で数少ない清涼剤だった。


「ありがとう、アリサ」


 微笑みながらカップを受け取った。口に含む。温かく、ほのかに花の香りがする。


 ——さらに上手に淹れるようになったわね。


「お嬢様、最近はとてもお忙しそうですね。どうかあまり無理をなさらないでください。私に少しでもお手伝いできることがあれば……」


 アリサが心配そうに、セレーナのそばでそわそわしている。


「アリサ、ありがとう。でも、こればかりはあなたに手伝ってもらうことはできないの」


「……すみません。私はお嬢様のように頭が良くないので、お役に立てませんよね」


 しゅんと肩を落とすアリサの姿に、セレーナは思わず笑みがこぼれた。


 ——いいえ。あなたは頭は悪くない。

 むしろ——いや、今はいいか。


「あら、私はあなたほど上手にお茶を淹れられなくてよ?」


 アリサの顔がぱっと明るくなった。頬を赤くして、にぱぁと笑う。


「あの! もっとお紅茶お持ちしましょうか?!」

「そういう意味じゃなくてね……」


 ——この子は本当に純粋で真っ直ぐ。

 こんな性格で、よくこの世界を生きてこられたものね。


 ふと、思考が動いた。


 ——純粋で、真っ直ぐで、裏表がない。

 ……バイオレットも同じタイプよね。


 そしてベルトラムのような人間にとって、最も制御しにくいのは——こういう人間だ。打算がないから、打算で操れない。


 ——待って。


 セレーナは相関図に目を戻した。ベルトラムの蜘蛛の巣。婚姻で編まれたネットワーク。


 ——彼は「結婚」を使って権力を組み立てた。つまるところ、貴族の結婚コーディネーター。


 ——ということは。


 心臓が跳ねた。


 ——逆に「結婚」を使って、この構造を壊せるんじゃない?


 ベルトラムが組んだマッチングの裏には、必ず「思惑の一致」がある。利害関係が噛み合うから結婚させた。


 ——その利害関係を「別の組み合わせ」で上書きすれば?


 ベルトラムの同盟関係を分断する婚姻。

 政敵同士を繋ぐ婚姻。彼の勢力図を根底から塗り替える——「逆マッチング」。


 ペンが走り始めた。蜘蛛の巣の上に、まったく別の線が引かれていく。


 ——前世、婚活カウンセラー・佐藤真奈美。成婚率100パーセント。


 数字だけなら、完璧だった。


 ——でも私は、その数字の裏で顧客を不幸にした。

 

 それが——殺された理由。


 この世界で覚醒した「青い瞳」は、嘘を見抜く。

 つなり、相手の本心が見える。

 本音で結婚したい相手は誰か。

 偽りの笑顔の裏に何が隠れているのか——すべてが、わかる。


 ——前世ではできなかったこと。


 本音の婚姻で、顧客を本当の幸せへ導く。


 ——これだ。


 これが、やり残したこと。

 私にしかできないこと。


 この世界で——やってやる。


 セレーナの頭の中で、前世の記憶が急速に回転し始める。



「お嬢様……? どうかなさいましたか?」


 アリサが不安そうに覗き込んでいる。セレーナがいつの間にか、猛然とペンを走らせていたからだ。


「ありがとう、アリサ。おかげでいい考えが浮かんだわ」

「え? わ、私がですか? それなら良かったです!」


 アリサが嬉しそうに笑顔を浮かべた。何が「おかげ」なのかまるでわかっていないのが、この子らしい。


 セレーナは立ち上がり、相関図を見下ろした。ベルトラムの蜘蛛の巣の上に、新しい線が何本も走っている。彼の構図を壊すための、まったく別の組み合わせ。


 ——婚活カウンセラーの私が、貴族社会の権力相関図を、書き換える。


 口元が、自然と吊り上がった。


「……セレーナ婚活相談所——本日オープンね」


「お嬢様?? 婚活って何ですか?」


 アリサが目を丸くしている。セレーナは答えず、書斎の扉を開けた。廊下に朝の光が差し込んでいる。


「アリサ、これからバイオレットに会いに行くわ。馬車を呼んでちょうだい」


 ——まずは、最初のピースを動かす。


 次の一手が、もうセレーナの頭の中で動き始めていた。



(つづく)


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