築き上げた努力
カイゼルは努力していた。
朝は誰よりも早く起き、机に向かう。夜は灯りが消えるまで書物を閉じない。指先はインクで汚れ、紙の端は何度もめくられて擦り切れている。
政治、歴史、経済、外交、魔法理論。
理解できなければ繰り返す。覚えられなければ書き写す。
時間を積み上げれば、すべてをねじ伏せられると信じていた。
宰相家に生まれた。
将来は国を動かす側に立つ。
それは疑いようのない未来だった。
だから努力した。
誰にも何も言わせないために。
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だが、一つだけ。
どうにもならないものがあった。
魔力の才能。
幼い頃に受けた魔力審査。
水晶に手を触れた時、風がわずかに揺れただけだった。
風魔法、一属性。
それ以上は何も起きなかった。
貴族は二属性が当たり前。
それが前提の世界で、一つしか持たないという事実は、どれだけ努力しても覆らない。
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婚約者は、それをよく知っていた。
「カイゼル、あなた、風魔法しか使えないんですって?」
紅茶を傾けながら、楽しそうに言う。
「私は四属性も使えるのに?」
カイゼルは答えなかった。
テーブルの下で、手を強く握る。
「何か言ったらどう?つまらないわね」
「風魔法の制御なら負けない。君は先日、魔力暴走を起こしたと聞いたぞ」
一瞬、空気が止まる。
だがすぐに、軽い笑い声が返る。
「ふん。四属性で高魔力な私が特別なだけ。少しくらいの失敗で騒ぐなんて、小さい男」
周囲の視線がわずかに動く。
侍女や護衛も何も言わない。
それでも、空気は変わっていた。
カイゼルはそれ以上言わなかった。
確実に言えることは、カイゼルは、この婚約者が大嫌いだった。
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やがて魔法学院に入る。
石造りの廊下。高い天井。足音が静かに響く。
その中で、一人の少女と出会った。
「勉強ばかりで世間を知らないなんて、真の政治家になれないわ」
振り返る。
まっすぐな視線だった。
「そうかもな」
自然と、否定は出なかった。
少女は少し驚いたように目を細め、それから小さく笑った。
「あなたの努力は認める。でもね、方向が違うの」
「方向?」
「人は理屈では動かない。最後に動くのは感情よ」
廊下の窓から光が差し込む。
少女の横顔が白く浮かぶ。
「カイゼルは正しい。でも、それだけじゃ足りないの」
その言葉が、頭に残った。
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それから何度か言葉を交わすようになった。
短い会話。
すれ違いざまの一言。
それだけで十分だった。
気付けば、探していた。
姿を。
声を。
言葉を。
そして、それが恋だと理解した。
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だが現実は変わらない。
風魔法一属性。
宰相家の嫡男。
四属性を持つ婚約者との結婚は、必要なものだった。
この婚約を破棄する事は出来ない。
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二人は、少しずつ疲れていった。
言葉が減る。
視線が合わなくなる。
未来の話をしなくなる。
「今世で結ばれなくても、来世で結ばれるかも」
少女がぽつりと言った。
風が吹く。
髪がわずかに揺れる。
カイゼルは笑った。
力のない笑みだった。
「行くかい?」
わずかな間。
「来世に」
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夜。
月明かりが水面を照らしていた。
池は静かで、風もない。
水面は鏡のように光を返し、周囲の木々が黒く沈んでいる。
二人は何も言わなかった。
ロープを取り出す。
互いの腰に巻く。
結び目を確かめる。
外れないように、強く締める。
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少女が一歩踏み出す。
「最後くらい、踊りましょうか」
冗談のように言う。
カイゼルは少しだけ目を細め、それから頷いた。
手を取る。
指が触れる。
冷たい。
抱き寄せる。
ぎこちない動き。
それでも形を保つ。
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水に足を入れる。
冷たい。
足首。
膝。
腰。
布が重くなる。
水が絡みつく。
それでも、手は離さない。
お互いリズムをとりながら揺れる。
顔が近い。
息がかかる。
二人とも笑っていた。
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そのまま、沈んでいく。
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二人の遺体は、二日後に見つかった。
池のほとり。
水に濡れた服が重く貼り付き、指先は固く絡まったまま。
離れないように結ばれたロープだけが、
最後まで、二人を繋いでいた。
築き上げた努力は泡と消えた。
この短編は、乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜の中に出てくるゲームの内容です。




