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邪竜の私ですが、討伐に来たはずの王子がなぜか私を守ると言い出しました  作者: 臼田ゆわ


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第9話 邪竜のいない洞窟

 崩れた岩の隙間を縫うように、黒衣の男たちは洞窟の奥へと進んでいた。

 足元では、地面に突き刺さった魔具が赤黒く脈打っている。

 その光に呼応するように、男たちの手にした魔具もまた、低く唸るような音を立てて明滅していた。


 ひび割れた岩肌と崩れ落ちた天井に、龍脈から漂う魔力。

 つい先ほどまで、ここに巨大な竜がいたのだと分かる痕跡は十分にある。

 けれど肝心の“邪竜”だけが、綺麗に消えていた。


「どうやら……邪竜はここにいないようです」


 囁くような報告に、先頭の男はわずかに口元を歪めた。


「魔具が効いたか」

「はっ。龍脈の乱れに耐えられずに逃げた可能性が高いかと」

「ならば結構――」


 男はしゃがみ込み、手元の魔具へと視線を下ろす。

 楔のように尖った魔具は脈打つ龍脈の光を吸い上げるように、薄っすらと光を増している。


「邪竜自体はどうでもいい。この場所さえ押さえられれば構わぬ」


 低い声には、わずかな歓喜すらない。

 ただ予定の工程を確認するだけの、冷えきった響きだけがあった。


「計画通りだ。閣下に報告しろ」

「はっ」

「洞窟はこのまま公国が押さえる。王国の連中は近づけるな」


 男たちは素早く頷き、再び闇の中へ散っていく。

 洞窟の奥では、龍脈がまるで息をするように不気味な明滅を繰り返していた。



 ***



 アストレイド王国の来賓室には、紙をめくる乾いた音だけが落ちていた。


 窓辺から差し込む朝の光は明るいのに、部屋は妙に静かで温かみを感じない。

 机の上には、先ほど届けられたばかりの報告書が数枚。

 エーデルシュタイン公国の大臣であるグスタフはその一枚一枚へ静かに目を通していた。


 邪竜不在。

 洞窟内部、占拠完了。


 そこで、扉が勢いよく開いた。


「グスタフ! どういうことだ――邪竜が、姿を消したとは!」


 飛び込んできたユリアンの声だけが、この部屋ではひどく若く響いた。


 グスタフは報告書から顔を上げる。

 その表情に驚きはない。むしろ、予想の範囲内だと言わんばかりに落ち着いている。


「ユリアン王子、お静かに。機密に関わる話でございます」

「そんなことを言っている場合か! 邪竜が消えたのだぞ!?」


 ユリアンは机に歩み寄った。

 顔色は悪く、息も少しうわずっている。

 それも当然だ――。

 エーデルシュタイン公国に大きな被害をもたらしたとされる邪竜が、討伐の目前で姿を消したのだから。


「まさか、公国へ報復に向かったのでは……」

「それはありません」


 あまりにも即座に返されて、ユリアンは言葉に詰まった。


「なぜ、そう言い切れる?」

「既にエーデルシュタイン公国に確認をしております。本国への攻撃の兆候はございません」

「しかし、それでも……!」

 ユリアンは納得しきれないように食い下がる。


 邪竜が消えたというのは本来なら、もっと混乱を招く報告のはずだ。

 なのにグスタフは落ち着き払っていて、まるで最初からその可能性を見越していたかのように話している。それがユリアンの心をかき乱しているのだろう。


「とにかく、今すぐシグルド王子と連携して洞窟へ向かうべきだ!」

 ユリアンは勢いに任せ、机へと身を乗り出した。

「邪竜がいないならなおさら、何が起きたのか確かめなければ――」


「その必要はございません」


 低く、よく通る声だった。場を沈めるかのような一石のような言葉。

 怒鳴ったわけではない。むしろユリアンへの敬意を感じさせる柔らかさすら感じれる。

 だが落ち着き払うグスタフの返事にユリアンの勢いが削がれた。


 グスタフは椅子から立ち上がりもせず、机上の報告書を一枚ユリアンへと渡す。


「すでに洞窟周辺は我が公国軍が封鎖しております」

「封鎖……?」

「はい。邪竜が再び戻る可能性もある以上、周辺一帯を危険区域として扱うのは当然かと」


 言っていることは、理屈としては間違っていない。

 公国は被害を受けた側だ。洞窟を抑え、再被害を防ぐのは当然の判断にも聞こえる。


「だが、それならなおさらアストレイド王国とも協力して――」

「もちろん、同盟国たるアストレイドには追って正式に共有いたしますとも」


 グスタフはそこで初めて薄く笑みを見せる。


「ですが、被害国はあくまで我がエーデルシュタイン公国です」

「……」

「現場の主導権を、まず我々が握るのは当然でしょう」


 グスタフの発言は、理屈だけを並べればその通りだった。


 公国は邪竜の被害を受けた。一方でアストレイド王国は同盟国ではあるが、当事者ではないのだ。

 ならば現場を押さえるのはエーデルシュタイン公国が主導すべきという意見は一見して正しく聞こえるだろう。


 だが、ユリアン王子はその言葉の違和感に悩ましい顔を浮かべていた。

 何かが変だと感じて入るのだろうが、自分よりも場数を踏んでいるグスタフの対応に言い返す術が見つからないようだった。


「お前の言い分は分かった。では、シグルド様にはもう報告を?」

 かろうじて絞り出した問いに、グスタフはわずかに目を細めた。


「問題ございません。アストレイド王国側にも追って伝わるでしょう。今は混乱の収拾が先です」

「だが、シグルド様はこの件の責任者でもある。彼を蔑ろにしては――」

「責任者、ですか」


 グスタフは考え込むように手を顎に当てる。


「シグルド殿下は確かに討伐の先頭に立たれました。ですが、だからこそ今はお休みいただくべきでは?」

「何を……」

「邪竜の姿が消えた以上、この先はより不安定な状況が予想されます。これ以上、シグルド様に無用な負担を負わせるわけにもまいりますまい」


 ユリアンは顔を曇らせる。

 憧れ慕っているシグルド王子に黙ったまま話を進めようとしているグスタフの行為に思うところがあるのだろう。しかし、一方でエーデルシュタイン公国の王子としては自国主体での調査に妥当性があるとも感じているように見える。


「……分かった」

 ユリアンは小さく頷いた。


「だが、進展があれば必ず私にも報告してくれ」

「無論にございます、ユリアン王子」


 その返答はあまりにも滑らかな言葉だった。

 まるで目の前の虫を手で払うか如く、意思の感じられない無機質な言葉。

 だが、ユリアンは言葉を飲み込んだかのようにグスタフを見つめている。


「――失礼する」


 ユリアンは踵を返し部屋を後にした。

 扉が閉まる音を聞き届けながら、グスタフはしばし無言で机上の報告書を見つめていた。

 ユリアンの熱っぽい言葉の残り香を咀嚼するか如く物思いにふけっていた彼は小さくため息をつく。


「……やはり、まだ甘いな」


 ユリアンと入れ替わるように来賓室のもとへに黒衣の男が現れる。

 

「閣下――」

「お前か、進捗はどうだ?」

 グスタフは先程までとは違った冷たい表情と声のトーンで黒衣の男に話しかける。


「洞窟内部の封鎖、完了しております」

「王国側は?」

「予定通り、危険を理由に外しております」

「よろしい」


 グスタフはようやく椅子から立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。

 朝の光の向こうに見えるアストレイド王都は、まだ平穏そのものだ。

 市場も、街道も、王都のすべてが何も知らない平和を享受している。


「邪竜のことは放っておけ、あの龍脈さえ押さえればこちらの勝ちだ」


「はっ」

「洞窟深部の調整を急がせろ。例の魔具も怠るな」

「すでに着手しております」

「よろしい。エーデルシュタイン公国も龍脈の加護に預かるとしよう――」


 グスタフの顔が窓ガラスに反射する。

 平和な町並みとは打って変わって、その表情は不穏な空気を感じさせるものだった。

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