第8話 離宮
月夜に照らされた夜空を、私は王子を乗せて羽ばたいていた。
背に人を乗せて飛ぶなんて、普通なら落ち着かないはずなのに。
なのに、不思議と嫌ではなかった。
どこか遠い昔にも、こんなふうに誰かを背に乗せて空を駆けたことがあるような――
そんな、ありもしない記憶が胸の奥をかすめる。
眼下には、アストレイド王国の灯がちらちらと揺れている。
一つ一つは小さいのに、集まるとやけに眩しい。
こうして見ると、人間って本当にたくさんいるんだなあ、と場違いなことを考えてしまった。
そのまま山手へ向かうと、王宮からも王都からも離れた場所に、城壁に囲われた離宮が見えてくる。
庭園と石造りの回廊に彩られた建物は立派なのに、妙に人の気配がない。華やかというより、ひっそりと閉ざされた美しさを持つ場所だった。
しかも、近づくにつれて龍脈の気配が確かに濃くなる。
それだけで、少しだけ張りつめていた息が緩んだ。
「リィネ、あそこだ」
王子が指さした先、離宮の上部には大きく口を開けた天窓があった。
私はそこへ滑り込むように翼を広げ、静かな離宮の中へと降り立った。
***
「ここが……離宮?」
たどり着いたのは、大きな石柱に支えられた広間だった。
石造りの床も壁もひんやりとしていて、やたらと広い。
洞窟とはまるで違うのに、しんと静まり返っているせいか、余計に落ち着かない。
幸い、人の気配は感じなかった。
それどころか、しばらく使われていないのか、誰かがここで暮らしていた痕跡すら薄い。
……綺麗な場所ではある。
でも、寝転がったら間違いなく岩肌の方が落ち着く。
人間って、なんでこんなつるつるした床で平気なんだろう。
「あぁ、ここは使われていない場所だから安心してくれ」
シグルド王子は私の背から降りると、広間を見回してから言った。
「この広間は星詠のために造られた場所でな。天井が開いているのもそのためだ」
なるほど。
人間は龍脈みたいな魔力の流れをうまく扱えないから、星を読んで吉凶を占う――と、前にフェン様が言っていたっけ。でも、この王子は竜の加護のせいか、龍脈の気配にも少しばかり敏いらしい。
だからこの場所を管理していたのかもしれない。
フェン様もひょいと飛び降り、鼻を鳴らした。
「ふん、確かに人の気配は無いみたいやけど、こんな立派な建物が無人っちゅうのは怪しいんとちゃうか?」
「確かに立派な離宮だが、王が勝手に作った場所でな……今しばらくは使う予定も無い」
シグルド王子は少しだけ複雑そうな顔をしたが、そこに嫌な色はなかった。
「だから私が管理を引き受け、この広間も作り、祈りの場として使っていた。実質的に私の部屋のようなものだ」
「人払いは私の管理で行うから安心してくれ。それで、リィネの方はどうだ?」
シグルド王子は視線をこちらに向ける。
私を見つめる蒼い瞳は、私の体調を心配しているためか少し揺らいでいた。
「……たしかにここには龍脈が通っとる。どうや、リィネ?」
様子を伺いながらこちらを見上げるフェン様。
「うん、龍脈を感じるし洞窟のときより少し楽かも……?」
「そうか……ならば、良かった」
私の言葉を聞いて、少し安堵の表情を浮かべるシグルド王子はふぅと息をついたようだった。
王子の全身から感じ取れていた緊張感みたいなものが少し薄まったような感じに見て取れた。
「リィネ、今は休め。詳しい話はまた明日に改めよう」
シグルド王子は私とフェン様を見つめながらそう呟いたかと思うと
くるりと入口のほうへと振り返り、歩き始めた。
「……えっ? 私が言うのもなんだけど、見張りとかつけないの?」
思わず口をついて出た。
邪竜を離宮に招き入れておいて、何もせず帰るなんて、どう考えてもおかしい。
シグルド王子は足を止め、静かにこちらを振り返る。
「必要ない」
きっぱりと言い切ってから、蒼い瞳でまっすぐ私を見た。
「私を信用できないなら飛び去って構わない。
だが私は、君と話せることを願っている」
それだけ言うと、王子は今度こそ広間を後にした。
……どうやら、本当に嘘ではなかったらしい。
匿う気はあっても、鎖で繋ぐつもりはない。
ただし、もし私が王都に喧嘩でも売ろうものなら、魂の刻印を使ってでも止めるのだろう。
いや、それにしたって。
邪竜を招き入れて、拘束もせず帰る?
この王子様、すごいのか、それともやっぱり相当イカれてるのか、ちょっと分からない。
「……やっぱ、あの王子はんイカれとるのかもしらんな」
フェン様がぼそりと呟いた。
どうやら、同じ結論に辿り着いたのは私だけではなかったらしい。
***
王子のいなくなった部屋の中は静けさに包まれていた。
今までの狭かった洞窟とは違い広い天井は私が翼を伸ばしても遮ることがない。
フェン様はあたりをぐるっと見回ったのか、トコトコと歩きながら私の目の前に戻ってきた。
「どうやら確かに人はおらんみたいや。ま、兵がいてもウチが蹴散らしてやるつもりやったがな」
ニコリと笑いながらフェン様は自慢の牙を見せる。
割と静かにしていたと思ってたら、そんな怖いこと考えていたのかフェン様。
でも、それやらかしたら確実に王都と敵対してもっと大変なことになるとかは……考えてくれてたんだよね……?
「んで、どうや。ここの龍脈は? ウチはアンタほど龍脈に影響を受けへんからわからんのやけど」
「うん、ちゃんと龍脈は通ってる。ただ……」
「ただ?」
「洞窟より薄い、っていうのかな。
ちゃんと流れてるのは分かるんだけど、身体の奥まで満ちてこない感じがする」
フェン様がふむ、と鼻を鳴らした。
「場所が変わったばっかや。まだ馴染んでへんだけかもしれん」
「……だといいんだけど」
そう答えながらも、胸の奥には小さな引っかかりが残った。
洞窟の竜脈は、もっとこう、当たり前みたいに私の中へ流れ込んできていた気がする。
ここは少し楽だ。
でも、“これで大丈夫”とは、どうしても思えなかった。
「ま、とにかくや。ウチが見張っといたるからリィネは休んどき」
「えっ、でも…!」
「ええから、ウチは保護者なんやろ? 言う事聞かんかい」
消耗した私が心配なのだろう、フェン様はこちらを見据えたまま動かない。
こうなると、私が何を言っても無駄なのだ。今までの経験でよく分かっている。
でも、それがフェン様なりの優しさだということも、ちゃんと知っていた。だから少しこそばゆくて、少しだけ嬉しい。
「わかったよ、じゃあ少し休むね。おやすみフェンさま」
大きな翼をたたみ、広間の床に身を丸める。
洞窟の岩肌とは違う、ひんやりした石の感触が火照った身体に心地いい。
疲れ切った身体は、もう限界だった。
目を閉じると、意識はするりと闇に沈んでいく。
***
すぅすぅと寝息を立てるリィネを見つめながら、フェンは難しい顔をしていた。
「……こら、長くはもたんかもしれへんな」




