第6話 龍脈を蝕むもの
すっかり夜の更けた山肌に、黒衣の男たちの影が蠢いていた。
彼らは洞窟から少し離れた岩陰に身を潜め、
洞窟の入口付近に奇妙な魔具を打ち込んでいく。
それは大地に飲み込まれるように沈み込んでいく。
「設置完了しました」
報告を受けた男は、崖下に口を開く邪竜の洞窟を見下ろして薄く笑う。
「よし。これで邪竜も、あの洞窟にはいられまい」
「このまま仕留めるのですか?」
「焦るな」
男は冷たく言い捨てる。
「龍脈さえ奪えば邪竜もただの獣に過ぎぬ
あとは英雄殿にでも任せれば良い」
夜風に紛れるようにして、
一団は再び闇の中へ溶けていった。
***
「やだ……なにこれ。
すっごい気持ち悪いんだけど」
翼の先にうまく力が入らない。
立ち上がろうとしただけで、足元がふらついた。
「リィネ、無理すんな」
フェン様の声が、いつになく真剣だった。
「よう分からんけど……外から、妙なもんが入り込んどるな」
「外から……?」
「せや。
誰かが龍脈の流れに細工しとるみたいや。
でも、そんなこと人間如きにできるはずが……」
フェン様は原因がわからないといったように、低く唸りながら頭をひねる。
「それって……私を狙ってるってこと?」
フェン様ですら分からないらしい。
その事実に、私は思わず不安になって問い返していた。
「……せやろな」
「リィネ、アンタは龍脈の影響を受けやすいんや
だからこそ、この乱れはちいとヤバイかもしらん……」
私は思わず洞窟の奥へ視線を向けた。
いつもなら足元に満ちているはずの龍脈の鼓動が、
今日は妙に遠く感じられた。
「ちょっと待ってよ……。
こんなんじゃ昼寝もできないよ」
「……最初に心配するん、そこかい」
「だって大問題でしょ!?」
言い返してみたものの、声にいまひとつ勢いがない。
お腹の奥がすうすうするみたいで落ち着かない。
「そんな問題やのうて、命の問題や」
フェン様は私の鼻先まで歩いてきて言った。
「邪竜のアンタは、ウチとはちいと事情が違う。
龍脈の流れにかなり依存しとるんや。
このまま乱された状態が続いたら、
まともに力も使えへんようになるで」
「うっ……」
それは困る。
ものすごく困る。
寝る場所がなくなるのも困るけど、
力が使えなくなるのはもっと困る。
というか、すごく嫌だ。
「どうしよう、フェン様。
これ、寝たら治るやつじゃないよね?」
「治るかアホ。
むしろ寝とる間にもっと悪くなるわ」
もうちょっと優しく言ってくれてもいいのに、ひどい。
でも、その言い方にいつもの余裕はなくて、
私はますます不安になった。
その時だった。
洞窟の入口から、かすかな足音が近づいてくる。
私は反射的に身を強ばらせた。
まさか、もう兵士たちが――
「……また来たの?」
薄暗い入口に立っていたのは、
銀の髪を月明かりに照らされたシグルド王子だった。
***
目の前に現れたシグルド王子は、剣を抜くわけでもなく、
こちらへ向ける視線にも、あからさまな敵意はなかった。
「ほんとに来るんだ……」
つい本音が漏れる。
だって普通、討伐しに来た相手のところへ
そう何度も顔を出したりしないと思う。
「言っただろう。また来ると。
……それより、この気配は何だ? 妙に気分が悪い」
「イカれた王子はんのことや、こういう細工する柄やない思うとったわ。
せやのに、こんなタイミングで来るとか、間が悪いにもほどがあるやろ」
フェン様が吐き捨てるように言う。
「何かあったのか?」
王子の声は、すぐに真剣なものへ変わった。
私は答えようとして、
うまく息が整わないことに気づいた。
フェン様が鋭く言う。
「ここに巡る龍脈が乱されとる。
この洞窟そのものが、住処として機能せんようにされかけとるんや」
シグルド王子は一歩、洞窟へ踏み込んだ。
その瞬間、わずかに眉をひそめる。
「……確かに、体の奥に嫌な熱が残るような感覚がある」
彼の手が胸元へ触れる。
まるで、何か見えない熱を確かめるように。
「やっぱり王子はんにも分かるか」
フェン様が低く言う。
「リィネの竜の加護がある以上
アンタも龍脈の乱れに引っ張られとるんやろな」
王子は、私を見る。
その瞳に、迷いよりも先に心配が浮かんだ気がした。
「リィネ」
「な、なに」
「顔色が悪いぞ、大丈夫か」
「顔色って……王子様に私の表情わかるの?」
「いや……そういう問題ではないのだが」
真顔で返されて、ちょっとだけむっとする。
でも、その直後にぐらりと視界が揺れて、
私は思わず前足をついた。
「っ……」
いつもなら簡単に巡るはずの魔力が、
どこかで詰まったように重い。
爪の先から翼の先まで、自分の体なのにうまく噛み合わない。
「うそ……。
ちょっと、これ、洒落にならないかも」
「ちっ……ウチが見てくる。
原因さえ分かれば、まだ手はあるかもしれん」
シグルド王子が洞窟を見渡す。
彼には龍脈の流れそのものまでは見えないだろう。
でも、この場の異常さは感じ取っているようだった。
「フェン殿。このままでは、リィネはここに留まれぬのだな?」
問いかけに、フェン様が短く答える。
「そう言うとるやろ。
今より悪化したら、ここにはいられんようになるかもしれへん」
私は唇――というか口元を引き結んだ。
洞窟は私の家だ。
生まれた時から、ずっとここで過ごしてきた。
惰眠を楽しんで起きたらフェン様とおしゃべりして
たまに怒られたり、いろんなお話を聞かせてもらったりした
何もかも、ここにあった。
「そんな……」
自分でも驚くくらい、
弱い声が漏れた。
しばしの沈黙のあと、
シグルド王子はフェン様に問いかける。
「正常な龍脈があれば、リィネは良くなるのか?」
私は目を瞬かせる。
「……え?」
「この場所の乱れが原因なのだろう? では正常な龍脈があればどうだ?」
「はぁ? そら、まともな龍脈があればリィネは落ち着くやろうけど、
そんな都合のええ場所、そうそうあらん」
蒼い瞳が、私とフェン様、それからどこか濁った洞窟の奥を順番に見ていく。
今までみたいにすぐに言い切らないその様子が、
何かを考えこんでいることを感じさせる。
「……このまま、ここに留まるのは危険だ」
静かな声だった。
シグルド王子は何かを少し考え込んだかと思うと、意を決したように喋り始める。
「正直に言おう
――今までの君の話を、全て信じ切ったわけではない」
「だが、公国の件といい、この龍脈の異変といい、
アストレイド王国の王子として看過できぬことが多すぎる」
王子はそこで一度言葉を切る。
そして、まっすぐ私を見た。
「そして何より、君は今ここで弱っている」
胸の奥が、どくりと鳴る。
「このままここで何もせずにいれば、
真実も分からぬまま、君を失うかもしれない」
その言葉は、妙に重かった。
「だから」
「少なくとも、龍脈が安定するまでは――我が離宮へ来い」
「……へ?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
隣ではフェン様まで、同じように目を丸くして王子を見ている。
あの、私、邪竜なんだけど。
どこに来いって言ってます?
「もちろん、ドラゴンを王都へ入れることはできない。
だが、王家の離宮なら人目を避けられる」
「なにより――竜の加護の影響だろうか。
私にも龍脈の気配がかすかに感じ取れる。
我が王家の離宮には龍脈が通っている」
「……ちょ、ちょっと待って!
私、邪竜なんだけど? あなたが討伐しようとした相手だよ?」
「見ればわかる。
だが……公国の被害は君のせいではないのだろう?」
「そうだけど……いや、そうじゃなくて!
人間の国にドラゴンが行けるわけないでしょ!?」
私が声を上げると、
フェン様まで低く唸る。
「王子はん、イカれてるとは思っとったがさらっと無茶言うな」
「分かっている、無論そのまま王都の中心に入れとは言わない」
シグルド王子は真っ直ぐに私を見る。
「我が王家の離宮は、造られはしたものの使われていない。
出入りも私の権限で管理できるし、街からも離れている」
「闇夜に乗じて離宮にさえたどり着けば、そこに身を隠せるだろう」
「離宮……?」
私はぽかんと繰り返した。
人間の王族が住む場所。
そんなところに、私が?
「……公国の被害とこの異変が無関係だとは思えない」
「それに――」
「君が邪竜だったとしても、見捨てるわけにはいかない」
王子の声は、今度こそ迷わなかった。
「かつて私を守ってくれた、この黒い翼を。
二度も人を助けようとした。
少なくとも、私は君をただの災厄と決めつけることはできない」
そんなふうに言われるなんて、思ってもみなかった。
洞窟の空気は今もじわじわと濁っていく。
この場所にいられないのは分かる。
でも、人間の国へ行くなんて考えたこともなかった。
混乱する私に向かって、
シグルド王子は蒼い瞳で私を見つめながら
もう一度、はっきりと告げた。
「リィネ、私のもとへ来い」
その言葉が、
濁った龍脈の音よりも強く、胸の奥に響いた。




