第12話 離宮に私の部屋ができた
朝食を終えて、シグルド王子はほどなくして離宮を出ていった。
考えてみれば当たり前なのだけど、王子としての公務があるらしい。邪竜不在になった洞窟の件も、各国との調整やすり合わせが必要になるだろうとのことだった。
……自分のこととはいえ、なんだか少し申し訳ない気もする。
あれ? 私は洞窟を追われた被害者だから別にいいのか。
本人は「何かあればシャリーに頼ってくれ」と妙に律儀に伝言を残していったけれど、こっちとしては正直そんなことはどうでも良くなっていた。
なにしろ、目の前にはシャリーさんに案内された『私の部屋』が広がっているからだ。
「……えぇと、広すぎない?」
「広いですね」
「いや、そこは否定しないんだ」
思わず足を止めて、私は部屋の中を見回した。
大きな窓があり、光をたっぷり取り込む薄いカーテン。妙にふかふかしている長椅子に無駄に大きな机。
そして部屋の奥には、布の無駄遣いとしか思えないほど立派な寝台がひとつあった。圧倒的な存在感である。なんで上から布が垂れてるんだろう。邪魔じゃないのかな、あれ。
「うーん。人間ってなんでこんなに無駄な空間を使うのかな?」
「リィネ様、これは無駄ではないのです。ゆとりであり、格式でございます」
「似たようなもんじゃないの?」
「全然違います」
終わりの見えない問答に、フェン様が半ば呆れたように鼻を鳴らした。
そのままふかふかの寝台に飛び乗ると、ころころ転がりながらぼやく。
「まぁ、そういうもんや。人間っちゅうのは住処にも見栄や飾りを欲しがる生き物なんやで」
「見栄ねぇ……」
私はずっと洞窟をねぐらにして暮らしてきた。雨風がしのげて龍脈の近くで寝転がれる広さがあれば特に不自由はなかった。
それなのにこの部屋ときたら、私の身体の大きさに比べたら広くて大きすぎる。床も壁もよくわからない飾りで整いすぎていて、なんだか少し落ち着かない。
そんな私たちを見ながら、シャリーさんはくすりと笑った。
「それに立派なのは当然です。この離宮は、もともとシグルド殿下の婚約者のために用意された場所ですから」
「……え?」
シャリーさんの言葉に思わず部屋をもう一度見回した。
この大きすぎる窓も、ふかふかの寝台も、やたら格式ばった家具も、全部そういう前提で整えられていたということなのだろうか。
「婚約者って……あの王子に?」
「いや、王子なんやから婚姻の話ぐらい当然出るやろ」
「えぇ、あの変な人に……?」
「それは……否定しづらいですね」
シャリーさんはにこやかな顔のまま答えるが、わりと容赦のない事を言っている。
「正確に言えば、婚約が決まったことはございません。ただ王族ですのでお話自体はいくつかございました」
「じゃあなんでここ空いてるの?」
「それは、殿下がすべてお断りになりましたから」
「全部??」
シャリーさんは少しだけ困ったように笑って、理由を教えてくれた。
「シグルド殿下は、ご自身が国を背負うに足る王子になる前にそのようなことに心を割くつもりはない、と」
「……えぇ」
「ぶはは! あの王子はんなら言いそうやな」
フェン様は寝台の上で前脚を叩きつけながら爆笑している。
あの王子は妙に真面目で、変なところで律儀というか……うん、たしかに言いそうだ。
「王は王子の婚姻を期待して勇んでこの離宮を作らせたのですが、ご覧の通りです。今では殿下がご自身の私的な空間として使っておられます」
「王様も大変だね、でもまぁシグルド王子っぽいよね」
ぽつりと漏らすと、シャリーさんが目を細めた。
「はい。私も、実に殿下らしいと思っておりました」
その言い方には呆れよりも、ずっと長く見てきた人だけが持つ親しみが混じっていた。
私は改めてシャリーさんに目を向ける。冷静に考えるとこの人も結構おかしい気がしてきた。
いきなり半竜になった私に出会っても取り乱さず、さっさと服を着せて手早くご飯まで用意してくれた。
普通だったら叫んだり逃げ回ったり、そういう反応をしそうなものだけど。
「そういえば気になったんだけど……シャリーさんなんでそんなに動じないの?」
「といいますと?」
きょとんと不思議そうな顔でこちらを見るシャリーさんに、私は言葉を続ける。
「だってさ、呼び出された先に邪竜がいましたって冷静に考えると……びっくりしない? それなのに”はいはい、じゃあ服ですね”ってかんじだったし」
「せやな。あれはちょっと慣れすぎや」
フェン様も寝台の上でごろりと寝返りを打ちながら頷く。
「普通の人間やったら、もうちょい腰抜かしてもええ場面やないか?」
するとシャリーさんは、なんだそんなことかと言わんばかりに、ふっと笑みを浮かべた。
「あぁ、そういうことですか。慣れてしまいましたので」
「慣れた? いや、さすがにこんなの初めてなんじゃ?」
「それはそうなんですけれど」
彼女はそう言って、窓辺へ歩み寄り、薄いカーテンを指先で整えた。
ふわりと外の風が入り込み、布がやわらかく揺れる。
「シグルド殿下は、昔からああいう方でしたので」
「ああいうって?」
「わざわざ面倒を背負い込んだり、困るものを拾ってきたり……」
「なので、”あぁ、またか”ぐらいでございます」
「ぐらい?」
「ぐらいって…」
私とフェン様が同時に繰り返すと、シャリーさんは面白そうに笑った。
「ふふ、怪我をした獣や行き倒れた旅人、はぐれた子供や魔物……その他にも色々と」
「色々っていったい……?」
「私も全部は申し上げたくありません」
「なんで!?」
「思い出すと、その……頭が痛くなりますので」
「あの王子、イカれてるね」
「せやろ?」
フェン様が、なぜかちょっと誇らしげに言う。
いや、あなたが誇るところではないでしょ。
「私も最初の頃は驚いておりましたが、毎度毎度慌てていたらシグルド殿下の侍女など務まりませんよ」
「今では、"今度は何をやらかしたのかしら"ぐらいの気持ちですね」
いや、シャリーさんも結構変わってるけどなぁという言葉が飛び出しかけたけど
それを言うとシャリーさんが怖い顔をしそうだったので、これは言わないことにした。
「ですが、本音を申しますと昨日は少し嬉しかったのもございます」
「嬉しかった? 竜と出会って?」
「はい」
その返事はあまりにもあっさりしていて、私は逆に面食らった。
「殿下のお世話は、どうしても実務ばかりになりがちですから」
「書類の用意ですとか、衣服の整えや夜食のご用意だったり、あとは寝不足のごまかしですとか」
「最後ちょっとおかしくない?」
「ふふ、私は幼いころからずっとシグルド殿下の侍女を務めておりますので日常みたいなものです」
王子は真面目で変な人だと思っていたけど、シャリーさんから見ると手のかかる人なんだな
そんなことを考えていると、シャリーさんは少しはにかんだように微笑んだ
「ですので、若い女性のご支度を手伝えるのは、正直とても楽しいのです」
「……あ、やっぱり! 洋服のとき、目が輝いてたよね?」
「ウチもみたで、子供みたいにキラキラ輝いとったわ」
「……否定はいたしません」
シャリーさんは潔かった。
「リィネ様は整えがいがありますので、私の腕が試されているようで頑張ってしまいました」
「え?」
「赤い髪もおきれいですし、リィネ様はご自覚がないかもしれませんが、お顔立ちもはっきりしていらっしゃいます。角や尻尾や鱗、それらをどう隠しながらおしゃれにするか……とてもわくわくいたしますね」
「シャリーさん、楽しんでる?」
「楽しんどるな」
「ええ、とても」
そこまで認められると、なんだかもう何も言えない。
けれど、不思議と嫌な気はしなかった。
昨日までは、急に変わってしまった身体に戸惑うばかりだったのに、こうして当たり前みたいに世話を焼かれていると、少しだけ肩の力が抜ける。
なんとなく落ち着かなくなって、私は視線を窓の外へ逃がした。
大きな窓の向こうには、洞窟の中では見たことのない景色が広がっていた。
離宮の周囲は山沿いの壁に守られていて、遠くに王都の喧騒は見えない。隔離された場所だから人目を気にしすぎないで済むのは王子としても都合が良いのだろう。
代わりに目に入るのは、陽の光を受けてきらめく木々の緑と、山から流れてきた細い川、そしてその先で静かに光を抱く湖だった。
窓越しに聞こえる水の音や鳥のさえずり。洞窟の中にも静けさはあったけれど、全く違った心地よい静けさだなと、初めて見る景色なのに少し心地よかった。
「……きれいですね」
気がつけば、ぽつりとそう漏れていた。
洞窟の中でずっと過ごしていた私にとって、こうして窓辺に立って風に吹かれるなんてしたことがない。
「お気に召しましたか?」
シャリーさんの声に振り向く。
「うん。なんていうか、思ってたのと違うなってかんじかな」
「思っていたより、悪くありませんでしたか」
「たぶんね」
そこで私は、窓の外を見たまま小さく呟いた。
「ここでの生活、意外と少し楽しみになってきたかも」
そう言うと、シャリーさんは嬉しそうに微笑んだ。
「でしたら、落ち着かれたころに殿下へお願いしてみるるとよろしいですよ」
「お願いって?」
「ご覧の通り、離宮は外壁で囲われております。ですので人目を避けつつ離宮まわりをご案内いただくこともできるかと」
「なんで私が、シグルド王子に?」
「あら、お忘れですか。シグルド殿下はリィネ様を監視するためにお連れしたのでしょう。務めを果たしていただきませんと」
「さすが王子と長い付き合いなだけあるで、シャリーも口がまわるなぁ」
フェン様がゴロゴロしたまま呆れたように言う。
シャリーさんはニコニコと続ける。
「近くには湖畔もございますし、森の散策も心地よいでしょう」
「……ふぅん」
私はもう一度窓の外へ目を向けた。
山の風はやわらかく、湖はきらきらと光っていた。
閉じ込められた、という感じは不思議としない。
むしろ、知らなかったものがこの先まだいくつも見られるのかもしれない、と思う。
――離宮の持ち主は、かなりの変人だけどね
でもまぁ……
ここでの暮らしは、案外悪くないのかもしれなかった。




