第11話 とりあえず服とごはんが必要らしい
目が覚めて、最初に思った。
――なんだこれ。
視界が低い。
手をつこうとして伸ばした前脚は、見慣れた黒い鉤爪じゃなかった。細くて白い頼りない手。
おまけに背を揺らしてみても、いつもそこにあったはずの重たい翼の気配がない。肩のあたりが妙に軽くて、逆に落ち着かない。
「姿を変えたって、どういうこと!?」
私が慌てて身を起こした瞬間、視界の端でシグルド王子がさっと顔をそむけた。
いや、現実から目をそらしたいのはこっちなんだけど?
というか、なんでそっちが赤くなってるの。
「リィネ。ちょい待ちいや。説明はするけどその状態じゃ王子も困る」
「なんでよ!」
「竜やったから分からんのも無理はないが……アンタ、今ほぼ全裸なんやで」
「は…?」
言われた言葉を飲み込みきれず、ゆっくり自分の身体を見下ろす。
黒い鱗の間に見えているのは、やわらかな人間の肌だった。胸も肩も脚も、ほとんど布に守られていない。かろうじてまとわりついているマントがあるものの隠しきれているとは到底言えない。
「あれええええ!?」
「はぁ~……。王子はん。なんとかしいや」
「分かった、少し待っていてくれ――」
フェンの言葉にシグルド王子はこちらを見ないように配慮しながら広間を後にする。
ほんとに、なんだこれ。
翼はないし、身体はちっちゃいし、そのうえ服までないってどういうことなの。
しかも尻尾はある。
あるのに、なんか妙に邪魔だ。いや、自分の尻尾なんだけどさ……。
***
それから間もなく、広間の扉から控えめなノックの音が鳴る。
シグルド王子と一緒に入ってきたのは、落ち着いた雰囲気の女の人だった。片手には大きめの鞄。
その人は数歩進んだところで、マントにくるまった私を見てぴたりと足を止めた。
「……シグルド殿下、これは?」
「訳は後で話す、シャリー」
「彼女は離宮に滞在する客人だ。私が預かる。だから、まずは力を貸してほしい」
「かしこまりました」
シャリーと呼ばれた女性は、私と王子を見比べて、余計なことは何も聞かなかった。
驚いていないわけじゃない。けれど、それより先にやるべきことを決めた顔だった。
そして、にこりと微笑む。
「――まずは、お召し物が必要ですね」
「え?」
「そのままでは、殿下には少々目の毒でございますので」
「シャリー!」
シグルド王子が思わず声を上げる。
けれどシャリーさんは少しも慌てず、くすりと笑った。
「冗談です。半分ほどは」
半分あるんだ。
「リィネ様。私はシグルド殿下の侍女を務めております、シャリーと申します」
「え、あ……はい。リィネです。よろしく……?」
そこでふと違和感に気づいて、私は目を瞬かせた。
「というか、普通に言葉が通じてる?」
「ああ。半竜になって人の器に寄ったからやろな」
「ちなみに、ウチもアンタのそばにおればみんなと話せるで。便利やろ?」
フェン様がふんすと鼻を鳴らす。
「そこ、あなたが得意げにするところなの?」
「ええやろ別に」
いや、ちょっと便利だけど。
「では、お風邪を召す前に整えてしまいましょう」
シャリーさんが一歩近づいてくる。
さっきまで落ち着いた人だと思っていたのに、近づいてきたシャリーさんの目はなぜか妙に楽しそうだった。……この人も、もしかしてちょっと危ない人なのでは?
「……なんや、随分と平然とした人間やな」
「シャリーは私が幼いころから世話をしてくれている、信用できる人間だから安心してほしい」
シグルド王子が短くそう言う。
言い方はぶっきらぼうなのに、信頼だけはよく伝わってくる言い方だった。
そんな会話に気を取られていた私だったが、目の前のシャリーさんは鞄から布や服飾品を次々と取り出しはじめた。え、魔法かなにか? そんなにたくさんのものが詰め込まれていたの?
「リィネ様の角の位置は……はい、なるほど。でしたら頭はこういたしましょう」
「え、ちょ、近い近い」
「素敵な尻尾ですわね。でしたら後ろは通せるようにして――」
「いや、なんでそんなすぐ分かるの?」
「ふふ、これぐらいできませんと、シグルド殿下のお仕えなど務まりませんので」
「そういうもの!?」
返事を待たず、布が肩にかかる。髪を梳かれ、頭のあたりに何かを固定され、腰の後ろで尻尾の通り道を調整される。 あまりの手際の良さに抵抗する隙もない。
「……失礼。少々見入ってしまいました」
シャリーさんの目が、さらに輝いた。
「整えがいがありますね。可愛らしく、それでいてお似合いになるよう仕立てましょう」
「なんか今、この人の中で変なスイッチ入らなかった?」
「入ってないです」
絶対入ったでしょ。
その後もしばらく、私はされるがままだった。
服を着せられているというより、着せ替え人形にされている気分である。
けれど、しばらくしてようやくシャリーさんが満足げに頷いた。
「――できました」
頭の上の感覚が妙に落ち着かない。肩にも背にも布が増えている。
けれど、さっきまでの言いしれぬ心許なさはすっかり消えていた。
頭には角の付け根を隠すためらしい頭飾りが載せられ、肩には短いケープがかかっている。
白を基調にした衣装へ深緑が重なり、金の刺繍で縁取られている。
邪魔だと思っていた尻尾も、後ろを手直ししたスカートの内側へすんなり収まっている。
気づけば爪の先まで手袋で包まれていて、さっきまで裸同然だったとは思えない。
……この人、仕事が早すぎない?
「リィネ様の美しい赤髪が映えるよう整えてみました。頭は角を自然に隠せるように。背中は鱗の目立つ箇所をケープで和らげています。尾も問題なく通せますよ」
「ほう、ええやんリィネ。似合っとるで。さすがウチの龍術やな。応急処置にしては上出来やで」
フェン様が前脚をとんとん鳴らしながら、なぜかものすごく誇らしげにうなずく。
「なっ、王子はん」
急に話を振られたシグルド王子は、露骨に言葉を詰まらせた。
一度だけ視線が泳ぎ、それからようやく私を見る。
「……ああ。よく似合っている」
そこでほんの少し間が空いてから、
「綺麗だ」
と、付け足した。
なんだろう。褒められたはずなのに、こっちまで妙に落ち着かない。
「それよりフェン様。龍術って、私そんな話聞いてないんだけど」
「しゃーないやろ。あのままやったら、アンタほんまに危なかったんや」
「それは……困るけど」
「せやろ。龍脈が落ち着いたら戻す手も考えたる。今は我慢しとき」
「うう……翼ないの、すごく落ち着かないんだけど」
背中を振り返っても、そこには何もない。ずっとあった翼がなくなった落ち着かなさにそわそわしているうち、今度は腹の奥が妙にざわついてきた。
龍脈が薄い時の心細さとは違う。もっと鈍くて、でも無視しづらい変な感覚だ。
「……なにこれ」
「ん、どうしたんや?」
「なんか、お腹のあたりが変で――」
その瞬間。
ぐぅぅぅぅぅ――。
静かな広間に、驚くほど大きな音が響いた。
「なっ!?」
「あら」
シャリーさんがぱっとこちらを見る。
「リィネ様、お腹が空かれたのですね」
「え? いや、私は龍脈の力があれば平気なはずなんだけど……」
自分でも混乱していると、フェン様が少し気まずそうに鼻先を掻いた。
「それがな。半竜になったせいで、人に寄った分の欲求も出るようになってしもたんや。しばらくは飯も必要やで」
「ええ?」
「器を小さくしたぶん、維持の仕方も変わったっちゅうことや」
「そういう大事なこと、もっと早く言ってよ!」
「今言うとるやろ!」
……この聖竜、ほんとに信用していいんだっけ。長い付き合いのはずなのに、急に不安になってきた。
じぃとフェン様を見つめる私を知ってか知らずか、シャリーさんは嬉しそうな表情を見せる。
「ふふ。では、このシャリーにお任せください」
シャリーさんは胸の前で手を合わせ、にっこり笑った。
「フェン様もシグルド殿下も。朝食にいたしましょう」
***
ゴクリ――。
今まで感じたことのない欲求に私は驚きを隠せなかった。
大広間の隣にある小部屋へ通され、私たちは丸い卓を囲んで座っていた。
白いテーブルクロスの上には、湯気を立てるスープと焼きたてのパン、甘い香りをまとった肉料理、それから艶やかな果実のタルトまで並んでいる。
見ただけで、腹の奥がきゅうと鳴いた。
「あの、シャリーさん。これは……?」
「朝食でございます、リィネ様。離宮にあるもので整えましたから、豪華とは申せませんけれど」
いや、十分すごいんだけど。というか、匂いがすごい!
甘いのと香ばしいのと温かいのが一気に押し寄せてきて、身体の奥が早く食べろと騒ぎはじめる。
邪竜だった頃は、龍脈の力だけで足りていた。
何かを口にしたいなんて思ったこともなかったのに、今はお腹が小さな竜みたいにぐうぐう鳴いていて、目の前の皿から視線を外せない。
「リィネ、フェン殿。シャリーの料理なら心配はいらない。もちろん毒もない。」
そう言って、シグルド王子が自分でパンをちぎって食べ、スープをひと口すすってみせた。
警戒している私たちを見越して、先に証明してくれたらしい。
「それで思い出したけど、竜を毒殺しようとした奴らもおったなぁ」
テーブルの端に座っていたフェン様が、妙にしたり顔で言う。
「リィネも気ぃつけなあかんで。人間たちはいつウチらを狙ってくるか――」
言いながら、ちらりとタルトに視線が流れた。
それを、シャリーさんは見逃さなかった。
「フェン様」
「なんや?」
「甘いものがお好きでは?」
「べ、別にウチは……」
「よろしければ、こちらを」
シャリーさんが、自分の取り皿のタルトをそっと差し出す。
しかももう一口分、きれいに取り分け済みだ。準備が良すぎる。
「毒などございませんよ」
「そうは言うてもやな……」
「一口だけでも、どうぞ」
押し切られるようにして、フェン様はぱくりとタルトを頬張った。
もちゃもちゃと咀嚼していた姿が、次の瞬間ぶるっと震える。
「えっ、フェン様!?」
「……うま……」
「え?」
「美味~~~い!! なんやこれ、口の中でとろけるやん! シャリー、これもっともらってええか!?」
フェン様は本当に目を輝かせながら、そのままタルトにかじりついた。
そんな様子を、シャリーさんは満足そうに眺めている。
「ええ、どうぞ。私の分もお食べください」
さっきまで人間は危険だの何だの言っていた口で、フェン様は尻尾を振りながらタルトにかじりついている。
……あの忠告、説得力がなくなるの早すぎない? っていうか、甘い物好きだったんだ。
「さぁ、リィネ様も。スープが冷めないうちに」
促されるまま、私は見よう見まねでスプーンを持ち上げた。
少しぎこちない手つきのまま口へ運ぶ。
熱い。
でも、そのすぐあとに、やさしい甘みが広がった。
野菜の香りと、じんわりほどけるような旨み。
喉を通ってお腹へ落ちていくだけで、身体の奥がほっと緩んでいくのが分かる。
「……おいしい」
「ふふ。お気に召したようで何よりです」
もう一口。今度はパンを手に取るちぎって口に放り込む。
次は肉、そしてスープ。またパンに戻る。
噛むたびに味が変わる。香りが増える。温度があって口の中がどんどん騒がしくなっていく。
口に入れるたび、知らなかった世界に触れていくみたいだった。
気づけば、口元が汚れるのも気にせず夢中で食べていた。
「そんなに慌てなくても、食事は逃げやしない」
シグルド王子が少しだけ苦笑する。
「……だって、おいしいんだけど」
「それは良かったです」
シャリーさんまで、なんだか嬉しそうだ。
フェン様は呆れたような、でも少し面白そうな目でこちらを見ている。あなたはさっきタルトにかじりついていたじゃないかと言いたくなったけど、そんなことはどうでもよかった。
人間ってずるいな。
こんなにおいしいもの、ずっと食べてたの?
身体が変わってしまった不安も、翼を失った落ち着かなさも
温かいスープと甘い香りの前では少しずつ薄れていくような気がした。
どうやら私は、とんでもない身体になってしまったらしい。
――でも。
こんなおいしいものがあるなら、少しくらいは悪くないのかもしれない。




