第8章 ドッジボール決戦
食堂の前の広場に、嫌な熱がこもっていた。
「肉が少なすぎる!」
「あれは誰かにごっそり盗まれたんだ!!」
「嘘をつけ!チア部が食べてたって聞いたぞ!」
「私たちお肉なんて食べてない…」
列のあちこちで声がぶつかり合い、配膳台の向こうで栄養学ゼミの教授と食堂のおばちゃんたちが必死に宥めている。誰かが机の脚を蹴り、鍋の蓋がカランと跳ねた。
ラグビー部の数人が一歩前に出ると、避難民の男たちも睨み返す。
「待て待て待てぇぇぇい!!」
人の壁を割るように飛び込んできたのは、サッカー部の矢田だった。どこから持ってきたのか、ドッジボール用のボール。もう片方の手で地面を指さす。
「殴り合うくらいなら――ドッジボールで決着つけようぜ!」
空気が凍った。
「……どっ、何?」
「どっち?」
避難民の人々が互いに顔を見合わせる。神宮寺が額を押さえた。
「矢田、お前なぁ……」
「本気!マジの提案!」矢田は早口になった。「ルールは簡単だ。ここを真ん中の線にする、越えちゃダメ。ボールを投げて相手に当てたら外。最後まで残ったチームが勝ち。血を流さずに白黒つけられる!」
「つまり石合戦だな」と、頑固そうな壮年の男が唸る。
「石じゃない!ボール!安全第一!」矢田はしゃがんで棒で線を引き始めた。「こっち帝体大、あっち避難民チーム。子供も大人も関係ない、誰でも出られる。勝った側の意見を今日は優先。それでどうだ!」
言い争いの熱が、別の熱に置き換わっていく。最前列の腕っぷしの強そうな母ちゃんが呆れ顔で笑った。「まあ、血の雨降らすよりはマシだわねぇ」
「よし、やろうじゃないか」腕を組んでいた壮年の男が一歩前へ。「俺は漁師だ。投げる腕には自信がある」
「きたぁぁぁ!」矢田がボールを掲げる。「よし!ライン引くぞ!チア部盛り上げ頼む!応援団、太鼓!学生会は安全管理と観客整理!」
「お前、遊びの時の指示だけは一丁前だな」神宮寺は苦笑しながらも動き出した。「ほら行くぞ、球技大会モードだ!」
あっという間に、広場は“ドッジボール会場”へと変貌する。剣道部の黒崎が丁寧に石灰で白線を引き、トレーナー陣は救護テントを張り、ライフセービング部が飲料水を運ぶ。
文化交流のために来ていた王国兵は、その様子をポカンと眺めていた。
「これが……スポーツで争いを収めるということ…?」
「はい。えっと、当てられたら後ろの外野に行くんです。外からも当てたら戻れる……説明すると長いので、見てくれたら早いっす!」矢田は背筋を伸ばし、妙に丁寧な口調になった。
「わかりました。観戦させていただきます」王国兵は真剣な面持ちで会場を眺めた。
帝体大のスタメンは、前衛に神宮寺、相撲部の大江山、ボクシング部の村瀬、剣道部の黒崎、そしてもちろん矢田。後方にアーチェリー部と陸上部の面々が外野を形成する。
避難民チームは、漁師の壮年男、鍛冶屋の若者、農具で鍛えた腕っぷしの強そうな母ちゃん、小柄な少年に加え、荷運びで筋骨隆々の男たちが並ぶ。
「ルール最終確認!危ない投げ方は禁止!顔狙いは極力避ける!こけたら手を貸す!俺たちは友達!」矢田が指を折って叫ぶ。
「始め!」
太鼓が鳴り、センターラインに神宮寺と漁師が構え、ボールが上に投げられると同時にふたりが飛びボールを叩く。神宮寺がやや先にボールを弾いた。
飛んできたボールを大江山が掴んだ瞬間、腰から上半身をしならせて投げる。
「うおらぁ!」
風を切る音と同時に、避難民の若者が地面に転がった。どよめきと、なぜか歓声。
続けざまに跳ね返ってきたボールを村瀬が掴み、華麗なステップを刻み、低い弾道で一発。相手の脛に当たり、「アウト!」とチア部の明るい声。
「やべぇ強いぞ、あいつら!」避難民側が押し戻されかけたところで、漁師の男が前に出た。肩の回転が滑らかだ。網を放る要領で、しなる一球。
「おりゃあ!」
ボールは一直線に矢田の顔面へ。
「うぶぁっ!」
見事な被弾。応援団が太鼓を鳴らし、避難民の子どもが跳ね回る。「おっちゃん、すげー!」
「が…顔面はなしだって…」
「ごめんよにいちゃん!勢い余った!」
広場に笑いが弾ける。
相撲部の大江山は胸を張って真正面から受け止める。「どすこい、ノーダメージ!」彼の背でボールが鈍い音を立てるたび、避難民の母ちゃんが笑う。
「あんた壁みたいだねぇ」
母ちゃんも負けてはいない。畑で鍛えた肩から繰り出される剛球が、村瀬の足元へ鋭く滑り込む。踏み込みを狂わされた村瀬がバランスを崩し、
ボールが足にかすった。「アウト!」の声。
村瀬は笑って親指を立て、母ちゃんが照れ臭そうに肩をすくめた。
試合は一進一退になった。鍛冶屋の若者は手首が強く、低い球がよく伸びる。陸上部の外野は流石の脚で広い範囲をカバーし、
落ち際のボールを拾って素早く中へ戻す。避難民の少年は体が小さい分、避けるのがうまく、神宮寺の剛速球を紙一重でかいくぐる。
「お前、すげぇセンスだな」神宮寺が息を切らしながら笑った。少年は頬を赤くし、ぎこちなくうなずく。
観客の空気はいつの間にか一体感が出ていた。避難民の老人が「そこだ、投げろ!」と声を張れば、
学生たちも「ナイス避け!」と相手を讃える。王国兵までが「おお、見事な攻防…」と困惑しながら興奮している。
中盤、外野から戻ってきた矢田はわざと中央に立ち、受けの時間を作る。
飛んできた球を胸前で抱え込むようにキャッチ――のつもりが、胸板で弾いてしまった。「やべ!いつものトラップの癖が!」
そのボールを黒崎が落とさず繋ぎ、矢田が持ち直して即座にカウンター。鍛冶屋の若者の足に当たり、「アウト!」
「つ…繋ぐんだよ、スポーツは!」矢田が叫ぶ。避難民の輪から「おおー!」と素直な歓声があがった。
「お前最初ミスっただけだろ…」
黒崎が呆れながらツッコみを入れる。
残りは帝体大が四、避難民が三。緊張が増す。外野から大きく弧を描いたボールが内へ戻り、神宮寺が正面で受けて素早く大江山に渡す。大江山の山なりの球に、母ちゃんが思わず手を伸ばす――届かない。背後から矢田が走り込み、外野からのボールをキャッチしてすぐ母ちゃんへ投げる。「アウト!」
「ごめんよ母ちゃん!」
「いいさ、面白いよ!」母ちゃんは笑って外野へ駆けると、すぐに外から柔らかい球で少年に戻し、少年がするりと復帰した。
見ていたチア部が思わず拍手。「流れるような連携!」
三対三。ここからが勝負だ。黒崎が前に出すぎた隙を突いて、漁師が回転の効いた球を肘下に叩きつける。黒崎、アウト。二対三。帝体大が一人少ない。外野の村瀬が拾った球を矢田に通し、矢田は視線で神宮寺に合図。神宮寺が前に出るふりをして一歩引き、相手の視線を引きつける。
次の瞬間、矢田の手からしなるスルーパスのような速球が少年の背中へ吸い込まれた。「アウト!」
「悪い!」矢田が手を合わせると、少年は悔しそうに笑ってうなずいた。「うまい……!」
二対二。残るは神宮寺と矢田、そして避難民側は漁師と鍛冶屋。ボールは帝体大。神宮寺が呼吸を整え、肩を回す。観客が息を呑む。彼の指先がほんの少し下に滑り――球に縦の回転がかかった。
「変化球……?」村瀬が小声でつぶやく。
ボールは空気を裂き、鍛冶屋の前で突如落ちた。反応が遅れた鍛冶屋の足先に当たり、「アウト!」
残るは漁師と、神宮寺+矢田。母ちゃんが外から軽い球を漁師に渡し、漁師は一度大きく振ってフェイクをかましてから投げる。
矢田は見事に避け。球は背後へ抜け、神宮寺がダッシュで拾う。神宮寺が静かに深呼吸。広場が静まる。火のはぜる音がやけに大きく聞こえた。
「決めるぞ」
短く言って、神宮寺は投げた。今度は力ではない。体の前で腕が滑らかに巡り、球がきれいな直線を描く。漁師の男が一歩踏み込み、両手で取りにいくその指先から、ボールがするりと逃げた。汗でわずかに滑ったのだ。球は胸に当たり、跳ねた。
「アウトォォォ!」
チア部が跳び上がり、応援団の太鼓がドドンと鳴り渡る。
「勝者――帝体大!!」
どっと歓声が爆発した。だが、悔しがって地面を叩く者はいない。漁師の男は胸を上下させながら、口の端を上げた。「……参った」
神宮寺が手を差し出す。「強かった。網投げの肩、あれは効いた」
男は力強く握り返す。「お前らも、ただの若造じゃねぇな」
矢田が少年の前に屈んだ。「ナイス回避。あれはマジですごかった」
少年は照れたように笑って、矢田の手のひらに小さくタッチした。
「誤解もあった。だが、俺たちはもう仲間だ。」黒崎が声を上げる。「多分、外から来た誰かが俺たちを貶めようと妙な噂を広めてるんだ」
ざわめきが広がる。土屋がうなずいた。「まずは団結しよう。」
「そうだな。これからは避難民と帝体大ではなく、全員帝体大。この国の国民だ。」神宮寺が言うと、
母ちゃんが笑った。「はいよ。じゃあ、私たちも何かスポーツでも始めようかしら」と腕をブンブン回し始める。
笑いが波のように広がった。王国兵は胸に手を当て、ゆっくりと息を吐く。「争いが、笑いに変わる……。これが、スポーツの力……」
その夜、広場にはまた篝火が焚かれた。
吹奏楽部が明るい曲を奏で、ダンス部とチア部が輪を作る。漁師の男は神宮寺と肩を組んで歌い、母ちゃんは栄養学ゼミと一緒に大鍋を振る。矢田は包帯を巻いた額でジョッキを掲げた。
「勝っても負けても――乾杯だ!」
「かんぱーーーーい!」
帝体大コールが自然に起こり、応援団の太鼓が夜空を揺らす。子どもたちが笑いながらボールを回し、外野から戻るやり方を覚えた少年が得意げに教えて回る。
その笑い声を、森の端でひとり聞いている影があった。赤い髪をフードの中に隠し、琥珀の瞳で炎を睨みつける。
「下らない」
カーミラは木の幹に指先を立て、ギリ、と音を立てた。
「憎しみは、争いは、もっと簡単に燃え広がるはずだった。なのに……球遊び一つで、笑いに変わるだと?」
唇を噛む。マントの裾が夜風で揺れる。
「下らない…だが、なぜ胸がアツくなるんだ…」
遠くで「エッサッサ!」の掛け声が上がり、また笑いと手拍子が弾けた。
カーミラはその場に背を向け、闇の中へ消える。爪の跡が残った樹皮が、遅れてミシ、と軋んだ。
篝火は高く、夜空は澄んでいる。
剣と魔法の世界に、スポーツの輪が一つ増えた晩――帝体大と避難民は同じ鍋を囲み、同じ歌をうたい、同じ未来をほんの少しだけ信じた。




