第26章 マジーナ王国にて
馬車が王都の石畳に停まった音で、大賀は目を開けた。
窓の外には、見上げるほど高い城門、そして、城門の向こう側で整然と巡回する兵士たち。
マジーナ王国は帝体大とは対照的で、厳格な空気が街全体を包んでいた。
「……これがマジーナ王国か」
米倉が呟く。
「規律を重んじる軍事国家だ。気合いを入れていこう」
大賀は淡々と答えた。
二人が降り立ったのは、王国の中央訓練場だった。
広大な砂地の広場に、槍と盾を持った兵士たちが整列している。
その数、ざっと五十人。全員が微動だにせず、視線だけがこちらを向いていた。
「……歓迎って感じじゃねぇな」
米倉が苦笑する。
「当然だ。俺たちみたいな若造が指導なんて受け入れがたいだろう」
そのとき、兵士たちの列が割れた。
ひとりの若い騎士が歩み出る。
鋼色の髪を短く束ね、まだ二十歳そこそこに見える。
だが目には迷いがなく、背筋は一本の線のように真っ直ぐだった。
「帝体大の使者か。俺は王国近衛第二隊長、レオニール・ヘスター」
声は若いが、響きは重い。
そして、その瞳には、ほんのわずかな焦りが見えた。
(隊長としてはまだ新米か。だが責任感は強いんだろうな)
大賀はすぐに見抜いた。
「帝体大硬式野球部、投手の大賀真だ。こっちは捕手の米倉新。って言ってもまだポジションのことはわからないか。」
「いや、事前に送られて来た資料でルールは把握した。」
「それは話が早くて助かる。じゃあ、早速だけど」
米倉が軽く手を挙げた。
「野球で一番重要なことわかるか?」
「知らん」
レオニールは即答した。
「それぞれの役割を全うし、そして連携させることだ。」
「役割と連携?」
「そうだ。投手には投手、捕手には捕手。それぞれ役割がある。だが、役割を全うするだけじゃ勝てない。それを繋げる必要がある。」
「なるほど…連携とはそういうことか…まるで戦だな」
「まぁ、そうだな。だが、これはスポーツ。あくまで楽しむためのものだ。」
レオニールの眉がわずかに動いた。
「……遊びってことか?」
「そう。遊び。だが、決して真剣にならないということじゃない。真剣に戦うことが楽しい。それがスポーツだ。それが野球だ。」
「真剣に遊ぶ…俺たちには無い概念だ…」
「そうだ。勝つために楽しむ。矛盾してるように聞こえるかもしれないが、これが野球の本質だ」
レオニールは黙り込んだ。
その背後で、兵士たちがざわめく。
だが、彼は一度深く息を吸い、まっすぐに答えた。
「……わからない。だが、スポーツには世界を平和にする力を感じている。だから学ぼう。」
その声には、迷いがなかった。
大賀は目を細めた。
「……いい覚悟だ」
その時、レオニールの背後から一人の影が静かに歩み出た。
銀髪を肩で結んだ女性騎士。
無駄のない立ち姿。鎧の継ぎ目すら計算されている。
そして何より――その瞳が、異様に鋭かった。
「彼女は第七槍隊所属のシリルだ口数は少ないが、腕は確かだ」
レオニールが紹介すると、シリルは小さく頷いただけだった。
米倉はその様子を見て、ニヤリと笑う。
「寡黙タイプか。まぁ、ピッチャーに向いてるかもな」
シリルの視線がわずかに米倉に向く。
だが何も言わない。
大賀は木箱を開け、中からボールを取り出した。
「まず、これが野球の全てだ」
白球が陽光を浴びて輝く。
兵士たちの視線が一斉にそこへ集中した。
「……ただの球ではないのか?」
レオニールが訝しげに言う。
「ただの球だ。だが――」
大賀はボールを胸の前で止め、ゆっくりと構えた。
「これをどう扱うかで、全てが変わる」
そして米倉に向けて、一切の迷いも無く投げた。
ボールは真っ直ぐな軌道を描き、米倉のミットに吸い込まれる。
パシン!!!という小気味いい音が訓練場に響いた。
兵士たちがざわめいた。
「……なんだ、今の音は」
レオニールが息を呑む。
米倉は大賀にボールを返し、大賀もう一球米倉に向かって投げた。
ボールはあらぬ方向へ行ったかと思われたが、ボールは弧を描き、米倉のミットに再び吸い込まれる。
「ま…曲がった…」
「俺たちはこのボールをどう扱えばどう動くのかを完璧に把握している。」
米倉がグローブを外して笑う。
「投げ方次第で、ボールは様々な動きをする。それが野球の面白さの一つだ」
「面白さ……」
レオニールが呟く。
「そうだ。お前たちにはその面白さは体感して欲しい」
大賀はもう一球ボールを取り出し、レオニールに放った。
「受け取れ」
レオニールは反射的に両手で掴んだ。
硬い。意外とずっしりしていて重い。でも――不思議と手に馴染む。
「……これを、投げるのか」
「そうだ。まずはキャッチボールからだ」
「キャッチボール…?」
「そう。野球の基本だ。シリルさんも前に出てきてくれ」
シリルが一歩前に出た。
無言のまま、ボールを受け取る。
その指先は、繊細だった。
米倉はすぐに気付く。
(こいつ、手の感覚が異常にいい……)
シリルは右足を引き、真っ直ぐに体を構え、振りかぶった。
そして――
ボールは地面に叩きつけられた。硬式ボールは意外と跳ねず、何回か小さく跳ねて転がった。
「……」
シリルの表情が、わずかに歪む。
兵士たちが息を呑んだ。
レオニールも顔を強張らせる。
だが大賀は動じなかった。
「いいフォームだ」
「……は?」
米倉が思わず聞き返す。
「腰の入れ方、体重移動、腕の振り。全部いい。さすが槍使いだ。ただボールの離し方を知らないだけだ」
大賀はシリルの目を真っ直ぐに見た。
「練習は必要だ。だが、必ずできる。良いピッチャーになる」
シリルの瞳が、わずかに揺れた。
それは驚きでも喜びでもなく――
"認められた"という、静かな確信だった。
「……ありがとう、ございます」
初めて発した言葉は、静かで、しかし確かだった。
レオニールも息を吐いた。
「……なるほど。これが"野球"か」
「まぁ、まだ走攻守の一部だ。野球の面白さはまだまだこれからだ」
大賀が淡々と答える。
「他の皆も実際やってみてくれ」
米倉がグローブをレオニールへ放り投げた。他の兵士たちもグローブをはめ、ボールを持つ。
「キャッチボールから始めるぞ」
訓練場にボールの音が響き始めた。
固く閉ざされた王国の空気が、ほんの少しだけ、動き始める。
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数時間後。
兵士たちは次々とボールを投げ、受け取り、時には笑い、時には悔しがった。
「もう一回!」
「今のはいい音だったぞ!」
「くそ、また逸れた!」
レオニールは汗を拭いながら、不思議そうに呟いた。
「……なぜだ。訓練なのに、楽しい」
「それが野球だ」
米倉が笑って答える。
「勝つために楽しむ。楽しむために本気になる。矛盾してるようで、実は一番理にかなってる」
レオニールは拳を握った。
「……俺たちに、できるだろうか」
「できる」
大賀が即答した。
「お前たちには強い意志がある。それは野球にも必要だ。すでに持っているお前たちならできるはずだ」
「意思か…」
レオニールは真っ直ぐ大賀を見た。
その横で、シリルが静かにボールを握りしめていた。
夕日が訓練場を照らす中、キャッチボールの音が鳴り響いていた。




