第25章 黒鉄の闘技場に響いた音
魔王軍の本拠地にある闘技場は、昼でも薄暗かった。
高い壁は黒鉄でできており、魔族たちが無数にうごめいている。
速水と井戸川は、その中央に立っていた。
「……すげぇな、俺たち大丈夫なのか?」
井戸川が帽子のつばを指で整える。
「まぁ、俺たちに何かあれば戦争になるし、手は出されないだろ」
速水は淡々と返すが、喉は少しだけ乾いていた。
それでも二人の足は止まらない。
ここに来たのは、戦うためじゃない。野球を広めるためだ。
闘技場の奥から、巨体が影を引き裂いて現れた。
「よく来たな、人間。」
“血斧”ガルド。
魔王軍サッカー戦で帝体大の前に立ちはだかった、あの怪物だ。
その背後には、双子の獣人バルゴとバルガ、
そして赤髪の魔族・ヴァルナが静かに佇んでいた。
速水が前に出る。
「野球を教えに来た」。
「敵地に来るとは度胸あるな」
井戸川は一言もしゃべらず、ただバットを肩に担ぐ。
すると、ガルドが低く笑った。
「では見せてみろ。その棒きれの力を。」
速水は軽くうなずき、数歩下がる。
そして、ボールを、ただ上へ軽く投げた。
何の変哲もない“トス”だ。
しかし、その瞬間だけ闘技場の空気が止まる。
井戸川は一切力みなく、ただ 流れるように スイングした。
パァンッ!!!!
乾いた音が、壁に反響して大気を震わせた。
白球は鋭い放物線を描き闘技場の一番奥の黒鉄の壁にぶつかる。
鉄の音が闘技場に響き渡る。
魔族のざわめきが止まった。
いや、止まったのではない。
奪われたのだ。音に。
速水は静かに言った。
「これが野球だ」
井戸川がゆっくりとバットを地面に立てる。
「野球の“打つ”はただパワーがあれば良いってもんじゃない。試しに打ってみるか?」
バルゴが前に踏み出した。
「俺がやってやる」
井戸川は笑わない。ただ、まっすぐ見た。
「おう。俺がボール投げるから思い切り飛ばしてみろ」
バルゴは、バットを棍棒のようにぶん回し、構えの体制に入る。
シュ…
ゴスッ!!
ボールは激しく回転しながら、あらぬ方向に飛んでいき、ぼーっと見ていた魔族の腹に突き刺さる。
「いってぇぇぇぇ!!!」
「お、すまねぇ」
「頼みますよ。バルゴのアニキィ…」
「まぁ、こういうことだ。バットはただ振り回しても良いところには飛ばない。しっかり芯を食う必要がある」
ガルドは腕を組み、低く唸る。
「なるほど…面白い。確かにバルゴとお前の振りは全く違った。軸のようなものを感じた」
その声は、もはや敵ではなく 学ぶ者 のものだった。
速水が手招きする。
「そうだ。まずは握りからだ。強く握ってはダメだ。あと、無理に振るな。身体がスムーズに流れることが大事なんだ」
魔族たちが、指導を見るために輪を作った。
怒号も罵声もなく。
ただ“知るため”の輪だ。
井戸川がゆっくりとガルドの手を取る。
この世界で、誰もしたことのない指導方法だった。
「そう、それでいい。」
ヴァルナが静かに瞳を細める。
「……人はこんなにも、柔らかに強いのか」
闘技場に、音が鳴った。
カキン。
カキン。
カキィン。
最初のようなただ振り回す乱暴さはない。
間違いなく、それは“野球の音”だった。
その音は、闘技場を練習場へ変えた。
そして、魔王軍の誰もが気づき始めていた。
そう。野球は面白いということを。
***
夜、速水と井戸川は闘技場の上に続く石階段に腰を下ろした。
空は暗い。けれど、来た時よりもなぜだか明るく感じた。
「なあ井戸川。」
「ん。」
「今日の一発……やっぱ、やべぇわ。」
「当たり前だろ」
二人は笑った。
風が吹く。
空はたしかに帝体大へと繋がっていた。




