1-8
「こう考えたら? マイが残ると言い出すのではないかと危惧したと、」
「だから大事なことを話し合おうともせずに、一方的に別れを告げて帰したってわけ? それって、フレデリックが私の決断を最後まで信頼しなかったってことじゃない? 庇護する対象として扱ってたから。悪く言えば、見下してたから」
「マイ……」
「……結局フレデリックは、私を対等な、意見を持つ人間として扱わなかったんだよ。それが真実」
舞は言い切って、お茶を飲む。少し冷めたお茶はほのかに草の味がして、元の世界には無い香りがした。ああ、本当にカイザーに戻って来たんだ。舞は実感する。
グウェンも説得を諦めたように一口お茶をすすると、
「こうなってくると、フレデリックに記憶が無いのは痛いわね。彼は永遠に弁解の機会を失ったみたい」
「そうだね。その上、誰の意見も聞かずに、なんでも一人で決めちゃうから、誰かが代わりに説明することもできないの」
「フレデリックは、なんでも独断専行だものね。今でも時々新鮮に驚かされる時がある」
「おまけに秘密主義」
「確かに」
顔を見合わせ、ふ、と二人同時に笑う。グウェンはカップを置いて、舞の手に手を重ねて言った。
「同じ時代から来て、同じ経験を持つ戦友にもう一度会えて、私は本当に幸運」
「私も、人生に親友が戻ってきて、本当に嬉しい」
グウェンはしばらくそのまま無言でいたが「ねえ、マイ」と柔らかく呼びかける。
「ほんの少しでいいの。フレデリックに優しくしてあげて」
「……」
「許さないままでいいの。……彼の人生には、マイが絶対に必要だった。あなたが私の親友なように、彼もまた、私の友達だから。不幸なままでいてほしくないのよ」
グウェンの真剣な様子に、舞は「……必要なものを、手放したりしないよ」と言うのが精一杯だった。
「そうでもないわ。人ってよく間違えるものだから。泣く泣く振った相手が実は運命の相手だったなんて、よくあることよ」
「……グウェンはあの時も、私をそうやって納得させようとしてたよね。けど、泣く泣く振ったかどうかなんて分かんないよ。飽きただけかも」
「あら、分かるわよ。むしろ私はマイが帰ってますます彼の愛を確信したわ」
「どうして?」
「雨続きだったって言ったでしょ? 本当に大変だったのよ、川の水位が上がって、至る所で氾濫が起きて……」
「……それは、大変そうだけど……今の話に関係ある?」
何を言われているのか分からず聞き返すと、グウェンは怪訝な様子で舞をまじまじと見つめた。
「フレデリックから聞いてないの?」
「何を?」
「いやあね、フレデリックったら。恋人にも隠してただなんて。本当に秘密主義なんだから」
舞の答えに、グウェンはぐるりと目を回す。
「と言っても、私も実は詳しいことは分かっていないのよね。あの困った長雨が、どうやらフレデリックのせいで起きたらしいことと、それにマイが関係しているってことくらいしか」
「何それ? 本当に?」
「もちろん。雨が一ヶ月は降り続いた頃に、様子のおかしかったサジを捕まえて問いただした話だから、確かよ」
「一ヶ月も?」
「ええ。本当に不思議な雨だった。遠くに見える水平線や山は太陽に照らされて輝いて見えるのに、私たちの頭上にはいつも分厚い雲が垂れ込めていて……まるで領主城の周りだけが悪い魔女の呪いにでもかかったみたいに思えたわ」
グウェンは考え込む様子で
「まず、この世界の魔法がどういうものだったか、マイは覚えている?」
と切り出した。
「確か、『魔素』を使うんだったよね? 魔導師には必ず『魔素』が、体内に備わってなくちゃならないって」
「その通り」
グウェンが首肯した。
この世界の魔導師は、別名『フィンに選ばれし人』――サジたち魔導師が魔法を扱えるのは、『魔素』という資質があるからだ。魔導師が念じると、この体内の魔素が震えて外に放出され、人の目では捉えられない『フィン』と呼ばれる宙空を漂う精霊に供物として差し出される。それを精霊が受け取って応えて、初めて魔法が成るのだ。
この資質は生命力みたいなもので、枯渇すると死に至る厄介なものでもあるが、なくては魔導師にはなれない。フィンに捧げるものがないからだ。
「ただし、魔素が備わっているからと言って、誰しもが魔法を使いこなせるわけではないらしいの。フレデリックみたいにね」
「フレデリックに魔素があるなんて、初めて聞いた」
「私も、その時が初耳だった。サジは、美声の持ち主が、必ずしも歌が上手いわけではないというようなこと、と説明してたわ。つまり……フレデリックは魔法音痴ってことね」
ぞんざいなまとめに苦笑する。グウェンは言葉を探すように斜め上を見ながら続けた。
「フィンは多種多様な精霊で、水や火、風や土と、その他色々細分化できるの。彼らにはそれぞれ好む魔素の形があって、魔導師も己の中にある魔素の形をどのフィンに捧げるかで各々調整して放出するんですって。だから魔導師には大抵、得意な魔法と不得意な魔法があるそうなの。調整せずにそのまま出せたほうが、出力が大きいから。サジのようなオールラウンダーは珍しいらしいわ」
「ふうん」
いかにも自信家のサジがしそうな説明だ、と思いながら相槌を打つ。
「で、フレデリックの体内には、空のフィンの好む形の魔素が大量にあるそうなのね。けど、彼はそれを、自分の思い通りに使えない上、時々、勝手に空のフィンが彼に共鳴して暴走してしまうことがあるみたいなの」
「フィンが? 共鳴すると、雨が降るの?」
舞の問いに、グウェンは難しい顔で、「多分」と言う。
「多分?」
「それ以上はサジも教えてくれなかったのよ。領主の威厳に関わるとかで。普段はちゃんとコントロールできてるとか、こんなのはイレギュラーだとか、他にもごちゃごちゃ言ってたけど、よくは分からない。ただ、サジは嵐を見つめながら「フレデリック様にとって、マイ様を失ったのは、やはり大きな痛手だったようです」と言ったの」
場面を想像し、舞は黙る。
「それから三日後くらいだったかしら。急に雨がやんだのは。氾濫は静まり、領地には平和が訪れた。で、次にフレデリックと話した時、――彼はあなたのことを忘れていたの」
「……私のことを忘れたら、雨がやんだってこと?」
「私も驚いたけれど、それが現実なのよ。サジに聞いたら、忘却薬を飲んだからだと。だから、マイのことはあまり話題にしないようにって。思い出すことはないだろうけど、記憶の空白はきっと彼を苦しめるから、ってね。……ね?」
「うん?」
「ここから導き出せる答えはただ一つでしょう? フレデリックはあなたとの別れに大変苦しんだ。だけど雨が続き、川が氾濫してしまったから、領地のために、あなたを忘れることにした……どう? 辻褄が合わないかしら?」
ふむ、と舞は考える。嵐。フレデリック。空のフィン。マイの記憶。だが、舞の中ではそれぞれが独立し、とても一つの線にはなりそうもなかった。