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「フレデリック様がマイ様を忘れているのは、ご本人が、そういう風に設定したからです。我々魔導師が作る忘却薬は、服用前に対象者が忘れたいと念じた記憶にのみ干渉するものですから」
言うと、サジは指を一つ立てて先を魔法で光らせると、宙に光の粒子で絵を描き出した。と言っても、簡素なものだ。大きな楕円に、その一部を囲う四角。
「そもそも忘却薬というのは、特定の記憶を隔離し、箱に入れる薬だと思ってください。この大きな楕円がこれまでの全ての記憶だとしたら、この四角く囲ったところが、服用者が忘れたいと念じた部分です。薬はそこにのみ作用して隔離、鍵がかかる。それが忘却薬です」
「あら。じゃあ、マイに関する記憶が完全に消えて無くなったわけではないのね? 私はてっきり、消滅を意味するのかと思ってた」
「まあ、それはそうです。鍵の閉まりが緩い、つまり薬の効果が弱ければ、記憶の蓋が開く可能性もあります。が……ただ、まあ、僕の作った薬ですから……」
「――待って。ちょっと待ってよ」
舞はどんどん先に進んでしまう話に待ったをかける。三人の視線が一斉に舞に突き刺さった。
「……つまり、何? この男……私をこっぴどく振っただけじゃ飽き足らず、記憶から抹消までしたってわけ? ……あんなに傷つけておいて?」
「マイ、」
「谷折りののりしろみたいにくっつけて無かったことにして、あたかも最初からいなかったみたいに……私を人生から閉め出したの?」
舞の質問に、部屋は水を打ったように静まりかえる。誰も何も答えないことが明確な答えとなって、舞は新たに怒りが胸の内で燃え上がるのを感じた。先ほどよりも強く、真っ赤な怒りだ。
――は? ……はあ?
そんな爆発寸前の舞の前を、空気を読まないフレデリックの質問が横切る。
「待ってくれ、まずは前提から聞きたい。そもそもどうして、私は彼女のことを忘れてるんだ。他に忘れてることはないのか? 彼女の記憶だけ?」
「それは……」
「あら、フレデリックったら、なんにも聞いていないの?」言いよどむサジに、呆れたように眉を上げたのはグウェンだ。「サジったら。言いづらい気持ちは分かるけど、ちゃんと説明しなくちゃ」
「す、すみません……」
縮こまるサジに肩をすくめ、グウェンが言う。
「あなたがマイの記憶を消したのは、あなたが恋人である彼女を失ったことに耐えられなかったからよ。クーデターが終わったあの頃は毎日雨続きで、本当に大変だったんだから」
「……なんだって?」
「だから、毎日雨が」
「違う、その前だ」
「前?」
「今……、こ、恋人って言わなかったか?」
ほとんど呆然状態で尋ねるフレデリックに、グウェンはあっけらかんと返した。
「ええ、言ったわ。付き合ってたのよ、あなたたち。マイが元の世界に帰る三日前に別れちゃったけど」
フレデリックは唖然とした様子で「……付き合ってた?」と、まるで人生で初めて聞いた単語とばかりに繰り返した。
「……誰が?」
「だから、あなたとマイが」
「嘘だろ? だって……俺が? ……彼女と?」
フレデリックは目を白黒させて動揺している。サジを見て、さらに神妙に首肯されるとますますひどくなった。舞の顔を見たかと思えば、顔色を失い、瞬きを増やし、落ち着きなく唇を触る。
一方、舞の新鮮な怒りは、もはや怒髪天をつく勢いだ。一瞬、怪我でもしたのかと心配してやって損した!
「付き合ってて悪かったわね……もっとも、私だってなんであんな馬鹿なことしてたのか、今じゃ信じられないけど!」
「いや、その」
「ええ、ええ、もちろん? 大人になった今は分かるわ。当時の私は無知でバカで、どうしようもない世間知らずだった。でも、その関係だって、あなたが私と付き合いたいなんて言わなきゃ始まらなかったんだから!」
「お、俺が言い出した話なのか!?」
「っ……はああああああっ!? !? ふざけないでよ!! 付き合いたいって言ったのも、別れたいって言い出したのも、全部そっちじゃない!! ほんっとうにムカつく! 人をたぶらかして、騙して、いいように使って、飽きたら記憶ごとまるっと捨てる、この真性のクズ野郎が!!」
掴みかからんばかりの勢いで罵倒する舞の目に、一人称も取り繕えなくなったフレデリックがオタオタするのが映る。ムカつく。被害者ぶりやがって。ますます頬が熱くなる。
舞がさらなる罵倒を投げつけようと口を開いたその時、「まあまあまあまあ」と、二人の間に再びグウェンの輝かんばかりの笑顔が割り込んできた。
「今日はもうお開きにしたほうがいいんじゃないかしら?」
「っでも! グウェン、」
「マイだって、召喚後で疲れてるでしょう? 詳しい説明はいつだってできるし、私が思うにあなたたちにはお互い、状況を咀嚼する時間が必要よ。それに、私もマイに話したいことがたくさんあるの。ね、今日はあなたを独り占めさせて?」
グウェンに手を握られ、舞の胸がキュンと鳴る。怒りが吹き飛ぶ、とまではいかないが、いくらかは落ち着いた。ここは年長者の意見に従ったほうが良さそうだ。
「……分かった」と頷くと、彼女は「よかった!」と満開の花のように微笑んだ。
「それじゃあ、部屋に案内するわ!」グウェンは舞の手を自分の肘の下に入れてしまうと、グイグイと引いて部屋を出る。「前にあなたが使っていた部屋はそのまま残っているけど、新しい聖血のために用意した部屋もぜひ見てほしいわ。全部私が取り仕切ったのよ……」
扉をくぐる寸前、舞は部屋を振り返ったが、フレデリックの表情は分からなかった。




