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  ◆

 


 夢を見た気がした。煌々と光る水の中で溺れる夢だ。

 人生で二度目の苦難に、舞は必死にもがいた。目が痛い。鼻も、喉も焼き切れそう。このまま死ぬのかも……パニックの中よぎった考えは絶望的で、混乱にさらに拍車をかけるばかりだった。

 次に気がつくと舞は、木の板の上にうずくまりながら、気管に入った水を必死に追い出していた。辺りは仕事帰りの夜でもなく、真昼間。そして、晴天。まるで世界が逆転してしまったようだった。


「聖血様、召喚ーーーっ!」

「成功だーっ!!」


 大砲のような音が鳴り、歓喜の声が溢れる中、舞のむせこみは続く。鼻の奥を突き刺しているのは、磯臭い水分――海水だ。

 舞はうずくまりながら左右に視線を走らせた。よく磨き込まれたくすんだ茶色い木の地面。ゆったりと、かすかに揺れていて、遠くには太いマストらしきものの根元が見えた。そして大勢の足、足、足。歓喜に踏み鳴らされるその靴の形に、舞は見覚えがあった。現代では映画の中、それも時代考証が古めのハリウッド超大作でしか目にしないような、革のブーツ。


 頭の中に、ピンポーン! 間抜けな正解音と共に、ここはカイザー王国、と札が立つ。


 ――待って。これって夢? それとも走馬灯? 私、水たまりで滑って転んで、頭を打って、絶賛生死の境目を漂ってる真っ最中なの?

 だってこれって――まるっきり、初めて異世界に落ちた時と一緒なんだけど。


 カイザー王国の異世界人召喚装置は海の中にある。つまり、召喚された人間はもれなく予告なしに海に放り出され、溺れてジタバタしているところを、魔法で船に引き上げられるのだ。

 それと、まったく同じことが、今、起きている。

 舞は混乱した。


 いや、待って。そんなわけない。また戻ってきちゃったなんて、そんなこと。きっと夢よ。悪い夢。それかやっぱり走馬灯……だったら、早いとこ起きないと! 天に召される前に!!


 舞はとっさに立ち上がろうとしたが、全身に力が入らず、ベシャリとその場に潰れた。濡れた服がずっしり重く、全身が疲れ切っていたからだ。まるで服を着たまま溺れて、闇雲に水を掻いていたみたいに。


 ふ、ふーん……? 走馬灯って初めて見たけど、結構リアルに作り込んであるのね。でも、そろそろ次のシーンに行ってくれていいんだけど。だって、走馬灯ってこれまでの人生のハイライトが全部よみがえるって話で……まあ、確かに? 私の人生で印象的なことっていったら、異世界での生活くらいしかないだろうけど。


 顔やら肩やらに張り付く、背中の中ほどまでの栗色の髪を横目に見ながら、舞は目をつむって必死に次のシーンへの移行を念じた。だが、目を開けても場面は変わらなかった。全身ずぶ濡れなのも一緒。唯一乾いているのは、いつ巻かれたのかも覚えてない腹のベルトだけだ。言語を勝手に通訳してくれる、魔法の付与された道具だろう。これもまた、前回と全く同じだった。


 まさか、夢、じゃない……の? 私……また?


 寒さではなく、身体が震えだす。息が上がると、また気管が痛んでむせ込んだ。ああ、考えがまとまらない。なんだってこんなことに。

 その時、誰かの優しい手が背中をさすってくれた。ああ、ありがたい。これ幸いとゆっくりとした動きに呼吸を合わせるうちに、気管の痛みが我慢できる程度に落ち着いてくる。

 舞は心優しい人物に礼を言おうと、顔を後ろに振り向けた。息が止まった。


 そこにいたのは赤銅色の髪の美青年だった。昼間の陽の中では緑が濃く見える灰緑の瞳に、意志の強さを表すような高い鼻梁に秀でた額。首元までを覆う領主服。舞が知るより幾分歳をとっているが、間違いない。


 フレデリックだった。

 以前も舞を召喚した男で、――舞を裏切った元カレ。


 素知らぬ顔で膝をつき、舞の背中をさすっているその姿に、今度は別の意味でむせかえってしまう。


「げえっほ、ゲホ、ゲホっ……!!」

「ああ、大丈夫か? かわいそうに。異世界からの客人をずぶ濡れにしてしまうのが、この召喚式の欠点だな。ただ、君に会う方法は、かつての大魔女が作成した海深くにある召喚装置を使うしかない。許しくれ、我が二番目の聖血よ」

「あんた、何ふざけて、ゲッホゲホゲホ!! うえ、最悪、ゲホっ!!」

「もう喋らないほうがいい」


 哀れっぽい声に、これが喋らないでいられるかボケ!! と心の中では威勢よく反論したが、言葉にはならなかった。背中をさする手を振り払ってやりたかったが、とにかく気管から海水を追い出すのが先決だ。舞は屈辱に苛まれながらその場にうずくまっている他なかった。


 いや、でも待てよ? フレデリックが私を覚えてないってことは、やっぱりこれってリアルすぎる走馬灯なのか?


「我が君、聖血様のご様子はいかがですか?」


「ああ」覚えのある声――フレデリックの専属魔導師、サジの呼びかけにフレデリックが応える。「どうも溺れかけたらしい」


「左様ですか。ま、仕方ありませんね。これもまた運命と思って受け入れていただくしか……」


 フレデリック同様にしゃがみ込んで、召喚者の様子を伺おうとしたサジの動きがピタリと止まった。濡れそぼった髪の隙間から覗く顔が、見知ったものだと気が付いたのだ。ひくり、サジの口元が驚愕に歪むのが見えた。


「マ、イ様……ですか?」

「……私を、覚えてるのね、サジ……? じゃあ、やっぱりこれ、走馬灯じゃないんだ……」


 そこに「なんだ、サジの知り合いか?」と能天気な声が挟まれた。


「ということは……聖血召喚は失敗か。お前の知り合いなら、この世界の住人に違いないからな」

「いえ、その、我が君」

「いやあ、まさか天下のサジ・ドラが失敗するのをこの目で拝める日が来るとは」

「ロード、」

「しかし、失敗か。さて、ユランダ王子にどう説明したものか……」

「フレデリック!」


 サジの大音声に、やっとフレデリックの軽口が止まる。


「……僕は失敗はしません」

「? だが、実際にお前の知り合いが、」

「ええ、ですから、彼女は異世界人です。正真正銘の。……一度元の世界に帰って、再び召喚された」

「……説明しろ」

「説明なんか今更必要ないわよ、白々しいわね」


 神妙な空気を出す二人の間に、舞は割って入った。咳き込み過ぎでしゃがれた声は、地を這うごとく低音だ。


「ここで会ったが百年目……次に会うのは地獄の底でと思っていたけど、まさかこうも早く機会が巡ってくるとはね……」

「ま、マイ様、その、落ち着いてください、フレデリックは今、かなり複雑な状況を抱えていて、」

「複雑な状況? なんだそれは」

「いつまですっとぼけてるつもり? このクソッタレ領主……!」


 ギロリと睨むと、フレデリックは一瞬ムッとしたようだった。だが、すぐにスン、とソツない顔を作ると


「……こちらが一方的に招いたことには謝罪しよう。だが、初対面の相手にいささか失礼が過ぎるんじゃないか?」


『初対面』! 言うに事欠いて『初対面』ときた。ヒステリックな笑い声が自然と喉の奥から漏れ出る。これが笑わずにいられようか……この、この屈辱が!!


 舞はゆらりと立ち上がる。先ほどまでは力を入れることさえできなかった足が、今では何か大いなる意志でも宿ったように、しっかりと舞の体を支えてくれた。召喚者が立ち上がったことで、船の上で召喚を見守っていた、リヴァイアサン領に所属する連隊の騎士たちが雄叫びをあげる。踏み鳴らされる足で、船が揺れた。それも、今の舞にはドラムロールに聞こえる。

 フレデリックが咳払いをして立ち上がった。


「いや、すまない。君の混乱は理解するよ。まずは説明が先だな。ここはカイザー王国、リヴァイアサン領。私はその領主で、フレデリック・デュ・リヴァイアサンという。君はここでは領主の客人であり、全ての無礼が許され……」

「ごちゃごちゃうるさいわね、口閉じなさいよ。舌噛むわよ」

「は? なにを、」


 最後の情けと警告した上で、舞はキッ、と仇敵を指差す。


「あんたがどんなに知らないふりをしようが、私はあんたを覚えてる……忘れるもんですか、この、女たらしの不誠実野郎!! ――歯ぁ食いしばれ!!」

「え? なに、」


 絶叫。後、足を振り抜き――クリーンヒット。


 キックボクシングで鍛えた舞の足は、まさかそんなことが起きるとは思わず油断していたフレデリックのみぞおちを、綺麗に捉え、押し切った。


 ああ! 私がキックボクシングを習っていたのは、今日この日のためだったんだ……!!


 確かな手応えを感じ、舞はガッツポーズして雄叫びをあげた。自分たちのボスが崩れ落ちると共に水を打ったように静まりかえる船の上、その雄叫びはどの騎士のものよりも大きかった。

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