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1-1


「君のことが、もう、好きではなくなった」


 舞の恋人は窓の向こうに降る小雨を見つめたまま、こちらを振り返りもせずに切り出した。


「だから君は、もう元の世界に帰ったほうがいい」

「……え? どういうこと?」


 舞はキョトンとし、「フレデリック?」と相手のいる執務机へと近づいた。何かの冗談だと思ったのだ。だが、頑なに振り向こうとしない背中に、言葉がじわじわと重みを持って腹に落ちてくる。明らかな拒絶の姿勢だ。机を隔てた向こうに踏み出しかけた足がおじけて止まる。


「三日後、百年に一度の銀の晩が起こり、異世界とのゲートがつながる。それを通って、元の世界に帰るんだ」


 淀みのない説明に混乱して、急激に痛む頭を振った。


「待って、待ってよ! ……どういうこと? ……まさか、本気で言ってるの?」

「ああ」


 しっかりした返答に、今度は地面の底が抜けたように思えた。呼吸ができない。まるで宇宙に一人きりで投げ出されたようだった。


「……なんで?」

「言っただろう。好きじゃなくなったんだ」


 フレデリックの言葉は弾丸のように舞の心を打ち砕いた。耳の下あたりがこわばり、指先がどんどん冷えていくのがわかる。体が恐怖で死んでいく。


「……そう」


 絶句した末、かろうじて出た言葉はそれだけだった。


「最近、私を避けてたのはそのため?」

「ああ」

「ここ二ヶ月くらい、様子がおかしかったのも、全部そうね?」

「そうだったかな」

「そうだよ。私を見ると、いつも変な顔してた。おばけでも見るみたいに……」


 頭の中がぐちゃぐちゃで、意味のない確認ばかり。ただ一つ分かっているのは、ここから逃げなければならないことだけだった。これ以上傷つけられる前に。


 ──早く逃げなきゃ。一目散に。

 でも、まだ話し合いの余地があるかも。


 いいえ。そんなの、してどうするの? 彼は私を『もう好きではなくなった』と言った。結論は出てる。

 けど、どこか、私に直せるところがあるんじゃない?


 ああ、でも、それって、私のありのままを好きでいられないってこと? だから私が? 性格を直して? 我慢するの? 私のありのままを受け入れられない人のために?


 ──ならどうして、最初から好きだなんて言ったりしたのよ!!


 いつもなら舞は、人に選ばれなかった時には、すぐに仕方ないなと飲み込んで身を引いてきた。

 また一からやり直そう。大丈夫、この人じゃなかっただけ。ずっと一人だったんだもん、それがちょっと長引くだけよ。深入りする前でよかったじゃない、癒える傷だわ、と。

 なのに、今は足が動かなかった。握った拳が行き場を求めて震える。


「私に、何か言うことはないの?」


 口から、意図せず問いが転がり落ちた。フレデリックは少し考えた後、


「サジが研究の末、周期的に開く世界のゲートを見つけたのは半年ほど前だ。君がこちらに来た当時、元の世界に帰る方法がないと言ったのは事実だったが、今、訂正しよう」

「違う、そうじゃなくて……分からないの?」


 フレデリックはゆっくりと、問い返すように振り向いた。部屋に呼び出されて初めて見た彼の顔は、一瞬能面のように見え、舞はゾッとした。


「なにがだ」

「っあなた、私を執務室に呼び出して、急に……もういらなくなったから、帰れって言ってるんだよ?」

「……ああ。分かっている」

「異世界に急に召喚して、散々振り回して、挙げ句の果てがこれ? ……じゃあ、なんで、付き合ったりしたの? 無責任じゃん、こんな……」


 フレデリックは黙り込んだ。釈明もしないつもりらしい。その様子にカッとくる。


「なんとか言ってよ!!」


 舞が絶叫すると、フレデリックは目をつむった。感情的な相手が嫌いなのだ。相手に怒りを悟らせるのは恥ずかしいことなのだと、いつか言っていたのを思い出す。けど、それが今なんの役に立つだろうか?

 フレデリックが目を開ける。赤銅色の前髪の奥、灰緑色に輝く凛烈とした瞳が、舞を射抜いた。



「君も、楽しんだだろう。それで手を打ってくれ」



 血の気が引く。息が勝手に肺から押し出され、笑いに似た音が出た。


 分かっていた。フレデリックは謝らない。なぜなら、竜領主は気位が高く、自分が間違っているなんて夢にも思わないからだ。

 フレデリックは彼の治めるリヴァイアサン領にそっくりだった。切り立った崖や、海から吹き付ける強い風、穏やかさとは程遠いが、力強く、決して打ち崩せない気高さを持つ竜の土地。

 この独善性は彼の魅力でもあった。強い領主は領民にとっての拠り所であり、舞もしばしば頼りにしたが、時々鉄の扉を叩くような途方もない気持ちにもなった。


「……そう。っああそう! この期に及んで、よくも、よくもそんな口が……っ!」


 ぶるぶると手が震える。涙が滲んだが、泣きたくなかった。こんな男の前で。三年間、自分をいいように弄んでいただけだと発覚した男の前で。

 舞はとっさに踵を返し、ドアノブに手をかけた。だがそのまま黙って出て行く気にはどうしてもならず、最後に「じゃあ、いらない」と捨て台詞を投げつけた。


「私だって、もういらない。フレデリックなんて──……私だっていらない!!」


 ──私を最後まで好きでいてくれない男なんて。私をたった一人の相手にしてくれないフレデリックなんて。私の帰る場所になってくれない異世界人なんて。


 言い切って、舞はドアをくぐった。廊下に出た途端、こらえていた涙が頬を転げ落ちる。舞は廊下を走り抜け、与えられていた自室に閉じこもってわんわん泣いた。

 そして三日後、フレデリックの専属魔導師であるサジの手を借りて、海の中にあるゲートをくぐり、元の世界に帰った。舞と同じ、聖血としてリヴァイアサン領に召喚されたグウェンは見送りにきてくれたけど、フレデリックはついに姿を見せなかった。

 それが、舞の異世界生活の終焉だった。

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